高等学校
先生コラム
高校卒業式での「卒業生の言葉」にみる本当の「自己肯定感」の意味
先日行われた高校卒業式、何人もの先生から「行きました?」と聞かれ、「行けなかった!」と答えると残念そうな顔で「卒業生の言葉、聞いてほしかったな」と言われる。挨拶をした一人がスーパー内部生(小中高12年間在学)のため、小学校や中学校の先生からの反響が大きかったのかもしれないと思ったりしつつ、決まってその内容を語ってくれるのです。
そこで、中学校時代の元担任に事情を話し、文章を彼女から送ってもらうことにしました。何ともチャーミングな卒業の言葉でした。そしてそこからは明星学園が小学校から大事にしてきたであろう子どもに対する想いが届いていたのだと感じられ、嬉しくなりました。高校の先生のみならず小中の先生方が絶賛した意味がよく分かりました。
以下、一部を引用してみます。
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この学校には様々な生徒がいて、一人一人個性があり、得意なことがあり、それぞれの良さがあります。 そんな中でも私は絶対に誰にも負けないだろうということが一つだけあります。新体育館の女子トイレのスリッパを揃えた回数です。高校一年生の時から意識的に体育や部活の前後で新体育館のトイレを使う際は、必ず全てのスリッパを揃えるようにしていました。なのでかなりの数を揃えましたし、私が1番だろうと思っています。比較的綺麗な時も、とんでもなくとっちらかっている時もありました。
このスリッパを揃えた回数というのは公式に大会がある訳でもなく、何かで表彰される訳でもありません。ただ毎日続けただけのことでした。他人からは分からない、【勝手に自分でつけた順位】です。しかしこの行動は私の中で自分自身に一番の称号を与えることができ、人と比べてしまい劣等感を抱いていた時に大変役に立ちました。
学校という場はたくさんの競争があり、他者と自身を比べやすい環境かと思います。もちろん競争を経て高めあっていくという成長の場とも考えられますが、自分に自信をなくし、時には嫌いになってしまうという経験をした方も多くいるかと思います。私も結果を追い求め、周りと比較をし、自信を無くすことが月に二回くらいのペースでありました。自己肯定感の低さというのはなかなか厄介なもので、自分の今までしてきたことが全て無駄だったように感じたり、どのような言葉でも行動でも歯が立たないこともあります。そんな時に私はこの【自分でつけた順位】を思い出し「でも私はスリッパいちばん揃えてるしな!」という具合に自信を取り戻したりしていました。
私はダンス部でキャプテンを務めていたので、誰に1番目立つ位置で踊ってもらうかなど、たくさん1番を作ってきましたし、競争をさせた立場でもありました。しかし、目に見えるわかりやすい順位だけでなくそれぞれの部員にそれぞれの1番があり、その能力を最大限発揮するから面白い舞台になるし、部活として成り立ったと節目節目に感じるのです。
今はまだ誰かがつけた順位だけにこだわってしまう私たちかもしれないけれど、この世界はそれだけで成り立っている訳では無さそうです。そして、そんな時に実用的でわかりやすい能力や順位を除いたら自分には何が残るのかを考えてみたりします。少なくとも私にはスリッパが残っていました。
そんなわけでこの場をお借りして皆さんに私の体験と功績をお届けしたいなと考え、このお話をさせて頂きました。もしかしたら私がスリッパを揃えたことで誰かが躓かなくて済んだかもしれません。誰もが実は何かの一番で、それぞれの場所でそれぞれの力を発揮しているから、私たちは生きていけるのかも知れません。
この学校生活で見つけた自分の一番を、これからも発揮していきます。 (卒業生:ただまりん)
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文章を読んだだけで、卒業式会場の雰囲気が温かく和んだであろうことが想像されます。とてもやさしい言葉でとても深いことを述べています。同時に、私は卒業式2週間前にPTA主催で開催された講演会での田中優子さん(法政大学19代総長・イシス編集学校学長)の「自己肯定感」についての言葉を思い出していました。
<これは、法政大学の名誉教授でもある教育評論家の尾木直樹さんと対談した時に語られたことなのですが、自己肯定感には2種類あります。一つは、自分が唯一無二の貴重な存在であると実感している「基本的自己肯定感」、もう一つは、誰かと相対比較して自分の良いところを認める「社会的自己肯定感」です。しかし、学校の成績が良いとか有名企業に就職できたとか、そういう相対的な条件で測った価値は、実に脆く簡単に崩れ去ってしまいます。>
確かに他者との比較で得ようとする「自己肯定感」には、常に不安が付きまといます。他者との関係でどちらが上かが気になり、いつそれがひっくり返るか分からない。優越感や劣等感といった人間関係を阻害するような心の動きが沸き起こります。成績はもちろん、「いいね」の数、友だちの数。人の目が気になります。考えるだけで疲れてしまいます。何のために生きているのかも見失ってしまいます。
では、いかに「基本的自己肯定感」を身につけるか、田中さんは次のように述べます。「小さなうちから自ら選ぶ習慣をつけさせる。自己決定力。自分で決めるということが大切なんです。」大人の側には「聴く」という余裕が求められそうです。ややもすれば大人は子どもの言葉にすぐに余計なことを言ってしまう。「大切なのは自分で決めるということ。」それがどのようなことかではありません。それよりも「自分で決めた以上、責任を持たせる。」その繰り返しの中で本当の意味の「自己肯定感」が育っていくのだと言います。
まさに多田さんの文章からはそれが柔らかく、そして強く伝わってきます。<誰もが実は何かの一番で、それぞれの場所でそれぞれの力を発揮しているから、私たちは生きていけるのかも知れません。>
彼女の言葉を聞き、自分には何ができるだろうと考え始めた多くの同級生である卒業生や後輩の姿が目に浮かんできます。「私はスリッパを揃えた回数。あなたは?」互いに笑顔で対話する関係性。実は、大正自由教育創設期の先生方が目指した一つの柱は、「同学年の子どもを一か所に集め、同じことを学ばせ競わせる」学校システムを解体し、学校の中を「社会化する」ことにあったと最近知りました。
「高校卒業式」のエピソードではありますが、小中学生やその保護者の皆さまにもお伝えしたく、桜満開の4月に「学園ニュース」にも掲載させていただきます。
(学園広報 堀内)