「自由こそ命」―寒川道夫(小学校教員)

大草美紀(資料整備委員会)

明星学園PTA会報『道』No.46 1959年6月27日発行より

自由こそ命
寒川道夫(小学校教員)
 Oさん、率直に学園の第一印象と疑問を語ってくださってありがとうございました。今回は、一言だけ、学園の教学精神という問題で私見をのべてみます。なお、くわしくは、いつでも幾度でも、どの先生にもお聞きください。私たちはそれを待っています。
 学園の教学精神の基本は、自由・平等・個性の尊重だと言います。何だ、それは近代社会における人間尊重の基本原則で、どこにも通用するお題目ではないかと言われそうです。
 しかし、お題目は死物では無意味、私たちは常にそれを本当に生かそうと努力しています。
 私たちは自由こそ人間の求める最大のもの、それを求めるために学び、働くのだと思います。自然や社会の束縛恐怖からの解放、自分で自分を縛る愚かさからも解放されねばなりません。それが私たち人間としての理想です。
 しかし現実には、自分の自由を求める事がほかの誰かの自由を奪ってはならない事です。個人の自由のために他人が犠牲にされては矛盾です。そこに集団の中で自由を求めるという努力が要求されてきます。自由を守るためにも、求めるためにも、組織団結が要求されます。集団学習、自治組織はそれを果す方法です。我々と違い、強く意志的です。
 子どもたちには、本当に強い自由への憧憬とそれを実現する努力的な魂を育てたいと思います。まだまだ非常に不十分ですが。
 次にコトバの問題。これは「古い教育新しい教育」をごらんください。念のため、お上品なコトバほど下品なコトバはないという事をもう一度申しておきます。

我が子の転学に想う
3年生の父・O
 三鷹の地に移ってから2カ月足らず、何か落ち着かないせわしい日々でありますが、木の香も新しい家に住み、転学かなった我が子の親身となり、朝には元気に通学する姿を2階の窓から見送ることのできるのは実に幸福をのものであり、今まで通勤に2時間余を費やし、朝早く帰りは子どもたちが床についた後で、子どものことは祖母や妻に委ねる外なかった当時にくらべ、今昔の感がいたします。
 当座子どもの転学は許されたものの未だ畳も建具も十分入らない家、周囲も皆目判らない土地から40分も要する明星学園へ通学する我が子に思いを馳せたとき、父の通勤のための犠牲となった子どもが小さき胸に社会と家庭に二つの役割を果たさなければならない大きな緊張を再び味はわせ不安定な状態におくことがふびんだった。実際夜などそれが苦悩の原因か、九九算の寝言を繰り返すほど疲れたらしい。子どもを田舎に残して行けとの周囲や親類縁者の転学反対を押し切り越してきただけに、不憫に感じたのかもしれません。
 転学については知人や先輩からの助言もあり、学校選定にいろいろ迷った揚句、子どもの自由をそのまま教育面に活かし、グループ指導による相互扶助の精神並びに向学精神発揚に徹する明星学園をえらぶことが、今まで子どもに負荷させたマイナス面をカバーできる唯一の愛情ではなかろうかと考えたからにほかならなかった。
 一生が苦悩の連続とはよくいったもので、子どもが通学して間もなく上京した祖母が自由参観のために学園を訪れての会話で、先生のお話しをきく態度、言葉遣い等がずいぶん悪く、気の小さい家の子どもなど悪く染まってしまうんじゃないかなど漏らしていたが、私の子どもの頃を考えあわせ恥ずかしいことだか困惑し、私の学校選定が間違ったのではなかろうかと今までの信念がくじかれるようだったが、反面、私の周囲の転学反対を助成する皮肉の言とも感じた。
 明星学園が、自由を尊重し、自主性、創造性、協調性を教育の骨子とされる指導の顕れであろうか、現在、我が子の明朗で、且つ健康的で日増しに学習意欲に燃え、親の助言もなく、独り机に向かうようになったのは本当に何にも換え難い喜びです。
 私も観念的ですが、今、子どもの、自由と躾の問題に就いて家庭ではどうしたら両面を損なうことなく指導し得るか、折に触れ両者のいだく矛盾を解きほぐして頂き、実際家庭教育に活かし、教養が実践を呼び、実践をくぐって育った教養を心より念じてやみません。(PTA会報No.46 1959.6.27)

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