「赤井の日記より」(1930年4月4日、新学期最初の職員会議発言の草案)
大草美紀(資料整備委員会)
赤井の日記より(1930年4月4日、新学期最初の職員会議発言の草案)
一、天下、学校実に多い。その中へ我々の学園が出現したのは何の為であったか。文部省の定めるところのものを克明に実現しようとしてならば何もこう苦んでこの学園を建てる必要はなかった。実に新らしい時代が要求する教育を実現せんが為であった。その為には文部省のものにも囚われず、厳密な批判を行って行かねばならぬ。勿論敢て異をたつる必要はない。然し、研究、実験の労をさけ、既成の教育に追従するのは学園の堕落である。深く慎まねばならぬ。その為には常に研究的態度をもって教材に、教法に研究をおこたらぬ様でなければならぬ。
二、児童の研究はその結果を残す様にして欲しい。教育の研究は一回的で、同一の児童に対して二様の研究をなすことは出来ない。従って前人の研究を後人が参考とすることによってのみ稍(ようやく)確実性を帯びるのである。故に学園の内部に於ても同人の研究を互に実施、批判することによって学園の進歩が期せられるのである。又、社会に対し、一般教育界に対してもそれが幾分の貢献をなすのである。
三、教育に於て何よりも大切なのは、児童を見ることである。教育そのものに於ても、教育研究の為にも、児童を見ないで、概念的に仕事をしていては何物も生み出すことは出来ぬ。日本教育の行詰りは、結局教師が児童を離れる為である。教室に於て、運動場に於て、一層児童に親しまれんことを切に希望する。授業だけで、あとは職員室に閉じこもる様なことは絶対にさけなければならぬ。(後略)
中野光著『教育改革者の群像』(1976年国土社)「沢柳精神の継承者」より