明星学園

トピックス(小学校)

お知らせ

創立95年によせて

校長だより
1、新教育運動の胎動と明星学園の創立
時は1924年、麦畑を前に一人の教育者が悩んでいました。「お百姓さんが丹精込めて育てた麦を、実りを待たずに取り除いてしまうのは、本当に申し訳ない事だ。しかも毎年この麦を実らすことができれば、幾人もの命を繋ぐことができる。」悩んでいたのは、創立者の一人、赤井米吉先生でした。理想の地である武蔵野に学舎を建てるためには、青々と茂った麦を取り除き、地均(じならし)をしなければならなかったのです。麦が取り除かれていく様子を見て、赤井先生は深く心を痛めました。そして、麦よりも大切な「人そのもの」を育てることを心に誓い、校舎建築に踏み切ったのでした。
十九世紀終わり頃から二十世紀のはじめにかけ、欧米を中心に「新教育運動」といわれる動きが起こります。それまでの学校教育に支配的であった「画一」「統制」「知識の注入」という傾向を打ち砕き、「子ども中心」の「自学」や「自治」を尊重した、旧い学校のあり方を改革しようとする動きでした。第一次世界大戦の前後から、「新学校」への改革を目指す動きは国際的に活発になり、日本でもそれとの関係で「新学校」への動きが活発になりました。時あたかも「大正デモクラシー」といわれる潮流に支えられ、新しいタイプの学校が次々と創設される中、明星学園も1924年5月15日に創立され、94年に亘り「新学校」としての役割を果たしてきました。
赤井先生は、創立の理由を「学校教育が国家権力によって画一的に統制されていることを批判し、何者にもとらわれない自由教育を実践する場を研究的に創造していくことが、その重要な目的であった。」と述べています。「個性尊重」「自主自立」「自由平等」という教育理念は、そういった時代背景の中で位置づけられたのです。創立同人は「赤井米吉、照井猪一郎、照井げん、山本徳行」の4人でした。



2、明星学園を支えたのは保護者
明星学園を創立から今日まで、強力に支えて下さったのは「保護者」です。明星学園の創立に当たり資金面で協力してくださったのも、創立者の一人である照井猪一郎先生が成城小学校で担任した児童の親御さんでしたし、創立期の学園内の整備や上級学校(高等女学校と旧制中学校)の設立も、すべて当時のお父さん・お母さん方の働きのお陰で実現しました。
さまざまな家庭の子どもたちが明星学園で学んできましたが、皆さんもおそらくご存知の著名な文化人も、子どもたちの学びの場として明星学園を選んできました。大正自由教育運動を語る上で重要な「赤い鳥運動」がありますが、その運動にも深く関わった詩人の北原白秋氏は、二人の子どもを明星に通わせました。現在も校歌のように歌い継がれている“明星学園行進歌”は北原白秋氏の作詞です。
版画家として有名な恩地孝四郎氏の三人のお子さんも明星に通い、長男の邦郎さんは明星の美術科教師として長く子どもたちを育てました。高校の校長も勤められた方です。孝四郎氏の長女の三保子さんは児童文学の翻訳家で、一時は明星で英語を教えていました。
児童文学家の坪田譲治氏、与田準一氏ら『赤い鳥』の中心的な作家も本学園の保護者でした。白秋とならぶ童謡詩人で「赤い靴」「雨降りお月さん」「しゃぼんだま」「七つの子」など今も歌い継がれる童謡を作詞した野口雨情氏も、お嬢さんを明星に通わせました。
武蔵野美術大学の前身である帝国美術学校の設立にも参加した彫刻家・清水多嘉示氏の子どもたちも小学校から高校まで明星で学んでいます。20世紀の美術を代表する世界的巨匠の一人、版画家の棟方志功氏も明星の保護者でした。
小説家・詩人・劇作家・画家など多彩な活動で著名な武者小路実篤氏は、学園のすぐ近くにお住まいになり、2人のお嬢さん、7人のお孫さんを明星に通わせました。「後援会」の会長も務められました。その他にも、戦後反戦文学の名作として後に映画化もされた『二十四の瞳』の作者・壺井栄さんや、『現代政治の思想と行動』『日本の思想』などで知られる政治思想史家・丸山眞男さんも明星の保護者であり、明星教育のよき理解者・協力者でした。
山にまつわる著書も多い詩人で哲学者の串田孫一さん、児童書の出版社として子どもたちにも馴染み深い福音館書店を育てた松居直さん、昨年国際アンデルセン賞を受賞された作家で『魔女の宅急便』でお馴染みの角野栄子さん、ジャーナリストの筑紫哲也さん、写真家の浅井慎平さん、政治学者の姜尚中さん…、このような方々も本学園の保護者でした。
このように明星学園は、リベラルな考え方の人たちに支持され、続いてきた学校なのです。
※武者小路実篤氏、棟方志向氏、清水多嘉示氏、串田孫一氏のデザインによる手ぬぐいや風呂敷は資料整備委員会で保存しています。

3、「個性尊重・自主自立・自由平等」を考える
明星学園では、創立当初から、「個性尊重」、「自主自立」、「自由平等」という3つの柱をうたっていました。個性尊重は、人権不犯の原則で、正しい人格は是に根ざします。自主自立は人の意志を強く鍛えます。自由平等は、人間の生活を明朗にし、人類に永遠の平和を与えるとされたのです。
この3つを標語で表せば「正しく・強く・朗らかに」となります。しかし、明星の歴史においては「強く・正しく・朗らかに」と用いられてきました。何故、「正しく」と「強く」の位置が入れ替えられたのでしょうか?その謎を解くために「学園資料室」のドアを叩いてみましょう。
子どもは親とも異なるDNAを持って生まれてきます。元々特別なOnly Oneなのです。そのOnly Oneが、社会の中で自ら学習し、自らを創造していきます。「自ら育ち」「自ら変わる」。これが生命の根源にあるのです。
生きる上では「呼吸」や「食べ物の摂取」が必要なように、「学習」も生存する権利の一部として位置付きます。子どもは選ぶことの出来ない環境(子どもはDNA・親・社会の3つを選べない)の中を、その気になって分別を重ね生きていきます。文化に学びながら、あるものは身につけ、いらないものは排除して、自分らしく変わっていくのです。それが広い意味での「学習」に当たります。ですから、赤ちゃんから学習は始まっているのです。それが人間の生きる姿であり、それを助けていくのが「教育」の仕事です。
子どもは本来「知りたがりや」「やりたがりや」「話したがりや」です。ですからその探究力・対話力・表現力を引き出し、可能な限りそれを開花させることが、教育に求められています。「学習」の方が「教育」よりも先に位置付いているのです。
人間は母親の胎内から出ると社会に放り出されます。そこから様々なモノを学び取りながら生きていくのです。広い自然や一冊の本など、豊かな「もの・こと・ひと」との出会いを通じて、人というものは変わっていきます。医療や福祉、経済など、教育だけでなく、もっと広く考え、人々の命と生涯を豊かにする社会的な胎盤を満たしていかなければ、人間性の豊かさというものを目標にした教育が置き去りにされてしまいます。
学習は生涯にわたって行われ、「内(主体)・外(客体)」という反対側の力のセルフリニューアル(自ら変わる)を続けます。その中にあってもDNAの構成は変わりませんから、生命は「変わり続けて変わらない」「失いながら獲得する」のです。生命は根源的自発性に基づく「代謝の持続変化」であり、学習過程であり、学習成果です。「学習」に対して「教育」は介添え役に過ぎないことを確認しておきたいと思います。にもかかわらず、日本の学校では「〇〇させる」という使役動詞が多く使われていることを、見直さなければなりません。学習よりも教育が先になってしまうと、本来持っている自ら学ぶ力が、教育によって損なわれてしまいます。
人間・生き物は、自己中心性に向かう内なる力(主体)と他者との関わりに向かう外向きの力(客体)がいつも呼吸のように働いています。対話の場合も、自分と相手との情報交流をやっています。そうする中で、相互の間に変化が起きていくのです。これが学習です。ですから教育は、教えて育つではなく、共に育つ「共育」と見直した方が良いと思われます。一人ひとりは異なるDNAと学習経験に基づいて考え、感じ、行動するわけですから、公共空間においては子ども(人)の数だけ認識と表現が成立しています。例えば、同じイチゴを見ても、個人の中で「自分(主体)⇔イチゴ(客体)」というやりとりが行われ、イチゴに対する認識が深められていきます。またその中では同時に、主体である自分の質も高められていきます。そこに、他者との交流が加わると、共育によって更にイチゴに対する認識・表現の両面が高められるとともに、お互いの質(一人ひとりの質と関係性の質)が高められることになります。生命と生命の響き合いがそこでは成されるのです。
問いが外から来るものであれば、答は自らの内から発せられるものとなります。その矛盾に折り合いをつけ、選びながら、人は発達し、変わっていきます。問いと答の間が一人ひとり異なるのはこのためです。大切なのは一人ひとりによる「納得」です。客体に対する受容の仕方は人それぞれ違うわけですから、場を共有するためには、一人ひとりの個性を尊重した上で、適切な言動を選択することが必要になります。「個性の尊重」と「自由平等」が「自主自立(自分の頭で考え、自分の心で感じ、行動する)」によって発展的に解消される中、「個性尊重」の質も、「自由平等」の質も、「自主自立」の質もより確かなものに高められていきます。基本的人権が尊重される中では、温かな時間・空間と、それに伴う文化が創造され、それらが学習主体にとって欠かすことのできない宝として受け継がれていきます。人間を文化に当てはめるのではなく、人間と文化が対話する中で、より豊かな文化を創造し続けることが必要なのです。その中核に自主自立が位置付く事になります。
人間が自分を創っていくということは、それ自身がアートです。そのアートの介添えをし、演出するのが親や教師になるわけですから、親や教師もまた演出家というアーティストとして位置付く事になります。アーティストには、一瞬一瞬の、その子その子に対する対応と選択を含む自由が必要です。学校の自由、親や教師の自由はそれとつながっているのです。
人にはそれぞれ持ち味があります。そのユニークさを育て、本人の求めに応じて、社会的に意味のある仕事への参加を助けることが、人格の完成を目指す教育の役割となります。どんなに小さな事でも、自分の好きなことで社会的意味のあることができれば、それに越したことはありません。こころよく社会に参加する中でこそ、個性的な人間が育ちます。当てにされているという経験を持たないと、自分自身が見えてこないのです。
学習は生涯にわたる基本的人権です。教育の最終目標は、自分を見つめ、自分の人生、実感を生き生きと鍛えて行く事にあります。本来の子ども、子どもの持っている素地、人間として持っている素地からの表現を促し、開花させる。それぞれの人間がそれぞれの持ち味を活かして社会的に働ける。そのような社会の実現こそが自由・平等の保障された世界であり、人間の生活を明朗にし、人類に永遠の平和を与えるのです。その前提となるのが「人権不犯の原則、正しい人格」であり、強く鍛えられた意思に基づく不断の努力なのです。
赤井先生は、初めての卒業生へ向けた祝辞を、次のように締めくくっています。
「然(しか)しそれから後、春来る毎に他の畑には麦が青々と生じ、夏来る毎に黄色く実ったが私共の学園には実りがなかった。私はいつも淋しい気持ちで私共の収穫は何時かと今日の日を待ちに待った。然(しか)し終にその日が来た。私の心は今漸く平になった。慶び限りない。然しこの実りは如何であろうか。豊作か不作か。それは全く君達の今後の生活如何にある。どうか大きな実りであって欲しい。」
(赤井米吉「明星五年」『終終渾沌』第8巻・第1号)