「次の五ヵ年」―照井猪一郎

大草美紀(資料整備委員会)

次の五ヵ年
照井猪一郎
 明星が草深いむさし野の畑中に、新教育の産声をあげたのは大正13年(1924)5月。文部省が久しい沈滞を破って教育制度に大刷新を断行したのは、ずっと遅れて昭和16年(1941)。いわゆる「国民学校案」なるものがそれで、その殆どがわれわれ私学が長年に亘って研究し実践してきた成果を、性格をかえて転用したものであった。
 われわれは常に日本の教育の先頭に立たされて、その啓蒙開発に努めて今日に至ったので、その意味では一応その役割を果たしたといえないことはない。
 今年は創立35周年に当るので、数えでは36年目ということになる。36年――それは人生でいえば働き盛りの壮年期に当る。人間にはこの期を頂点として下り坂となり、やがて老衰して行くが、学園は教育の場であるから、永遠に成長し、発展し、常に新鮮であるべく約束づけられている。
 今日われわれは、嘗(かつ)て新教育と呼ばれた当初の目的は充分に達成され、高く評価もされているが、われわれは徒(いたず)らにそこに安住すべきではない。それは先駆者の宿命である。
 36年前の鮮やかな出発に比して、今日のわれわれに社会がはたして同質同量の魅力を以て迎えてくれるかどうか。映画やラジオも普及せず、テレビもなかった大正末期でこそ、学校は教育の殿堂であり、教師の技術が高く輝きもしたろうが、月の裏側が覗かれ、ロケットが到達し、数年後には人間を乗せて成層圏外の軌道をまわる航空機は既に設計されつつあるという今日、果たして教育の実際がそうした事実を計算に入れて企画されているかどうか。
 36年来伝承し、改良を加えて来た私たちの新教育ではあるが、予想も出来ない急テンポな最新文化に密着して歩みつつあるかどうか。
 あえて明星といわず、日本といわず、世界中の教育はその理念にも方法にも思い切った切りかえを遂げなければ、時代の波底に沈潜してしまいはしないだろうか。
 誰にでもわかることは、教育の効率を高めるためには「無駄と臆病をとりのぞいた高能率な教育方法によらなければならない」ということである。
 明星の場合でいうならば、従来のままではたして小、中、高12ヵ年を通した一貫教育が円滑に行われているかどうかである。単に地域を同じくし、一段階ずつ進学出来るというだけなら、イージーゴーイング以外の何物でもない。
 12ヵ年の区分の仕方と、原理原則、それに伴う教科の課程の改廃、教科の内容の修正、家庭学習のあり方、児童生徒の能力負担合理化、教科外活動の指導、見学プランの統一、有効適切な共学の運営、自治会のもち方、担任教師の能率的配置、それら何一つとりあげても多様の問題が内含されてよりよい解決を待っている。
 今私たちは5ヵ年計画を立ててこれらの一つ一つと取り組んでいる。そして昭和39年(1964)――明星創立40周年までには、一応の骨組みは終りたいと急いでいる。
 これが充分な肉付けを完成するためには、今後多くの人たちによる長い努力を要することではあるが、それなしには明星の教育的使命は考えられない。(後略)
「明星」三十五周年記念誌 1959年(昭和34)9月・『残照』所収

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