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〖ほりしぇん副校長の教育談義〗(27)国語の授業『走れメロス』(太宰治)④王様視点の一人称視点で再話する

中学校ニュース
新年あけましておめでとうございます。本校では今日8日が3学期の始業日でした。今年こそ穏やかな年となることを願っています。本年もよろしくお願いいたします。

さて、昨年7月より毎週土曜日に連載を開始しました〖ほりしぇん副校長の教育談義〗第27話をお届けします。中学校の定番教材である『走れメロス』の実践報告の4回目(最終回)となります。

今回の指導要領の改訂では、実用的な文章を読むことに重点がおかれ、文学教材が端に追いやられていく方向になっています。そこには、文学の授業が論理的ではなく、生きていく上で役に立たないといった誤った認識があるように思います。もちろん、一部の授業には何を学ぶかがはっきりしていない、単に文学が好きなもの同士が分かりあっているだけといった批判を受けても仕方のない状況があるのも事実です。しかし、本来の文学の授業とはそのようなものではありません。豊かなものです。生きていく上で大きな力になるものです。さらに、同じテキストを読みながら、教室では根拠を挙げながらの対話が生まれます。いかに論理的に考え、説明できるかが問われます。今日は、『走れメロス』の実践報告の4回目(最終回)となります。

(中学副校長 堀内)


④王様視点の一人称視点で再話する

◇「一人称小説」と「三人称小説」

・「語り手」とは? ・「語り手」の位置  ・「視点」を意識する

◇「会話文」と「地の文」

・「地の文」は、語り手が語っている。

◇(課題)山賊の出現は王の命令によるものか? (意見交流)

◇メロスの心理の変化

以上のポイントについて、教室で共同の読みをしていった後、次のようなまとめの課題を生徒に提示しました。


◆〔まとめの課題〕

太宰治の『走れメロス』を王様視点の一人称小説で書き直してみよう。(以下は、生徒への私からのメッセージです)


「7年の3学期に『少年の日の思い出』を学習した際、まとめの課題として、“ぼく(客)”の物語を“エーミール”の視点から書き直してもらいました。同じできごとであっても、どの立場から語るかによって全く違う物語になってしまうことを経験したと思います。“ぼく”は“エーミール”の本当の気持ちは分かりません。想像するだけです。そしてその想像が全く見当違いのことだってあるのです。“ぼく”には、自分の言ったなにげない一言がエーミールの気持ちにどんな影響を与えたかなど、冷静に考える余裕はなかったでしょう。自分が精一杯の時、人の気持ちなど想像できるはずはありません。

今回は『走れメロス』です。主人公はメロスのようですが、この物語で一番変化した人物は、実は王の方です。なぜ彼の心は変わったのだろう? いったい彼はどんな悩みを抱え、何を求め、多くの罪のない人を殺していたのだろう? “人を信じられない”というのは、王様だけの問題ではなく、現代の僕らが多かれ少なかれ抱えている現代的なテーマのような気もします。そうです。メロスの心理より王様の心理の方が複雑で深いのです。読者である君たちに、その王ディオニスの人間像をつくりだし、彼の立場から物語を書き直してほしいのです。“罪のない人を殺している”事実は変えられません。ただ、どんな気持ちでそういうことをしているかは自由に考えて下さい。メロスとの会話も実際に彼の口から出たものです。しかし、言葉と心は必ずしも一致しません。表情やしぐさに本心があらわれることはありますが、王を100%悪だと思いこんでいるメロスにそれが見抜けるとも思えません。だとすれば、メロスに見えていない王の姿(しぐさ、表情、心理、つぶやき等)を新たに書き加えてもいいわけです。

山賊を手配したのは、果たして王だったのでしょうか。結末で王は、本当に改心したのでしょうか。それが唐突ではなく、必然であるためには王様の心理が十分語られていなければなりません。メロスが戻ってくるまでの2日間のディオニスをどう描くか。セリヌンティウスとの会話はあったのか。あったなら、何を語っただろう。あるいは、独白の形で表現してもいいわけです。

大変な作業になりますが、小説を書くつもりで取り組んでみて下さい。」


◇授業を終わって

私にとっては、非常に刺激的な授業となりました。と同時に、それまで長い間この定番教材の限界を深く分析もせず決めつけ、表面的にこの作品を語っていた自分を反省せずにはいられません。教材の価値は、学習する内容と同時に、作品と学習者の間でどんな火花が散るかで決まるのでしょう。

私の目を開かせてくれたのは、初読の後10分程度で書いてもらった短い感想です。今、それを読み直すとき、ほぼ大切な読みの種子がその中に含まれていることに気づきます。目の前の生徒たちの持っている感性を知らず知らず少し甘く見ていた自分が見えました。それは長年の教員生活の中でかたくなってしまっていた筋肉が少しほぐれたような感覚に似ています。

ともあれ、授業は生徒の読みの交流で基本的に進めることができました。授業の後の休み時間に、小声で「僕、ディオニスに似ているかもしれない」と言ってきた生徒がいました。授業の中でも、そんなつぶやきをしている生徒が何人もいました。メロスや王様について語りながら、自分と重ね合わせ、友情の難しさについて思いをはせている生徒が少なからずいたとするなら、大変嬉しいことです。

まとめの課題は、力作がいくつも集まりました。中2の2学期末の提出日に間に合わず、中3の4月になって大作を持ってきた生徒がいました。評価のためではなく、純粋にこの作業を楽しんでくれたのだと思います。とてもうれしいことです。


(参考)

生徒の再話作品をご紹介したいところですが、どれも大作です。ここでは、2名の生徒のほんのさわりの部分だけをご紹介します。『私も書いてみたい!!』という人が現れれば嬉しいです。

Y.N.さん(王様に寄り添った三人称小説)

「あのメロスという男—随分と簡単に言ってくれるわ—人を信じるなど—できるわけがない。―メロス、お前は裏切られたときの気持ちを知らない。それはとても腹立たしく—哀しいのだ。」

かの有名な暴君ディオニスは部屋で一人、つぶやいていた。

“殺すのが悪いことだとはもうとっくに分かっていた、分かっていたのだ……あいつがいけないのだ……” こういう時、王はみけんにしわを寄せている。そして、このしわは家来などがいつも見ている時より何倍も深い。王は深いため息をつき、部屋を出た。

“そういえば、メロスの代わりに牢屋に入った愚か者がいたな。竹馬の友と言っておった……どんな顔をしているか気になる、見てみたい。”

王はさっさっと歩くと、セリヌンティウスのいる牢屋へと向かった。牢屋につくと……



M.K.さん(王様による一人称小説)

「何をしている!」階下から警吏が怒鳴る声が聞こえた。すると臣下が何人かバタバタと駆けてきた。

「王様! メロスと名乗る男が、城に乗り込んできました。」「しかも、懐中からは短剣が出てきたとか。」臣下たちは口々にそう言った。わしは皆を指し、

「わかった。そのメロスとかいう男をわしの前に連れてこい」と返した。

しばらくして、メロスはわしの前に引き出された。まだ若く、見るからに世間知らずな男に見えた。しかし、この町に住んでいる、わしに抵抗する者たちとは、それだけではない違いがあった。何も企んでいない、計算していない、真っ直ぐな瞳をしているとわしは思った。

「この短刀で何をするつもりであったか、言え!」そう言うとメロスは……


☆次回は、重松清「千羽鶴」を中学生がいかに読んだか、ご報告します。