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〖ほりしぇん副校長の教育談義〗(5)学校は何のためにあるのだろう?

中学校ニュース
*日々感じる中学生の姿、中学校での学びについて考える連載〖ほりしぇん副校長の教育談義〗第5話目をお届けします。毎週土曜日の10時に配信しています。

(中学校副校長 堀内雅人)

5 学校は何のためにあるのだろう?

中学校は、何のためにあるのでしょうか。今の時代、ネットで多くの情報を得ることができます。SNSで多くの世界中の人とつながることも可能です。大学の授業さえ、ネットで受講することが可能な時代になってきています。好きなことを好きな時間に自分のペースで受講することができるわけです。そこでは、煩わしい人間関係で悩むこともありません。いじめも不登校という概念すらなくなるでしょう。

確かに今後、これまでの小中高、そして大学へと、入試に対応するための勉強という形から、さまざまな学びの形、道筋が生まれてくることでしょう。これまでは、もしかすると中学校に通う目的など深く問い直されることはなかったのかもしれません。義務教育だから。社会に出たときに常識として知っていなければいけないことを学ぶため。それは当たり前のこととして、受け入れられてきたように思うのです。

しかし、学びの場が学校以外にこれほど広がった現代、改めて学校の存在理由が問われます。特に中学校の意味とは何なのか、ここで考えてみたいと思います。それは、どういう学校にしていかなければならないかを考えることでもあります。


私は現代の中学校の役割は、自分が将来どう生きていくか、どういう進路を選ぶか選択するための基礎的な力を身につけることにあると思います。そのためには、バランスの良いカリキュラムが必要になります。芸術教科の大切さを思います。世界の広さを知る必要があります。自分としっかり向き合うことを学ばねばなりません。入試に対応するための合理的なカリキュラムが、バランスが良いとは思えません。こと中学校においては、選択授業を多くし、自分の好きなものを勉強することが、誰にとってもいいことだとも思いません。そもそも中学時代に自分のことをどれだけ分かっているのかと思うのです。小学校時代のちょっとした出来事から、苦手意識を持ってしまったということもあるかもしれません。勉強そのものではなく、それを教えてくれた先生との相性が悪く、それを理由に授業にきちんと向き合えなかったということはありませんか?

中学時代に自分の好き嫌いを決めてしまうのは本当にもったいないことだと思います。それは、自分の可能性を狭めてしまうことでもあります。まだまだ経験していないことがたくさんあるはずです。本気で挑戦してもみないで、面白さが感じられるはずはありません。やってみなければ分かりません。それは親のためでも、先生のためでもありません。そして面白さを感じたとき、人はもっと頑張ることができます。

だからこそ先生は、面白い授業をしなければなりません。もちろんそれは、芸人さんのような面白さを期待しているわけではありません。学問することの面白さを伝えることです。驚きと発見のある授業です。できるできないという評価軸だけではない、対話のある授業場を目指すことです。生徒の好奇心に応えることのできる授業に出会ったとき、生徒は大きく成長します。だからこそ小学校時代の担任の先生と違い、教科ごとに先生が次々に変わる中学校の専科体制が意味を持ちます。このようなさまざまな出会いがあって、はじめて自分は何が本当に好きなのか、どのような道に進んでいきたいのか、おぼろげながらでも考えるスタート地点に立つことができるのだと思います。

そしてもう一つ、多様な人と一緒に考える、共に何かに取り組むという経験をすることも学校の役割として大きなものです。学校ではクラスに所属することになります。その教室で出会うクラスメートは自分で選べるわけではありません。これもまた、好き嫌いで選べるわけではないのです。この自分とは違う価値観を持ったクラスメートとの出会いは、時に悩みの種ともなるでしょう。当然です。皆と仲良くなどというのは、きれいごとに感じてしまうでしょう。大切なのは、友だちか友だちではないか、好きか嫌いかの二つにはっきり分けることはないということです。もちろん好きな友だち、嫌いな友だちはいることでしょう。でもそれはほんのわずかなはずで、そのどちらでもない人たちが実はほとんどなのだと思います。その人たちとどう接していけるかの方が重要だと思うのです。そういう人のことを含めて友だちと呼んでもかまいませんが、どちらにしても二元論で考えると苦しくなります。相手とどういう距離感で接するか、実は友だち関係の悩みは自分が変わればうまくいくことがほとんどです。自分が変わるというのは負けではありません。強さです。

論語に、『知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ』ということばがあります。山にはどっしりと落ち着いていて、いつもと変わらぬ安定感というイメージがあります。ぶれることのないやさしさと強さというイメージも加わります。では、山に対比される水にはどのようなイメージがあるでしょうか。中学1年の授業で生徒と考えたことがありました。「生きていくために必要なもの」、これでは対比になっていません。「山と違って動く」、「入る容器によって形を変える」、「小さな穴があっても、別の場所に移動できる」。水には自由なイメージがあります。その場の状況や相手によって、自分の形を変えながら行動する臨機応変さと豊かな知恵があります。ここで誤解してほしくないのは、自分の形を変えることが必ずしもずるいことではないということです。相手をだましたり妥協しているのではありません。水はどんな容器に入っても、どんな速さで流れても水であることに変わりはありません。自分が自分であるために自分を変えることのできる人こそ「知者」と言えるのではないでしょうか。

(*次回は8/7配信予定です)