シリーズ:「明星学園史研究会」プロローグ 概要
大草美紀(資料整備委員会)
明星学園史研究会は、長く小・中学校の校長を務めた依田好照先生を中心にして、明星学園後援会の方々や元教師、現役教師、保護者、卒業生などさまざまな人たちが集って開かれた明星学園を知るための勉強会です。
1999年4月の第1回から2006年5月まで、38回開かれました。
毎回1テーマに絞り、また話しきれなかったテーマは別の機会に再度話されたこともあり、個別のテーマについては学園で残してきた学園誌『明星の年輪』より、さらに詳しい内容が話されたこともありました。
全ての記録が残されていないのが残念ですが、依田先生から学園資料整備委員会に寄贈された過去の記録を元に、記録のデータ化とあわせて少しずつ紹介してまいります。
依田好照
「明星学園史研究会」について
2005年2月稿
(1)研究会を始めたわけ
私は1998(平成10)年3月、明星学園を退職しました。退職時、照井猪一郎校長に拾われてから41年間(うち小・中学校校長15年間)の学園生活を顧みて、やり残した仕事や、受け継いでいってもらいたい仕事のことがいくつも心にかかっていました。そのひとつは、明星学園の歴史を正しく、もっと広く、もっと多くの人たちに伝えねばならないということでした。
校長在職中、私は赤井米吉先生をはじめとする創立者たちの思想と実践について、また、小さな学園ながらつねに日本の教育の開拓者として、真の人間教育の実践者として大きな役割を担ってきたことについて、教職員、父母、子どもたちに繰り返し語ってきました。また、学校説明会に集まる人たちにも、この混沌とした日本の教育状況のなかで、現在の明星学園が果たすべき社会的使命について語ってきました。
しかし一歩外へ出れば、明星学園は世の中に正しく理解されているとはいいがたく、「明星学園? ああ無着先生の学校ですね」とよく言われました。また、事実とは異なる「明星神話」のたぐいが流布されていることも知りました。
外へ出ずとも、肝心の学園内部に大きな変化が進行していました。創立者の謦咳に接し、公立学校よりはるかに低い給料にも耐えながらふんばってきた戦中世代の教職員は退職するか物故するかして、戦後生まれの世代になってきました。父母の世代や階層も、ものの考え方も、家庭の状況も、時代とともに変わってきました。
世代交代は時のなりゆきで良い悪いの問題ではありませんが、教職員や父母の意識のなかに、永年にわたって築き上げられてきた明星の良き伝統、良き文化の認識がしだいに薄らいできたことは憂慮すべき事態でした。
学園の現在と未来を担う人たちに、もっともっと明星の歴史を知ってもらいたいと、切実にねがいました。歴史を知るということは、いうまでもなく、たんに古い昔の出来事を知るということではありません。私たちはどこから来たのか、いまどこに立っているのか、そして、これからどこに行くのかを真剣に考えることです。
世を挙げて教育改革が叫ばれている今日、明星学園の歴史を研究するのはきわめて重要です。創立の昔から、児童・生徒と父母・教職員・卒業生、さらに明星学園を支援する多くの人たちが力を寄せ合って築き上げてきた明星学園。そこには先人たちの「志」があり、骨身をけずりながら積み上げてきた研究・実践の蓄積があり、いますぐにでも活用できるノウハウも無数にあるはずです。
学園にはすでに『明星の年輪』という記念誌が3巻あります。そのうちの「50年のあゆみ」と「60年のあゆみ」の2巻は、学園の大先輩である原田満寿郎先生が心血を注いで編纂された労作です。(「70年のあゆみ」は実質、私が中心になって編纂しました。) また、広く日本の教育史のなかで明星の実践を位置づけた研究には、中野光先生の『大正自由教育の研究』をはじめ、すぐれた業績がいくつもあります。
私は、それらの業績に学びながら、さらに埋もれている史料を掘り起こし、誰にでも活用できるように整えておきたいと思いました。
そこで、理事会に提言し、退職後もときおり学園に出て、この仕事に取り組むことにしたのです。
まず、原田先生が蒐集し分類された史料を確認することから作業を始めました。(史料は理事室のいくつかのロッカーに収納されていました。)
その間、成城学園教育研究所には幾度も足を運びました。ここには、成城の史料はもちろん、大正自由教育に関する史料が大量に整備されていました。これにくらべて明星には史料室も展示コーナーもなく、理事室に眠っている史料も(原田先生の献身的なご努力にもかかわらず)じつに貧弱でした。このことは、明星の歴代の責任者が(私を含めて)いかに学園史の史料整備を怠ってきたかの証明です。
私は明星会会報の片隅を借り、卒業生の同級会にも出て、お手許の資料(史料)を貸してくださるか寄贈してくださいとお願いしました。反応はわずかながらありました。
これに力を得て、生きた史料である卒業生、新旧の父母・教職員たちからも証言を集めたいと思うようになりました。けれども、私ひとりの力は限られています。
そこで、卒業生、新旧の父母・教職員といっしょに明星学園の歴史を掘り起こし研究する会をつくりたいと思ったのです。
私はこの考えをまず奈良正博氏に話しました。
奈良さんは、卒業生ではありませんが、明星の教育のよき理解者で、PTAの会長も務めた方です。私とほぼ同年、東京大学独文科の出身で、映画の仕事を経て現在は演出家。奥様はピアニストで武蔵野音楽大学教授。ご夫妻は、たったひとりの大事なお嬢様のために、数ある小学校のなかから明星学園小学校を選んでくださったのでした。
時あたかも「学園騒動」のさなか。小・中学校長の遠藤豊氏が明星を辞めて別に学校を創設するということで、氏とともに数人の教職員が去り、無着さんも去り、PTAも大混乱。マスコミにも報道されて、応募者は激減しました。結局、入学した小学1年生は総員30名。定員(1学級36名、2学級編成)の1学級分にも足りないという有様でした。松井憲紀理事長(当時)の英断で、15名ずつの2学級編成でスタートし、年々転入生をふやしていきましたが、文字どおり学園は危機の真っ只中でした。
そういう次第で、私の校長1年目の小学校1年生と、奈良さんをはじめ保護者の皆様は、学園の危機を救ってくださった大恩人です。私はこの恩義を終生忘れることはありません。
明星学園の歴史を掘り起こし研究する会をつくりたいという私の提言に、奈良さんは全面的に賛成してくださいました。共通の友人の富谷久子さんも協力してくださることになりました。富谷さんも、たったひとりのお嬢様を小学校から12年間通わせ、PTA会長も務めてくださった方です。
いま、古い手帳で調べましたら、1999年2月12日(金)の夕方、下北沢の喫茶店で、奈良さん、富谷さん、私の3人で会っています。
会の名称を「明星学園史研究会」として、連絡先を奈良さん宅とし、富谷さんが案内作成、発送、会計など総務的な仕事を担当してくださることになりました。
こうして、その年(1999年)4月11日(日)、第1回目の集まりが吉祥寺の永谷シティープラザでもたれることになったのです。
(2)どんなテーマをとりあげてきたか
研究会開催の日程、テーマ、講師・リポーターは別表(下記に掲載)のとおりです。途中、私の都合で会の活動に支障をきたし、たいへん申し訳なく思っています。
これからは、年に何回か定期的に開けるよう努めます。
(3)会の組織と運営
会は自由参加で、固定した会員制をとっていません。会則もなく、会長もいません。明星学園の歴史に関心のある人はみな「会員」という考えです。
会場受付でお名前を書いていただき(参加者名簿とする)、参加者名簿にもとづき次回にご案内をさし上げています。
毎回、前半の第一部で講師やリポーターのお話を聞き、第二部で参加者がフリーに話し合うというかたちで進行しています。初めての方でも気がねなく参加できるよう会を碓営しています。(参加者は毎回およそ平均20~30名ぐらいです。)
会の記録は講師・リポーターの許可を得て、録音テープ(ときにVTR)に記録し、保存しています。当初は毎回テープを文字におこして印刷し、次回に配布していましたび、作業がたいへんなので、残念ながら現在は継続できないでいます。
第8回 / 2000年1月
女優志望の若い女性が見た戦中・戦後
講演者:馬場洋子さん
第9回 / 2000年2月
教科書『にっぽんご』
講演者:内藤哲彦先生
第10回 / 2000年3月
体験的 社会科
講演者:依田好照先生
第11回 / 2000年4月
体験的 社会科 PARTⅡ
講演者:依田好照先生
第12回 / 2000年5月
明星学園の教育改革4・4・4制を考える
講演者:依田好照先生
第13回 / 2000年6月
明星学園PTA考
講演者:奈良正博さん
第14回 / 2000年9月
明星学園後援会考
講演者:川連拡子さん
第15回 / 2000年10月
明星学園の歴史からその特質をどう捉え未来のイメイジをどのように構想するか
杉山博さん・阿部宗子さん・柳川敬子さん
第16回 / 2000年11月
いま学校で・小学校国語の授業
講演者:大野映子先生
第17回 / 2000年12月
講演者:いま学校で・小学校総合の授業
講演者:一瀬清先生
第18回 / 2001年2月
『教育基本法と明星学園』
講演者:依田好照先生
第19回 / 2001年3月
なぜ学校に音楽の時間があるんだろう
講演者:奈良正博さん
第20回 / 2001年4月
国語の授業から見る中学生のすがた
講演者:堀内雅人先生
第21回 / 2001年5月
なぜ学校に音楽の時間があるんだろう Ⅱ
講演者:奈良正博さん
第22回 / 2001年6月
もう一度『教科書』について考える
講演者:依田校照先生
第23回 / 2002年2月
霜田光一先生を囲んで
講演者:霜田光一先生
第24回 / 2002年3月
霜田光一先生を囲んで PARTⅡ
講演者:霜田光一先生
第25回 / 2002年3月
1930年代の明星学園
講演者:横田数弘先生
第26回 / 2002年5月
『さかだち学校』と明星学園
講演者:奈良正博さん
第27回 / 2002年6月
ことばの教育について
講演者:内藤哲彦先生
第28回 / 2002年9月
漢字教育への私見 Ⅰ
講演者:内藤哲彦先生
第29回 / 2002年11月
漢字教育への私見 Ⅱ
講演者:内藤哲彦先生
第30回 / 2003年3月
教育基本法『改正』のどこが問題なのか
講演者:内藤哲彦先生
第31回 / 2003年4月
明星学園行進歌はいつからなぜ歌われなくなったのか
講演者:依田好照先生
第32回 / 2003年6月
明星学園国際交流活動
講演者:伊勢誠先生
第33回 / 2004年2月
創立80周年を迎える明星学園の過去と現在から未来を想う
フリーディスカッション
第34回 / 2004年6月
明星における霜田静志の教育について
講演者:霜田光一先生
第35回 / 2004年12月
正しておきたい明星の“神話”
講演者:依田好照先生
第36回 / 2005年3月
私のなかの明星学園―明星は教育の原点
講演者:久保田宏明先生
第37回 / 2006年2月
いま、ガッパから受け継ぐもの
講演者:依田好照先生
第38回 / 2006年5月
私が受けた明星の教育―照井先生の思い出など
講演者:赤井英乃先生他3名
―後援会会報No.30より―
「明星学園史研究会」のこと(1999年4月24日)
依田好照(元小・中学校校長、元中学校社会科教諭)
私は昨年3月に退職しましたが、その後も学園史の勉強をつづけています。
その理由の一つは、かねがね、明星の歴史が世の中に十分理解されていない、それどころか間違った「神話」が流布されているようなので、これを実証的に訂正しておきたいと考えていたことです。
もう一つは、学園の現在と未来を担う人たち、学園を深く愛する人たちに、もっともっと学園の歴史を知っていただきたいとねがうからです。
歴史を知るというのは、たんに古い昔の出来事を知るということではありません。私たちはどこから来たのか、今どこに立っているのかを確かめ、そして、これからどこへ行こうとするのかを考えるためです。
私はもう学園の現場の人間ではありませんが、できうる限り正確な史料を集めて、誰でも活用できるようにととのえておきたい。世を挙げて教育改革が叫ばれている今日、明星学園の歴史的な研究はきわめてたいせつだと思います。
学園にはすでに『明星の年輪』という記念誌が三巻あります。そのうち『五十年のあゆみ』と『六十年のあゆみ』の二巻は、学園の大先輩である原田満寿郎先生が心血を注いで編纂された貴重な労作です。また、広く日本の教育史のなかに明星の教育のあゆみを位置づけた研究には、中野光先生の『大正自由教育の研究』をはじめ、すぐれた業績がいくつもあります。
私はそれらの業績に学びながら、さらに埋もれた史料を掘りおこしたい。何よりも生きた史料である卒業生、父母、先生たちからも証言を集めたいとねがっています。
そんなことを、いつか奈良正博さんとお茶を飲みながらの雑談のなかで話した折、奈良さんは「ひとつ、そういう研究会をやりませんか」と言われました。(奈良さんと私は同年代で、後援会の理事のなかでは黒二点という異色の存在です。)それは名案だと思いました。私は生来のものぐさで、〆切り間際にならないとエンジンがかからないタチですから(この駄文も〆切りに迫られて書いている始末)、自分を追いこんでいかないと学園史の作業も進まないと思ったのです。しかし気が重いことでもありました。
奈良さんは行動派です。なにしろ東宝撮影所の助監督だったころは組合の闘士で、臨時労働者全員を社員化させたという活動家。今でも“カツドウ屋”を自認する奈良さんは、舞台の台本、演出を数多くこなし、ペロー、アンデルセン、宮沢賢治の童話集のカセットブックを演出・製作するなど多忙。けれども明星に関することなら何はさておき行動するというこの“明星大好き人間”は、さっそく会場を探し、チラシをつくって、あちらこちらに配ってくれました。
《この会は「明星学園を強く深く愛する人々が自主的に勉強する」まったくフリーな勉強会です。私たちのもつ〈明星〉のイメージをより深め、より高くするための共同作業の場と御理解いただければ幸いです。》
会の進め方は、前半で私がレポートし、後半はみんなでザックバランに問題を提起したり話し合うということになりました。
こうして、第1回は4月11日(日)午後2時~5時、吉祥寺近鉄デパート隣の永谷シティプラザで開催となったのです。
第1回のテーマは「大正デモクラシーと教育改革者の群像」。前半では中野光先生の研究などに拠りながら、学園創立前夜の時代背景と、教育改革の先駆者(樋口勘次郎・及川平治など)の実践を紹介しました。むかしの私の授業と同じで脱線ばかりでしたが、それがかえって年配の方々には遠い日の記憶をよみがえらせ、若い人には現在の教育と対比する糸口にもなったようです。(でも、あとで録音テープをおこしながら、なんてオシャベリな奴だろうとあきれ、赤面しました。)
後半の第2部は、大正期に教育改革者が集中して現れたのはなぜかという問題や、人物評価をめぐる問題、今の日本の学校の問題などが出ました。いずれも簡単に結論が出るような問題ではありませんが、“老人力”がとみに発達してきた私にとって、たいへんいい刺激になり、勉強意欲がわいてきました。
後援会会長の川連さんは、トレードマークの大きな声で(遠くの席なのにテープには一番ハッキリ入っていました)ご自身の体験やご意見を述べられ、満場興奮のルツボといった様子でした。
第2回のテーマは「成城・明星・玉川・和光のなりたち」。5月15日(土)、この日は明星の75回目の誕生日です。
第3回は6月、照井猪一郎先生が苦心してつくった「新読本」を中心に教科書の問題をとりあげます。(それまでにこの会報が届くといいなと思っています。)
7、8月は研究会も夏休み。9月からは、
「北原白秋・武者小路実篤と明星学園」
「海へ山へ――寮生活のはじまり」
「戦時下も教育の自由を貫いたか」
などとつづく予定です。
毎回1テーマ、まったくフリーな会ですから、途中から参加なさっても違和感はないと思います。ただ、会場(人数)の都合がありますので、ご希望の方は早めに左記の奈良さんにご連絡ください。
(「明星学園後援会会報」No.30-1996.6.7発行に掲載)