明星学園

トピックス(小学校)

お知らせ

子どもたちに感謝

校長だより
1、子どもたちに感謝

 コロナウイルス感染者数が社会的に拡大する中、小学校も2月1日~2月13日まで在宅型学習に切り替えさせて頂きました。各ご家庭には本当に大きなご負担をお掛けしました。心よりお詫び申し上げます。
 通常授業に戻した14日は、大雪の影響が心配されましたが、夜中から明け方にかけてチェーンの音が聞かれることもなく、明け方も公共交通機関に影響がないことから、通常授業を再開させました。学校判断が早朝となりましたこと、改めてお詫び申し上げます。
 14日の7時45分、私は検温がてら正門に立ち、最大の気持ちを込めて子どもたちを迎えました。会いたくても会えなかった子どもたち。その再会に思わず声が弾みました。そしてそこには、別人の自分がいることに気付きました。こんなにも幸せになれるのですね。
 子どもたちにとっても待ちに待った登校だったようです。一人ひとりと挨拶を交わす中、その気持ちがひしひしと伝わってきました。当たり前を失う中で改めて感じられる喜びと感謝。やはり学校は「人が人そのものとして育つ」上で欠かすことの出来ない場なのです。通常授業が再開してから一週間が経ちましたが、子どもたちは一つひとつ有難さを確かめながら学校生活を楽しんでいます。コロナ禍における学校運営は苦悩の連続ですが、感染対策を講じた上で通常授業を続けてまいります。各ご家庭には引き続きご負担をお掛けしますが、ご理解・ご協力下さいますようお願い申し上げます。
 尚、音楽の授業で行う合唱は、感染対策との関わりで2月25日まで控えることと致しました。その旨ご連絡させていただきますので宜しくお願いいたします。

2、みんな違ってみんな良い

 正門に立って子どもたちを出迎えていると、一人ひとりみんな違う事がわかります。一人ひとりが本当に素敵なのです。その一人ひとりと会える喜びを、どのように表現すれば良いのでしょうか。正門に立つこと1時間。一人ひとりと挨拶を交わすとそれだけで、本当に豊かな世界を味わうことが出来ます。そして本当に幸せな気持ちになります。みんな違ってみんな良い。一人ひとりが掛け替えのない宝なのです。
 学校の主人公は一人ひとりの子どもです。学校は一人ひとりの子どものためにあるのです。学校での生活・学習を通じて、一人ひとりの子どもが更に輝きを増すことができるから、子どもたちも輝き続けることが出来ます。そしてその豊かな交わりの中で更に、一人ひとりの素晴らしさが磨かれていきます。
 明星の子ども・子どもたちは本当に素敵です。誰かのために生きているのではなく、自分らしく生きているからです。一人ひとりが伸び伸びとしています。そして一人ひとりが安心しています。その一人ひとりや子どもたちと会えるから私は、幸せを感じることができるのです。世界一幸せな校長であると自負しています。
 先にも述べた通リ、子どもたちが学校に来るのは、そもそも素敵な一人ひとりの子どもが、学校での学びや生活を通じて、もっと素敵な一人ひとりと子どもたちに育つためです。コロナ禍に於いては尚更その事が求められています。学校に来ることによって枠を押しつけられたり、傷つけられたりするのであれば、子ども・子どもたちは学校に来ることに価値を見い出すことが出来ません。学校でのすべての営みは喜びの体系であり、だからこそすべての人が「いつも げんきで にこにこ」していられることが必要なのです。そうなっていない場合には、子ども・先生・保護者で力を合わせ、「いつも げんきで にこにこ」を創造していくことが必要となります。「個性尊重・自主自立・自由平等」がそこに位置付きます。
 正門で子ども・子どもたちと挨拶を交わしたあとは、各教室を回り、子どもたちの様子を見守っています。一つとして同じ教室はありません。各教室では構成員が異なり、発達や教科の特性によって構成される時・空間が異なるからです。本当に色々な教室があります。そしてどの教室でも「対象」「子ども」「教師」による有機的関連の中で豊かな時・空間が構成され、人そのものが育ち続けています。
 学校教育は夢のあるもの、潤いのある温かいものです。監視や管理とは対極にあります。だからこそ私は、教室を見回る際にも、監視や管理にならないよう、細心の注意を払っています。一人一人の子ども・子どもたちは、大人以上に敏感で、気配を鋭く感じ取ります。私は、子どもたちと教師で紡いでいる固有の時空間を崩さないように、できるだけ気配を消して教室に入り、子どもたちが幸せであればそれに溶け込み、子ども・子どもたちが苦しんでいればそれに溶け込み、幸せな方向に導けるよう努めています。
 「対象」「子ども」「教師」の有機的関連の中では時に、解決しなければならない課題も生じます。しかしそれらは、「よりよく生きる」という目的の下に生じる課題ですから、その都度丁寧に向き合い、一人ひとりの子どもや子どもたちに伝わる方法を選択する中で課題をしっかり解決し、「人そのもの」を育てていくことが必要です。一人ひとりの子ども・子どもたちは、まだまだ成長過程にありますから、日々の生活・学習の中では、多様な課題が生じます。しかし、それらを克服することは正に、成長そのものを意味しますし、課題を解決する過程に於いては「解決の仕方」をも学ぶことになりますからそれは、一人ひとりの子ども・子どもたちがよりよく生きる上で欠かすことの出来ない「学力」となるわけです。 
 オンライン学習の中では、通常授業で生じる課題は生じません。その意味では、子どもにとっても教師にとっても、オンライン学習の方が楽であるということが出来るでしょう。しかしながら人間は、オンラインのみでなく、対面の中で生きること、またその社会を創造することが求められていますから、その力を習得すること無しにより良く生きることは出来ません。また、地球市民としての力が求められるこれからに於いては尚更、より確かで豊かな学力が必要とされています。その意味でも、もっともっと世界を広げるとともに、その中で生じる課題を豊かに解決できる力を身につけていくことが必要です。新型コロナウイルス感染の収束が見えない中では再び、在宅型学習に切り替えなければならない時が来ると思いますが、一時的な対応は出来ても、学校教育本来の役割を賄うことは出来ません。その比較の中では改めて、通常授業の価値が見えてきます。
 子どもたちが学校に通うのは、より良く生きることを実感すると共に、その為に必要な全てを習得する為です。課題が生じたときに必要とされるのは、一人ひとりに丁寧に寄り添った対応です。課題を解決する過程と結果においては、より幸せに、より豊かになれる事が必要なのであり、「怒る」ではなく「叱る」を通じて子どもたちが自立(自律)できるように育てていくことが求められています。またその中では、物の見方考え方も育まれていきます。
 課題が生じるという事は寧ろ、成長のチャンスです。ましてやよりよく生きる上で生じた課題は、より良く生きる上での絶好のチャンスなのです。チャンスを生かさない、ただ怒るだけに留まるといった対応は、成長を妨げるばかりか、その対応が次に活かされ、自他共に不幸への道を歩み始める契機となってしまいます。思考と言語の関連からしても、必要な課題との対峙は個々の能力を高め、自由を拡大するものとなりますから、苦しくても世界を拡大していくことが必要です。地球市民としての力が求められるこれからにおいては益々その事が必要とされ、「強く・正しく・朗らかに」育つ事が、地球に平和を齎します。