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繁田真爾元教諭(社会科)がご自身初の単著となる研究書『「悪」と統治の日本近代-道徳・宗教・監獄教誨』を上梓されました

中学校ニュース
今年の3月まで中学校の社会科の教員として教鞭をとられ、4月に東北大学の研究員に着任、大学院の授業を担当しながら、近代日本の思想史について研究されている繁田先生が、ご自身初の単著となる研究書『「悪」と統治の日本近代-道徳・宗教・監獄教誨』を上梓されました。

「近代日本は『悪』とどのように向き合ってきたのか」ということが、大きなテーマになっています。ご本人の言葉を借りるなら、「基本的には明治期を中心とする思想史研究の本ですが、同時に、現代日本の犯罪や刑罰、矯正と更生、とくに死刑制度の問題についても、強く意識しながら書きました」とあります。
明星学園の図書室にも寄贈していただきました。興味のある方は是非手に取ってご覧ください。なお、「あとがき」を読むと繁田先生の研究に対する熱い思いと同時に、明星学園に対する熱い思いが語られています。その一部を引用、紹介させていただきます。

(略)≪しかし、ほぼ完成していた第1部と第Ⅱ部にさらに第Ⅲ部を付け加えるだけならば、二、三年間もあれば充分だったかもしれない。ちょうどそのころ博士課程の標準年限を超えるタイミングだったことも考えれば、ふつうならば、できるだけ早く学位論文をまとめることを優先すべきところであろう。ところが、実際に博士論文を完成させて学位を受けたのは、それから六年が経過した二〇一七年のことであった。監獄教誨の研究に着手してから間も
ない二〇一二年四月、私は東京都三鷹市にある私立明星学園中学高等学校に、社会科教員として着任したのである。

 明星学園には、修士課程の学生のころから非常勤講師として勤めていた。大正自由教育運動の流れをくみ、国内でも有数のリベラルな教育理念を掲げる小さな学校は、私のものの考え方や肌にとてもよく合う、恵まれた環境であった。研究活動を優先するためにしばらく非常勤のままでいたが、二〇一二年から専任教員となったのである。

 このとき専任の世界に飛び込んだのには、ゆっくりとでも、焦らずに研究を進めることができる環境を整えたいという考えがあった。大学院生は、当時も今も厳しく不安定な立場に置かれており、順当に研究を進めたとしても、研究者として就職が確約されるわけでもない。多くの場合、自分の将来を案じる焦りのなかで、就職に有利になることを考えて、論文の量産へとどうしても傾きがちである。もちろん良質な論文を次々と発表できる優秀な研究者
ならば問題ないが、肌理の粗い表面的な論文の乱発に終わってしまうことも少なくない。ならば、もっと長い時間軸で考えて、腰を据えて、自分で納得のできる研究をつづけていく方法はないのだろうか。そう考えたとき、私にとってはそれが、教職との両立という道だったのである。

 この選択には、若手研究者が強いられている現状へのささやかな抵抗という気持ちがあった。しかし同時にそれは、一種の賭けでもあった。容易に想像されることだが、専任教員となることで生活に余裕はできるが、それは研究に費やすことができる時間と引き換えの上のことである。早朝や帰宅後に何とか読書の時間だけでも確保しようとするものの、常に何かの仕事に追われ、自分の研究にあてることができる時間や体力はあまり残されていない。教員の多忙をきわめる勤務環境については、最近、たとえば中学教員の約六割が過労死ラインを超えて働いている過酷な実態が報じられ、ようやく社会問題化してきたところである。焦らずにじっくりと息の長い研究をしたいと選んだ道が、実際には、頭で考えていたほど簡単な話ではなかったわけである。通勤路だった四季の自然豊かな井の頭公園を、朝夕、気の遠くなるような気持ちで歩いたことも一再ではなかった。

 このような事情もあって、博士論文をまとめるのに予想以上に長い時間がかかったわけである。しかし、だからといって教員としての経験が無駄だったかといえば、そのようなことはまったくない。むしろその苦楽の経験は、今から振り返ってみると、どれも自分にとって大切な視座や気づきを与えてくれる、かけがえのないものであった。

 私の勤めた学校は、教員に全幅の信頼を寄せ、自主自立を重んじ、よい意味でほとんど手のかからない素直な生徒たちばかりであった。一方で、どこの学校でも事情は同じだろうが、なかにはやんちゃな子や、家庭の内外に困難を抱えている子どもたちもいて、ときに問題となる行動を起こしてしまうこともある。思春期において多少の問題行動をするのは自然なことで、自分の中学時代を思い出してみれば、誰でも大なり小なり同じような経験がある
ものだと思う。

 ただ私は、このような問題行動が起こったとき、教員として行なわなければならない「指導」というものに、苦手意識があった。もともと感情表現に乏しい性格で、どのような状況でも本気になって子どもを叱るということが難しい(別に叱ることだけが「指導」ではないのだが)。そのうえ、私たちはどのように「悪」と向き合ってきたかを研究テーマとしてきたこともあり、肝心なときに、どうしても教員としての自分の立場を相対視して、感情の矛先が鈍ってしまうのである。これでは教員としては具合が悪く、そのような自分の性分に悩むこともあったが、管理職や同僚から「教員にも役割分担があって、あなたはあなたなりのスタンスで生徒と向き合えばよいのだよ」と慰められ、救われるような思いがした。

 こうして私は、生徒たちの問題行動と対するときには、どうしてこの子はこのようなことをしたのだろうとか、それに対して自分はどう向き合うことがよいのだろうなどと考えながら、過ごすようになった。少し大げさにいえば、それは教員としての自分の立場性や哲学を、何度も自問することでもあった。

 やがて「近代教育」の可能性や限界というようなことをぼんやり考えているうちに、いま直面しているこの問題は、実は刑罰や死刑制度に対する自分のこれまでの関心とよく重なり合う問題なのではないかと、はっきり自覚するようになった。本書のなかで、「悪」に対する思想家や教誨師たちの向き合い方に、ときに過剰にもみえるほどの関心が寄せられているとすれば、それは、それらの関心が私自身の経験によっても強く促されてきたからかもしれない。≫

(中略)

≪本書は、私のこれまでの研究と思索によるささやかな産物ではあるが、とても独力で書き上げることはできなかった。自分にとって初めてとなる本を閉じるにあたり、これまでお世話になった方々へのお礼を添えておきたい。

 明星学園の生徒、保護者、元同僚のみなさん。授業や課外活動を通じて、生徒のみなさんと濃密な時間をともに過ごすことができた。うだつの上がらない教員ながらも、教えることは教えられることだと、痛感した日々であった。打算のない若い人だちと過ごした月日は、何より楽しく、私のかけがえのない財産である。生徒に負けない個性派ぞろいの保護者のみなさんにも、いつも励まされ助けられた。同僚の先生方には、授業にかける情熱や、生徒
たちの成長を辛抱づよく見守る姿勢を学んだ。妥協なくとことん意見を交わす職員会議では、その迫力に圧倒されることもあったが、自分の意見をしっかりと表明すること、別の意見にもよく耳を傾けることの大切さなどを教えられた。そのような民主的な価値を大事に守りつづけている職場の一員であることは、私のささやかな誇りであった。≫(略)

(中学校副校長 堀内)