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〖ほりしぇん副校長の教育談義〗(15)常識を疑うことの大切さ

中学校ニュース
*日々感じる中学生の姿、中学校での学びについて考える連載〖ほりしぇん副校長の教育談義〗(毎週金曜配信)第15話は、「常識を疑うことの大切さ」です。

常識を知ることは大切です。しかし、なぜ?に答えられない常識は思考停止の産物かもしれません。普遍的な常識がある一方、多くの常識は時代とともに変化していきます。文化によっても常識は変わります。考え続けることが大切です。薄っぺらな常識論を振りかざす大人を子どもたちは鋭く見抜きます。ますますグローバル化するこれからの時代、常識を疑うことの大切さを考えてみたいと思います。

(中学校副校長 堀内雅人)


15 常識を疑うことの大切さ


実は中学生というのは、きわめて道徳的な判断をする時期なのだと感じます。小学生はもっとかもしれません。純粋な彼らは、そうでない現実との間で大人不振に陥ったり、自分の殻に閉じこもってしまったりすることがあるように思います。私は道徳的な正論は子どものうちに身につけておかなければならないと思っています。と同時に、「果たして本当にそうなの?」という問いをたて、思考を深める訓練が大切だと思うのです。

よく「自分のクラスでは、特活の時間に生徒たち自身が話し合って必要なことは決めることができている」といった担任の先生の意見を聞くことがあります。確かにそのクラスはその通りなのかもしれません。でも、全てがそうとは思えません。むしろ私はそんな言い方をする先生に危惧を覚えます。一人一人が自分の意見を言いつつ、一つの方向に収束し、クラスの決め事ができていくというのは極めて高度なことなのだと思うからです。プロの政治家が集まる国会の様子を見ていても分かります。

特活の時間に、例えばクラスのもめ事を話し合おうとするとき、多くのクラスではまさに多数派の正論が幅を利かせてしまうのではないかと思うのです。そのときに少数意見が正当に取り上げられるだろうか。逆にそういう声が出ないような関係性ができあがったクラスが落ち着いたクラスであると表面的に評価されたりする。うがった見方にすぎるでしょうか。


週1回の国語の授業で、ある年私は1年間を通し、「名言を探せ!」と称し、私が探した名言を紹介したり、逆に生徒から紹介してもらったりということを行いました。次の3つの文の(  )の部分に入る言葉を探してみてください。


A 『正義の反対は悪なんかじゃないんだ。正義の反対は(  )なんだよ。』

<『野原ひろしの名言集』>



B 『正論は正しい。だが、正論を(  )にする奴は正しくない。』

<『図書館戦争』有川浩>


次は、生徒が持ってきた名言です。

C 『「せいぎ せいぎ せいぎ せいぎ……」と歌っていたら、その中にたくさんの(  )があったのです。』

<SEKAINOOWARI 深瀬 慧>


(  )には何が入るでしょうか。授業の中では原作を超える名文を完成してみようと声がけするのですが、いろんな意見が出てきます。そして中1のどのクラスでも、原作の言葉とほぼ同じ意味の言葉を見つける生徒が出てきます。Aは(また別の正義)、Bは(武器)、Cは(犠牲)。正論を知ったうえで、その先にあるものを思考しようとするとき、より深いところに行けるように思うのです。

世間の常識を知ることは大切です。しかし、「正義」という言葉や正論は、思考停止をまねくのです。それは正論として掬い取れない大切な真実に蓋をかぶせます。一見対立する両者の意見からより高い次元の議論へと発展させるきっかけを奪います。表面的な正論や常識は多数が支持するか否かで揺れ動きます。思考することの自由からどんどん離れていきます。

まずは疑問を持つことです。分からないことは分からないと言えること。おかしいと思ったら、なぜそう思うのか立ち止まって考えてみること。そういう人たちがこれからの時代を切り拓いていくのだと思います。