「親・教師・人」―上田八一郎
大草美紀(資料整備委員会)
「親・教師・人」
上田八一郎
私の娘は女学部に、息子は小学部に通っている。そして私は二人のためにこの小さなマッチ箱のような明星が此の上もない結構な生活の場所であると信じている。処が一面、鉄筋コンクリートの学校にさえ通わせて置けば安心が出来、又、大定員の学校に入れてさえおけばお互に揉まれ磨かれて自然に玉となるかのように聞かされると、私もなるほどと一応は頷いてもみるが、さて静かに考え廻らすと、団体的訓練や社会意識の養成は、いかにも大定員学校の特権であるかのように思われるが、実際の処、内から発する自得の力でなくて、外から強制的に鍍金されたものとしたら、その瞬間だけは綺麗に見えても、いつかは剥げる。外から揉まれ磨かれた玉といっても硝子玉であり、飴玉は飴玉である。
一体、世間では学校教育に余り価値をおき過ぎる傾向がある。私の短かい教師生活から考えてみても、学校教育の力というものは誠に微々たるものであって、子供の一切合切を学校に一任して安心している親があったら大変な間違いである。尚、又、貴方のお子様は
私が責任を以てお引受け致しますなどと大きな口をきく教師がいたらその教師はよほど偉い人か、でなければ‥‥‥(一寸うまい言葉が出て来ない)。ごまかされてはならぬ。親切そうにみえて一向親切でない学校があり、不親切に見えて、とても親切な学校もある。元来親切そうな教育というものは生徒の成長には甚だ迷惑なものである。設備が完全であり標本が沢山あれば、それだけ親をごまかす力を持っている。然し私の経験では充ち足りると倦怠が来たり、教育堕落の第一歩を踏み出す恐れがある。足らざる処に何かを以て補わんとする努力が起り苦しみが生れる。ホントの教育はこの見えざる処に行われるものではないだろうか。
永らく働いて来た官位に飽き、標本も掛図も極めて乏しいこの明星に逃げて来た私は、何物にも屈託せず、只管(ひたすら)、時間と空間とを超越して行く一人娘と、毎日ズボンの尻を泥だらけにして駈けずり廻っている一人息子とを眺めて、ホッと一息入れている形である。何も要らない、井の頭の自然の水と空気とホコリとだけで、もう沢山である。
1932年(昭和7)
(『上田八一郎先生生誕百年誌』所収)