小学校演劇部公演『シュレーディンガーの猫』、そして福島視察『福島、その先の環境へ。』

先週の金曜日、小学校松園先生から「この後、小学校演劇部の公演を音楽室でやるんですが、観に来てくれません?」「東北の震災で帰還困難区域から転校してきた高校生の話で、高校演劇で評判になった脚本を、6年生が難しかったけれど震災について勉強しながら練習してきたので・・・」

実は、翌日から1泊2日で、環境省主催の福島現地再生事業現地見学会に参加することになっていました。これも何かの縁と音楽室へと足を運びました。

福島県立大沼高校演劇部創作劇の脚本『シュレーディンガーの猫~うちら生き残っちゃったからさ~』、演劇部に入部した帰宅困難区域からやって来た転校生と顧問の先生を中心に対話を重ね、この脚本が完成したと言います。それを小学生が演じるわけです。シュレーディンガーの猫状態とは、量子力学の「重ね合わせの原理」で巨視的な存在である猫に例えた思考実験で、・・・。難しい。

でも、小学生なのにここまで表現できるかといった感想を持ちました。一人一人のキャラクターがぴったりで、会話のやり取りで観客を大いに笑わせてくれます。同時にある一言で、客席の小学生たちをシーンとさせもします。帰還困難区域からの転校生といっても一様ではありません。家族をすべて失ってしまった生徒もいればそうでない生徒もいます。その違いがはっきりすることが怖く、自分自身のことを互いに率直に話すことはできない。ましてや転校生を受け入れる立場の高校生からすれば想像すらできない。理解しようとすれば「偽善」であると受け取られてしまう、あるいはそんな自分と向き合わざるを得なくなる。下手なことを言わないように無関心を装う。嫉妬心やつまらないプライド、自己中心的な弱さも当然出てしまう。それでも、同じ悩み多き高校生として共通する部分が見えてくる。  

コミュニケーションの困難さ、自分を分かってほしい、でも怖い。人間にとって普遍的なテーマです。原作を読んでいないため、自信をもって言うことはできませんが、小学生の演劇を観ながら、そのようなことを感じました。  

 

そして、翌日からの福島視察の旅。参加者はスタッフを除くと28名でしたが、そのうちの7名は明星学園中高の教員でした。①震災遺構・浪江町立請戸小学校 ②双葉町産業交流センター ③東日本大震災・原子力災害伝承館 ④双葉大熊小学校とその周辺 ⑤浅野撚糸フタバスーパーゼロミル ⑥中間貯蔵施設 ⑦CREVA(地域対話) ⑦双葉駅周辺  古墳のような中間貯蔵施設の上に立ち(熊出没の影響で立ち入り場所に制限がありました)、1泊2日の中、地元で復興に携わる方々のお話を聞き、参加者同士のフィードバックの会を夜遅くまで持つというハードながらも、有意義な視察となりました。

初めてこの地を訪れ、地震と津波という天災に加え、原発の放射能汚染、それに伴う避難指示と帰還困難区域の発令が加わり、目に見えるもの見えないものを含めこれまで歴史上なかったであろう難しく複雑な事態であったことを強く実感させられました。

この二日間で、矛盾する二つのことを感じました。一つは、復興と言っても二度と以前と同じ生活には戻らないということ。これまで復興というものをどこか漠然と情緒的に捉えていた自分があったのですが、そこを目指していては、悲しさと虚しさが続いてしまうだけだろうと感じました。帰還希望者が高齢者を含め非常に少ないということ。新たな土地で生活を始めている人にとってそれは当然のことと思います。では、この更地をいかに活用するか。双葉駅周辺を説明してくれた若い地元の女性の「自分は独身で身軽なので、大好きなこの地に戻り、他地域からやって来た若者たちと一緒に町づくりのスタッフの一人になっています」「町には何が必要なのか、そこから考えています」、それこそが本質だろうと感じました。逆に言えばそこからデザインすることを若者たちが主体的に加わって行動していることに光を感じました。

キウイ栽培農家の若者の話はその具体例の一つでしょう。「原発に依存しない自立した経済構造をつくっていきたい」「品種改良でブランドキウイを作り、今年初めて出荷できる予定です」「これから100年つづく果樹産業のモデル」「好条件農地を大規模に確保できるのは原発被害を受けたこの地だからこそ」。そう語るのが地元の若者ではなく他県からやってきてこの地に暮らし始めているメンバーということにも注目しました。このような発想は外の人間だからできることだとも思うのです。

何か新しい動きを始める時に必要なのは、「若者・よそ者・ばか者」だと聞いたことがあります。この地には若者とよそ者がいました。あと一つ、前例や関係性に忖度せずに「ばか者」として若者やよそ者に寄り添うことのできる大切な存在は何かと思います。

二つ目は、この地で過酷な体験をした人々の心情を自分事として想像することの大切さです。現実を実際に見もせず、対話もしないまま「かわいそう」「彼らのために何かできることは・・・?」といった薄っぺらな道徳心にはしることは最も戒めなければならないことでしょう。上から目線の悪意のないふるまいは最も相手を傷つけ、コミュニケーションを遮断することになるでしょう。だからこそこのテーマについて子どもたちに語ることの難しさを感じました。けして美しいだけでは済ますことはできない人間の感情。国語の教員としては文学の力を信じたいと思います。道徳教材ではない人間の複雑な心理を描いた作品、正解があるわけではなく、読者一人一人に自分の問題として突き付けてくる力を持つ作品。

そして再び、小学生の演じた『シュレーディンガーの猫~うちら生き残っちゃったからさ~』を思いました。

(学園広報 堀内)

 

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