自分の「好き」を大切に

落語家 三遊亭楽天(卒業生61回生 田中則光)



 明星学園100周年、誠におめでとうございます。
61回生(明星学園高校1994年卒)の三遊亭楽天と申します。
リレーエッセイを書かせて戴く機会を戴き、ありがとうございます。
お目汚しではございますが、しばらくお付き合いの程を願います。







子供の頃の僕

 今でこそ噺家を生業としておりますが、幼少の頃から引っ込み思案で、人と話すよりひとりで黙々と絵を描いている方が好きな子供でした。
 僕はいわゆるオタクで、漫画やアニメ、ゲーム、特撮、映画、落語、音楽などが大好き。小学校高学年から現在に至るまで特にハマっているのが、テーブルトーク・ロールプレイング・ゲーム(TRPG)と呼ばれるジャンルのアナログ・ゲームです。
 RPGというと、コンピューターゲームの1ジャンルというイメージがありますが、そもそもコンピューターのRPGはTRPGをコンピューター上で再現しようとして生まれました。
 大抵のTRPGは複数のプレイヤーとひとりのゲームマスターと呼ばれるゲームの進行役に分かれて遊びます。プレイヤーたちは各々、戦士や魔法使いといったキャラクターを受け持ち、ゲームマスターはプレイヤーたちにキャラクターたちがおかれている状況を説明、プレイヤーたちは自分のキャラクターだったら状況に対しどう行動するかを宣言し、サイコロなどの乱数発生装置を使ってその成否を判定しながら進行するゲームです。
 僕は中学からの明星生なのですが、自宅が下町の方ですから片道一時間ほどかかる。ウチの親父がラジオ局に勤めていたので、ラジオ番組のエアチェック用のカセットテープがたくさんありまして、ウォークマンで古今亭志ん朝師匠の落語を聴きながら通学してました。放課後はクラスメイトと『ダンジョンズ&ドラゴンズ』や『ソード・ワールドRPG』、『ロードス島戦記コンパニオン』といったTRPGに興じ、本屋さんやホビーショップをハシゴして帰るのが日課でした。



子どもの頃の楽天さん

 



オタク少年からダンサーへ

 そんなオタク少年だった僕は中学から高校に上がる春休み、当時同じマンションの違う階に住んでいた二歳年上の明星の先輩が「音楽部と演劇部が合同で舞台をやるから観においで」って誘ってくれまして、武蔵野公会堂まで観に行きまして、「ああ、俺もこういうのやりたい!」とすっかりエンタメに目覚めちゃいまして。
 同級生の子たちと「高校ではバンドをやろう!」ということになって、楽器を買う為にバイトして金貯めたりして、外部生の知り合った子たちにも声を掛けたりもしました。それで「誰がボーカルやる?」って話になった時にカラオケ行って唄ったら、みんな音痴で「ダメだコリャ!」と。しょうがない、やりたい楽器を買って練習しようという事になったんですが、僕はジャンケンで負けてベースになりました。11年生になるまではバンド活動はせずに演劇部と音楽部に打ち込んでました。11年になった時に10年生の子をスカウトしてボーカルになって貰って、「Virgin」というバンドを組んで明星祭とその後、一回くらい新体育館の地下でライヴをやったかな? その後はありがちな「音楽性の違い」で解散しました。
 で、ある時ふと「ダンスが習いたい!」と思い立ちまして、当時付き合っていた彼女と共にダンススタジオでレッスンを受け始め、卒業後はそのままダンサー、ダンスインストラクター、振付師を生業として生きていました。踊っていたダンスはハウス、ヒップホップ、ロッキングを中心に色々かじってました。
 僕がダンスを踊り始めた頃は、現在とは違い、ダンススタジオは都内でも数えるほどしかなく、情報もインターネットがある訳でなし、人づてに訊くか、雑誌などで調べるほかありませんでした。
 踊り始めた当初は男性の比率が極端に少なく、男性だというだけで仕事が貰えましたが、メディアなどでストリートダンスが取り上げられるようになると、男性のダンサーが爆発的に増え、仕事の取り合いになりました。また、全国各地に雨後のタケノコのようにダンススタジオの数も増加し、一時期は都内だけでなく福島、栃木、名古屋などの地方都市に招かれてダンスを教えていました。
 夜中に六本木などのCLUBに踊りに行き、始発で帰って夕方からダンスを教え、路上でチームの練習をして、またCLUBに踊りに行っていました。たまにオーディションを受けてアーティストのバックダンサーをしたり、ドラマや映画に出演したり、アーティストや劇団の振り付けをしたりといった仕事を受けて、仕事と仕事の合間に寄席に通う、という様な生活でした。
ドレッドヘアという髪型をしていた頃もあったので、高座の師匠方に「何か客席にスゲーのがいるな」なんていじられる事もありました。



ドレッドヘアの楽天さん



落語家に転身

 2011年3月11日、東日本大震災が起きました。
 僕はそれまでダンスという海外の文化を担って生きてきましたが、日本の文化を担って生きていきたい、と強く思うようになり、母親の高校時代の同級生だった六代目三遊亭円楽に入門志願をしました。
 当然、「今やっている仕事があるのだったら、その仕事を頑張りなさい」と断られていたのですが、何度目かの入門志願の際に不意に「○月○日空いてるか?」と言われ、空いていますと答えると、「横浜にぎわい座の楽屋に来なさい」と言われました。当日伺うと、たまたま廊下を通りかかった兄弟子に「あ、この子、入ったから」と言っているのを聞いて、入門が許された事を知ったのでした。
 円楽の弟子になって一番驚いたのが、家の鍵を渡されたこと。「お前はもう弟子なのだから、勝手に鍵を開けて出入りしろ」ということなのですが、入門してまもない他人を受け入れる懐の深さに驚かされました。
 また、師匠から言われた言葉で一番心に残っているのが「お前は落語が好きか? この先、たとえ俺のことが嫌いになっても、兄弟子のことが嫌いになったとしても、落語に帰依するつもりでやっていれば続けられるだろう」という言葉。弟子にとって師匠は絶対的な存在です。師匠が白いものを黒いと言えば黒だと思い込む世界で、師匠である自分よりも落語そのものを信じろ、という言葉を入門直後に言われたのは本当に驚きましたね。
 子供の頃から憧れの落語の世界に身を投じた訳ですから、前座修行も楽しくて。小言を言われるのも嬉しくて、ある時直門の兄弟子から「お前、修行はどうだ?」と訊かれて「はい、楽しいです!」って答えたら「馬鹿野郎! 修行を楽しむんじゃない!」と怒られたこともあります。
 中高の同級生に天野哲也くんという小遊三師匠の倅がいたのですが、入門後にお仕事で小遊三師匠にお会いした時に「哲也くんの同級生です」と言ったら、「何でお前、俺ンとこに来ねえんだよ?」と言われ、「実は母親の同級生が今の円楽で……」と答えると「じゃあ、しょうがねえな」とアッサリ許して下さいました。




円楽師匠と楽天さん



TRPG落語、誕生!

 前座から二ツ目に昇進後、前座修行中は一切やらなかったSNSを再開してゲームのことばかり呟いていたら、ある時テーブルトークカフェの店長という人からメールを戴きました。「一度お会い出来ませんか?」との事だったので、お店まで伺うと「楽天さん、TRPG落語をやってみませんか?」とご提案戴きました。
 僕も入門前から仲間内で「こんなの考えたよ」とTRPGを題材とした落語みたいなものをこしらえて遊んでいたりしましたが、何しろ寄席のメインの客層はお爺ちゃん、お婆ちゃんがほとんど。ゲームなんて通用しないだろうと、端っから諦めていたのですが、テーブルトークカフェというのはTRPGを遊ぶための施設。そこを会場に落語会を開催すれば、ターゲット層はTRPGに造詣の深い方なのでマニアックな内容でもウケるというワケ。「是非とも宜しくお願いします!」と二つ返事で引き受けまして、TRPG落語会を開催すると、これがアナログゲーム業界内に段々と広まっていって、日本最大規模のアナログゲームイベント「ゲームマーケット」などに呼ばれるようになりました。やがて雑誌のコラムの連載を持たせて貰ったり、昨年春には『三遊亭楽天のTRPG落語』(グループSNE / 新紀元社)という単行本も上梓。たまにゲームの監修の仕事やゲーム会社の動画に出演するようにもなりました。
 よく「芸は身を助く」と言いますが、僕の場合は「ゲームは身を助く」となっております。




自分の「好き」を大切に

 今はインターネットによる情報過多な時代です。若い人はそれこそ無限に選択肢がある一方で、周囲の友人との会話についていく為に「ドラマや映画は倍速で視聴する」という話もよく耳にします。何と嘆かわしいことでしょう! 倍速視聴したものの話が出来なければ話の輪に入れてくれない相手は友達とは言えません。自分の好きなものを好きなように愛でて、自分自身の独自の価値観を育てることこそ、自分を自分たらしめます。
 若い頃は漠然と「何者かになりたい」ものですが、「自分は何者だろうか?」と悩んだら、どうか自分の内なる欲望に目を向けて、自分は本当は何が好きか? 何がやりたいのか? 自問自答してみてください。幸い、明星学園は自由な校風です。どんな事でも犯罪以外は何でも自由にやれる環境があります。どうか自分の「好き」を大切に過ごしてください。




三遊亭楽天

【プロフィール】
三遊亭 楽天
本名:田中 則光(61回生)

明星学園高等学校在学中より芸能に目覚め、俳優養成所やダンススタジオに通ううちダンサーを目指し、卒業後はダンサー、ダンスインストラクター、振付師として活動。
東日本大震災を経て「日本の伝統文化を担いたい」と強く思う様になり、2012年8月より六代目三遊亭円楽に入門。「楽天」と命名される。
2015年10月、二ツ目昇進。
2018年より創始したゲームを題材とした「TRPG落語」でゲーム系イベントなどでも活躍する様になり、コンピュータRPG『残月の鎖宮』(アクワイア)やマーダーミステリー『優しい死神の席』(グループSNE)の監修も行う。
アナログゲーム雑誌『GMウォーロック』にてコラム「三遊亭楽天のTRPG四方山噺」を連載。
著書に『三遊亭楽天のTRPG落語』(グループSNE / 新紀元社)がある。
公式ウェブサイト

三遊亭楽天 Official Web Site (3utrakuten.com)