明星学園

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明星学園 Q&A

校長だより
校長 福田純一
 
 連休は天気にも恵まれ、ご家族でゆっくりとされたことと思います。いよいよ1学期の第2ステージに入ります。5年生の伊豆大島見学旅行をかわきりに遠足行事、日曜参観へと続きます。
 さて、今回は明星学園の94回目の創立記念日を迎えるにあたり、昨年に続き、明星学園Q&A Vol.2として、赤井先生のお人柄をお伝えすることにします。

 質問 明星学園創立者の一人である赤井先生は、どのような先生だったのですか?

 ドルトン・プランの紹介者として教育界では有名な先生です。また、成城学園の創始者である沢柳政太郎先生とのご縁で成城学園へ招かれ、その後明星学園を創立された先生です。「明星の年輪-90周年誌-」の中に、赤井先生が初めての卒業生へ向けた祝辞が残っていますので、これをご紹介します。

 四年前のこの頃、私共がここに学園建設の仕事にかかった時にはここは麦畑であった。此頃あちこちの麦畑に見えるような3、4寸の麦がここにも作られていたのであった。私共は校舎を建てるには先ずその麦をとって地均しをしなければならなかった。私は人夫の人々が麦を取除いているのを見て空恐ろしい感に打たれた。一つは百姓の人々がこれ迄に丹精したものをむざむざと取り棄てることがその人々に対してまことに済まないことだと考えられたのである。今一つはこの麦が実ればそれで幾人かの生命をつなぐことが出来る。その麦を取り棄てるということの勿体なさであった。昔ある名僧が便所で飯粒を発見して、それを勿体なく思って塵を払って押しいただいて食ったという話もある。かかる貴い食物を私共は取り棄てるのである。私はこれは何か大きな罰が来ないではすまないような気持ちがした。これは非常に大きな収穫をして償いをしなければならなぬと考えた。人々の食う糧は作れないが、人そのものを造ることに努めなければならぬと考えた。然しそれから後、春来る毎に他の畑には麦が青々と生じ、夏来る毎に黄色く実ったが私共の学園には実りがなかった。私はいつも淋しい気持ちで私共の収穫は何時かと今日の日を待ちに待った。然し終にその日が来た。私の心は今漸く平になった。慶び限りない。然しこの実りは如何であろうか。豊作か不作か。それは全く君達の今後の生活如何にある。どうか大きな実りであって欲しい。
(赤井米吉「明星五年」『渾沌』第8巻・第1号)

 初めての卒業生27名に贈ったこの言葉には、赤井先生の強い思いと願いが込められています。昭和49年2月26日に吉祥寺の森本病院で亡くなられました。享年86歳8ヶ月。赤井先生が亡くなられたその病院で、私が生まれているという不思議なご縁を感じると共に、その重責を改めて感じています。