明星学園
体験から考察を深め、対話によって
“ひとつではない答え”にたどり着く力をつける

「体験・対話・綴る(ノート)・表現」に重きをおく明星学園の授業。社会科では、昔の文明を体験し、史実について検証や考察をするといった形で実践されています。ここでは、小学5年生のクラスで行なわれた土器焼き実習の様子をレポートするとともに、社会科主任より「明星学園小学校の社会科教育」についてお伝えします。

粘土採集から焼き上げまでを体験して、縄文式土器のある暮らしを知る

5年生にとって2学期の一大イベントである「土器焼き」。
この日のために2か月前から加曾利貝塚で遺跡や出土物を見学し、火起こしを体験し、自ら貝塚の粘土を持ち帰って土器を作ってきました。
手で粘土を練り、縄文時代と同じように縄で模様を付けたりして作られた土器。子どもたちはこれを1か月以上自然乾燥させて待っていたのです。

まずは着火剤とおがくずや新聞紙を使って火をおこし、少しずつ大きな枝や木材をくべてかまどを組んでいきます。「おがくずや紙だけ燃やすとすぐ燃え尽きてしまう」「枝は投げずに」「中まで風が通るよう工夫しながら置いて」……と、工夫することがいっぱい。そして、はしゃぎながらも「あぶないよ」と声を掛け合う子どもたちは頼もしいものです。

火を起こしている様子

続いて、かまどのそばに土器を並べ、少しずつ温めていきます。いきなり火の中に入れると、土器は破裂してしまうのです。子どもたちの作った土器は形もサイズもさまざま。自分で縄文時代のどの時期の土器を作るか決めるのだそうで、中には土偶らしき人形を作っている子も。

土器を並べる様子

土器が温まるのを待っている間、子どもたちにはボランティアの保護者が作ってくれたイノシシ汁が振る舞われます。「縄文時代、土器で作っていたであろう食事に近いものを」ということで、福田校長自ら材料を取り寄せてくれた特製メニューです。昆布としいたけの出汁に塩を加えただけの素朴な味わいは、子どもたちにとっても新鮮だったのではないでしょうか。

猪汁

炎が収まり、木材そのものが赤く燃えるおき火の状態になったら、いよいよ土器を中へ入れ、上からまた枝でかまどを組みます。一見燃え残りのように見えるおき火の状態でも、中は高温になっている……ということを知るのも大事な“学び”のひとつです。
すすで真っ黒になるまで焼き上げた土器。愛着を感じるとともに、縄文時代を生きた人たちのさまざまな知恵が詰まっているのを、子どもたちも感じたのではないでしょうか。

おき火

書物やデータ上の知識ではなく、「なぜそうなったのか」を考え体験する

――土器焼きと聞いて驚いたのですが、小学校で、縄文時代についてここまで深く学ぶものなのでしょうか?

江口先生

縄文時代は、明星学園小学校の日本史の授業では扱う期間が一番長い時代です。なにせ日本の一万数千年の歴史のうち、一万年以上は縄文時代ですから。
縄文時代に土器が作られ、煮炊きの文化が生まれたこと……寒い時に温かいスープを飲んだり、食べ物を柔らかくしたり、灰汁抜きができるようになったということは、今まで生き延びられなかったような人がより長生きできる、とても画期的な進化だったんです。

さらに縄文土器は、土器だけで時代の移り変わりが分かるんですよ。
初期は先が尖っていて立たせられないのが、前期頃になると、底ができて使いやすくなる。中期は一番暖かい時期だったせいか、人の顔とか模様とか、派手な飾りがついて、祭礼に使っていた様子が見られます。
後期頃には「注ぐ」機能などが出てきて、作るのが難しい“くびれ”のある壺状になり、晩期には、今の薬缶や急須とまったく変わらないような形も出てくる。子どもたちはそれをひと通り学んでいて、土器を見ただけで「あ、前期」と分かるんですよ。その上で、どれを作るか決めています。

――社会科、歴史といえば「有名な人が成したことを習う」部分が重視されるイメージが強いですが、明星学園の歴史教育には「人々がどう暮らしていたか学ぶ」という視点を感じます。

そもそも縄文時代の歴史には、いわゆる名のある人物が出てこないですからね。有名な人にしても無名の人にしても、出土品などの証拠を基に考察するしかない。
例えば物々交換。実は和田峠(長野県)から、200kmも離れた加曾利貝塚(千葉県)の土器が出土しているんです。つまり、人の行き来があったんですよね。
でも、これだけ距離があるということは「いきなり行ったわけではなく、まずは土器の噂を聞きつけたのだろう」とか。でも「近くの村で交換すると、そこでも希少なものだからレートが高くなる」とか。「それなら、こちらで手に入りやすく、向こうで希少なものを直接持参して交換すればいい」「それは干した貝とか海藻とかじゃないか」といったことを子どもたちと考えたりします。現代の経済は複雑ですが、その根本的なことを学ぶのが縄文時代ではないかなと。

――学んでいることが社会科としての学習を超えて、生活技術と繋がっている気がしますね。

火を起こしている様子

経済の根本も、何かあった時実際に火をおこせるかどうかも、生きていく上で大切ですからね。それに、教室での授業はあまり得意でなくても、土器焼きや矢じり作りの実習は職人のように上手にできる、化石採集ではよく見てしっかり見つける……という子もいて、それも社会科の力としてちゃんと評価したいんです。
歴史は書物やデータから学べるものでもありますが、そこに載っていることはなぜ分かったかというと、出土品などの証拠や、実験も含めた考察が積み重なっているわけですから。

明星学園では小学生のうちにその根本を、例えば実際に化石を発掘したりして、学び取っていきます。どうしてそういうことが分かるのか、ただ授業を聞いて覚えるのではなく、証拠を基にして考えたり、例えば土器を時代ごとに並べた時に「こういう違いによって時代が分かるんだ」ということを知ったり。

――社会科の知識というよりも「考え方」ですね。そしてそこに、社会科のおもしろさがある気がします。

そうですね。社会科が他の教科と違うのは、ひとつの答えじゃなくていくつもの答えがあるところです。だから子どもたちには「自分はこうだ」だけではなく、「他から見ると実はこうだ」ということも知って、多面的に物事を見られるようになってほしいのです。
例えば「日本が開国したのはなぜ?」というテーマでも、なぜ開国したのか、1人がひとつだけ答えるわけではなく、子どもたちがみんなでいくつも挙げていきます。自分1人ではひとつしか考えが浮かばなくても、みんなで考えれば5つも、6つも答えが出て、それが全部正解ということもある。そこで、5つなり6つを全部まとめて最終的な「答え」を仕上げるのです。
そこに、1人で勉強するのではなく、教室で、みんなで勉強する価値があると思います。講義中心の授業でも、なるべく「それをやった後には何かみんなで考える問題がある」という構成で授業を組んでいます。

――暗記するよりも、考えて納得することで頭に入れていくのですね。

話し合っている様子

そうですね。それに今、社会科で教えている「事実」も、将来的に変わるかもしれないですから。
例えば源頼朝の姿として知られていた絵も、今は別人という説が出て「伝源頼朝像」になっている。そういう風に将来、出土物や研究によって事実が変わってくる可能性があるので、事実を覚え込むよりも、変わる可能性を含めて、どう学ぶのかというところですね。
今は明らかになっていないことでも「こうであろうと考えられている証拠」を扱ったり、「事実かどうかははっきりしていないけれども、○○は出土している」「書物に書いてあることは、全部本当だとは言えないけど、この書物にはこういう風に書いてある」といったことも扱ったりします。

――社会科の学習や体験を通じて、子どもたちにはどんな人になってほしいですか。

しっかり自分の考えを持って、例えば選挙などでも自分の考えで一票投じられるような人ですね。自分の生きていく国、生きていく地球。ニュースもちゃんとそういう目で、自分の考えを持って受け止めないと行動できないですから。
例えば、社会科見学で最高裁や博物館へ行くと、普通の小学生は圧倒されて、質問できる機会があってもあまりしないそうなんです。でも、明星学園の子たちは、時間が足りなくなるほど質問をしますし、質問を聞いていても、しっかり考えないと出てこない内容なので、本当に頼もしくて「日本は任せたよ」と思えますね。
それはおそらく、低学年の頃からみんなの前で発表したり、あらゆる教科で「自分の考えは?」と問われたり、グループ同士で発表したりという機会が多いからでしょう。そういう風に自分でいろいろ考えることができて、いざ「これを知りたい」となったら、自ら行動したり、調べられる人になってほしいと思います。