【この人に会いたい!】畠山澄子さん「被爆者と世界を旅して〜核兵器のない世界のために私たちができること」
中学校ニュース
11月9日(土)に8・9年生を対象に、国際交流NGOピースボートの共同代表の畠山澄子さんをお招きして、お話を伺いました。
畠山さんは、核のグローバル史、科学技術と社会論を専門とし、TBS「サンデーモーニング」のコメンテーターとしても活躍されています。今年の夏に、明星学園とピースボートの共同企画として行った国際交流クルーズにコーディネーターとして関わってくださいました。その夏のプログラムに参加した8年生数名がクルーズ内で行われた畠山さんの「核兵器はなくせる」という講座のお話に心を打たれ、「ぜひ学校のみんなにも聞いてもらいたい!」と企画書を書いて畠山さんに声掛けをし、今回の企画が実現しました。今回は、その3人が司会・進行も担当してくれました!
畠山さんが核兵器の問題に関心を持つようになったのは、高校を卒業してすぐに乗ったピースボートで、被爆者の方たちに出会ったことがきっかけだったというお話から始まりました。「いろいろな国に行って、いろいろな人に会いたい!」と乗ったピースボート。その船には、広島・長崎の被爆者の方たち100人が招待されて一緒に乗っていたそうです。畠山さんは、そこで何人もの被爆者の方と知り合い、それぞれのお話をたくさん聞いたそうです。そのことで、「キノコ雲の下に、この被爆者の方達がいたんだ!」ということに気づき、世界の見え方が変わったそうです。被爆者の方からの「世界のどこであっても同じことは起きてはいけない。何があっても核兵器は使ってはいけない」という話を聞き、自分にもできることがあるのではないか。被爆者の方たちの強い願いをその続きを自分がつなげていきたい、被爆者の方たちが「語っても良かったな」と思えるようにしたいと考えるようになったのが、この問題と取り組むことになった出会いとなったそうです。
そこから、1987年には7万発まで増えてしまった核兵器を有する世界の中で、どうやって最悪の事態を避けるかという視点で、1968年核兵器不拡散条約ができ、さらに2017年には核兵器禁止条約ができました。この条約ができたことの意義、そして、これからの課題を丁寧に、でも熱く語っていただきました。お話が終わってからも、中学生たちから真剣な質問が相次ぎ、畠山さんもその一つ一つの質問に、本当に誠実に応えていただきました。
畠山さんが被爆者に出会って、核兵器の問題に関わるようになったように、今回、夏のピースボートで畠山さんに出会った8年生が、核兵器の問題に関心を持ち、この時間が実現しました。こんなふうに自分のアンテナに引っかかったことから、自分ができることを見つけて行動にうつしてみる。そんな一人一人の一歩が積み重なり広がっていくことは、なんて素敵なことだろうと思いました。核兵器の問題を通して、どんな世界がいいのかを一緒に考えていけるきっかけをたくさん投げかけてくださった畠山さんに感謝の気持ちでいっぱいです。どうもありがとうございました。
畠山さんのお話を聞いて、8・9年生からたくさんのメッセージや感想が寄せられましたので、一部を紹介します。
★その時、選ばれていなかったら今のすみちゃんはいないのかも。そして、その時、被爆者の人がいなかったら、その時もまた、すみちゃんはいない。そう思うと、たまたまというか、すごい奇跡だなあ。そして、この世界に触れたことで、何度も何度も世界観が変わるのは良いことだと思う。そして、3000倍って…。3000倍って……。なんでそんなものを強化することにお金を使うんだろうか。これほどの無駄使い初めて見た。でも、120国以上が賛成しているのは進展だと思うし、「絶対無理」みたいにあきらめるのではなく、何かすると、本当に何かが起きるっていうことがあってすごいと思う。
★「ただの雲じゃなくて、その雲の下に私たちと同じ人がいると思ったら、世界の見え方が変わる。」という言葉が刺さった。1つ1つの国が強くなくても、たくさんの国が集まって団結することで、核兵器をなくすことができる。自分が実際に体験していなくても、共感するのも大切だとわかった。国単位で見ると、こわい印象かもしれないけど、実際、その人たちに会えばそんなイメージはなくなるのかなと思えた。
★核兵器で傷つけられていたのが日本のほかにも地球上に実験などでケガをした人がいるということが驚いた。また、小国ひとつひとつでは、大国にはかなわないが、まとまって団結すればかなわせられるということが可能としたのが心に残った。(国連での交渉でのN P T など)新たな争い方(言論)などで戦う。日本がT P N Wに署名していないことについて、かなり危機感を持った。日本の会社が核兵器をつくる会社に金を貸していないということは、とても名案だった。人の気持ちを考え、行動することが大切だと思った。
★今の核兵器のある世界をどう戻していくかっていうのが印象に残った。最初から核兵器があったわけじゃないんだなと思った。核兵器禁止に向けて日本がリーダーとなるためには、新しい世代の自分達が学んでいく必要があると思った。核兵器禁止条約に日本、入ってほしい。そのために1人1人の署名や活動が大事になると言っていたから、そういう場があれば協力したい。核兵器をつくる会社にお金を出さなければ核兵器をつくらずに済むという考えに賛成した。自分が思うことを口にしていくことに意味があるというのが心に残った。
★日本は唯一の被爆国なのに条約に入っていないのはびっくりしました。結果、日本はアメリカに守られて入るけど、自分の首を絞めているようなものだと思いました。だから、日本も何かしらの努力をしないとこの現状は変えられないのでは?とも思いました。自分も被爆者の方々が、核兵器はなくした方が良いと広めていたことは知っていたけど、どうせ言っても何も変わっていないと思っていました。だけど、今日、畠山さんの話を聞いて、条約ができていたり、世界を回って他の国にもこの話を伝えたりと、自分が思っているようにもこの状況が進んでいることを今日聞いて初めて知りました。だから、話を広めることは本当に大事なのだと知りました。それに、被爆者や日本のためと勉強できるのは、本当に尊敬しました。お話を聞けて良かったです。ありがとうございました。
★畠山さんのお話を聞くまで、核兵器とは、「日本のみが被爆したもの」であり、「命」をうばってしまうからいけないものだと思っていました。ですが、話を聞いてみると、「日本のみ」でもないし、「命をうばうから」の理由ひとつのみでいけないとされているものではないことを知りました。私は、広島にも長崎にも行ったことがなく、また、被爆者の方と会ったこともなかったので、原爆とはニュースで見る以外まったく自分に関係ないものでした。自分にとっては「いけないもの」だと理解しているから、協力できることがあればするけど、進んでやるほどじゃないという心境で、もし今回このお話を聞いていなければ、ずっとそんなあいまいなままだったと思います。畠山さんのお話を聞いて、核兵器・被爆者の方について、正しく理解することができたので、これからはまったく違った目線で見れると思います。
畠山さんは、核のグローバル史、科学技術と社会論を専門とし、TBS「サンデーモーニング」のコメンテーターとしても活躍されています。今年の夏に、明星学園とピースボートの共同企画として行った国際交流クルーズにコーディネーターとして関わってくださいました。その夏のプログラムに参加した8年生数名がクルーズ内で行われた畠山さんの「核兵器はなくせる」という講座のお話に心を打たれ、「ぜひ学校のみんなにも聞いてもらいたい!」と企画書を書いて畠山さんに声掛けをし、今回の企画が実現しました。今回は、その3人が司会・進行も担当してくれました!
そこから、1987年には7万発まで増えてしまった核兵器を有する世界の中で、どうやって最悪の事態を避けるかという視点で、1968年核兵器不拡散条約ができ、さらに2017年には核兵器禁止条約ができました。この条約ができたことの意義、そして、これからの課題を丁寧に、でも熱く語っていただきました。お話が終わってからも、中学生たちから真剣な質問が相次ぎ、畠山さんもその一つ一つの質問に、本当に誠実に応えていただきました。
畠山さんのお話を聞いて、8・9年生からたくさんのメッセージや感想が寄せられましたので、一部を紹介します。
★その時、選ばれていなかったら今のすみちゃんはいないのかも。そして、その時、被爆者の人がいなかったら、その時もまた、すみちゃんはいない。そう思うと、たまたまというか、すごい奇跡だなあ。そして、この世界に触れたことで、何度も何度も世界観が変わるのは良いことだと思う。そして、3000倍って…。3000倍って……。なんでそんなものを強化することにお金を使うんだろうか。これほどの無駄使い初めて見た。でも、120国以上が賛成しているのは進展だと思うし、「絶対無理」みたいにあきらめるのではなく、何かすると、本当に何かが起きるっていうことがあってすごいと思う。
★「ただの雲じゃなくて、その雲の下に私たちと同じ人がいると思ったら、世界の見え方が変わる。」という言葉が刺さった。1つ1つの国が強くなくても、たくさんの国が集まって団結することで、核兵器をなくすことができる。自分が実際に体験していなくても、共感するのも大切だとわかった。国単位で見ると、こわい印象かもしれないけど、実際、その人たちに会えばそんなイメージはなくなるのかなと思えた。
★核兵器で傷つけられていたのが日本のほかにも地球上に実験などでケガをした人がいるということが驚いた。また、小国ひとつひとつでは、大国にはかなわないが、まとまって団結すればかなわせられるということが可能としたのが心に残った。(国連での交渉でのN P T など)新たな争い方(言論)などで戦う。日本がT P N Wに署名していないことについて、かなり危機感を持った。日本の会社が核兵器をつくる会社に金を貸していないということは、とても名案だった。人の気持ちを考え、行動することが大切だと思った。
★今の核兵器のある世界をどう戻していくかっていうのが印象に残った。最初から核兵器があったわけじゃないんだなと思った。核兵器禁止に向けて日本がリーダーとなるためには、新しい世代の自分達が学んでいく必要があると思った。核兵器禁止条約に日本、入ってほしい。そのために1人1人の署名や活動が大事になると言っていたから、そういう場があれば協力したい。核兵器をつくる会社にお金を出さなければ核兵器をつくらずに済むという考えに賛成した。自分が思うことを口にしていくことに意味があるというのが心に残った。
★日本は唯一の被爆国なのに条約に入っていないのはびっくりしました。結果、日本はアメリカに守られて入るけど、自分の首を絞めているようなものだと思いました。だから、日本も何かしらの努力をしないとこの現状は変えられないのでは?とも思いました。自分も被爆者の方々が、核兵器はなくした方が良いと広めていたことは知っていたけど、どうせ言っても何も変わっていないと思っていました。だけど、今日、畠山さんの話を聞いて、条約ができていたり、世界を回って他の国にもこの話を伝えたりと、自分が思っているようにもこの状況が進んでいることを今日聞いて初めて知りました。だから、話を広めることは本当に大事なのだと知りました。それに、被爆者や日本のためと勉強できるのは、本当に尊敬しました。お話を聞けて良かったです。ありがとうございました。
★畠山さんのお話を聞くまで、核兵器とは、「日本のみが被爆したもの」であり、「命」をうばってしまうからいけないものだと思っていました。ですが、話を聞いてみると、「日本のみ」でもないし、「命をうばうから」の理由ひとつのみでいけないとされているものではないことを知りました。私は、広島にも長崎にも行ったことがなく、また、被爆者の方と会ったこともなかったので、原爆とはニュースで見る以外まったく自分に関係ないものでした。自分にとっては「いけないもの」だと理解しているから、協力できることがあればするけど、進んでやるほどじゃないという心境で、もし今回このお話を聞いていなければ、ずっとそんなあいまいなままだったと思います。畠山さんのお話を聞いて、核兵器・被爆者の方について、正しく理解することができたので、これからはまったく違った目線で見れると思います。
(国際交流委員会:高山・小畑)