「明星精神」―赤井米吉

大草美紀(資料整備委員会)

明星精神
赤井米吉 
 暁の明星と宵の明星がある。暁の明星は東の空がまだ紅に染め出ぬ時にやがて旭日が朗らかな光を空一ぱい輝かせることをさきぶれすべく現れる。偉大な未来を示すものである。
 宵の明星は地はたそがれて、夕映の空も暗にとざされる瞬間に輝き出る。物みなが静かな休みに入ろうとするとき、その暗と休みの彼方に明日の光と活動のあることを予告するのである。
 明星の子たちよ。若き人々よ。我等は過去に何物も持たぬ
 我等の持つものは偉大なる未来である。輝く明日である。希望である。憧れである。前進である。明星の名にふさわしい心と働きを持とう。
 若者は心も身も純白である。清潔である。明星を汚さぬ様に務めよう。「濡れぬ先こそ露をいとえ」とある。露おく草叢に入る人々は最初は露に衣の裾の濡れるのを恐れる。一度濡れるとやけくそになる。いくら濡れてもかまわぬようになる。純真な人々がいつかあばずれになるのがそれである。若人よ、純白な心と身をいたわろう。一点のしみのつくのも惜む心であらねばならぬ。自愛、自重と云うのはそれである。心に思うことを口に発表して始めて明瞭な思想になる。発表のない思想はふ化しない卵である。人が言った後に「私もそう思っていた」と言う。だがそれは実はまだ半熟であったのである。言葉は実践して始めて生命となる。私たちの命は実践である。実践なき思想は宿なしのルンペンである。
 若き人々よ、お身たちは美しい音楽を好む。美わしい絵画にみとれる。だが自ら美しい音楽をかなで、絵を描くのは容易でない。美しいものを見て感ずることは誰にでも出来る。自ら美しいものを作り出すには苦労がいる。
 学校の仕事は兎角感心することなくして、自ら苦労して作り出すことの少いの弊におちいり易い。人を見て、物を見て感心ばかりしていたら、自らこれを行おうとしないのでは、この感心は役に立たぬ。人生の傍観者になってはいけない。
 道行く人は何千人見送っていても自ら歩かないでは永久に進まれぬ。 明星の子は希望の子であると共に実践の子でなければならぬ。
  『明星時報』22号(高等女学校機関紙) 1936年(昭和11)より

この記事をシェア