卒業生の鈴木健次郎といいます。明星学園100周年記念のリレーエッセイに寄稿できることを、とても嬉しく感じております。
私には二つの夢がありました。一つ目は中学生の頃、ただ漠然と『海外に出たい、海外で勝負したい』と願っていた夢。そして二つ目は渡仏後、なんとしてでもヨーロッパで三本の指に入るテーラーになること・・・。
明星学園は小学校から高校まで続く学校ですが、私は高校より入学しました。いわゆる外部生です。その当時の学校の偏差値は60を超えていて、入学に向け塾に通い、中学2年、3年の頃は多くの時間を勉強に割いていました。高校に入学した当初は、塾にも通い勉強を頑張っていましたが、途中自分のやりたいことが大学進学ではなく、ファッションの道と分かってからは、ただひたすらにそこに時間を費やしていました。それは高校一年生の頃、たまたま兄が通っていた吉祥寺の、ある洋服店との出会いに遡ります。そこで店長さんと出会い、彼からたくさんのことを教えてもらい、結果そこから一気に洋服の道に進むことになりました。
ファッションがとにかく好きで、高校在学時から代官山のお店で販売員をすることになりました。オーナーからは「高校生のアルバイトは取らない」ということでしたが、私の情熱が通じたのか、土日だけの条件で雇用してくれました。審美眼が高いお客様が集まる、大人のお店でしたので、それまでただ洋服が好き、というだけの浮かれた気持ちを根本から引き締めてくれるきっかけを貰えたお店でした。
明星学園は私服ということもあり、毎日学校に通うために、今日はどんな服装にしようと考えるのが日々の楽しみでした。学校の校風は『自由』であまり制限がないものでした。都立高校に進んだ同級生と話していると、この学校は少し違うんだなと感じていました。今とは違って、当時は大学進学する生徒は基本少なかったですが、高校卒業して10年も経つと、やりたいことを見つけ活躍している同級生がたくさんいるのに気がつきました。ポールダンス世界大会で優勝したり、飲食店を数軒経営し、30人のスタッフを抱えていたり...。中々一筋縄ではできないことを成し遂げている同級生がいます。思うに、大学進学する一般的な高校では、塾に通い、レールに沿った生き方をすることで、自分と向き合う時間が少ないのではないかと思います。私は運がいいことに、高校2年生で自分のやりたいことに出会っておりましたが、周囲を見るとそうではない人が大多数ということに気がつきました。高校卒業して専門学校に通い、就職していくと、多くの人が大学には自分探しのために進学したということを知り、少なからずショックを受けました。洋服の専門学校にも、4年の大学生活を終えたのち専門学校に入学するという生徒もいました。
私は2003年にフランスに渡り、在仏19年となりました。自分自身2児の父親です。子どもたちはパリの公立病院で産まれ、完全にフランス文化の中で育っています。現地校に通い、日々の言語は100%フランス語です。ただ、自分たちのオリジンをしっかりと持つために、日本語教育は大事にしています。週に一回日本語教室に通い、漢字検定も受けています。
ここで日本とフランスの教育制度の違いを少し書いてみようと思います。フランスは住む地域にもよりますが、基本完全な学歴社会と言えます。『階級意識』は日本よりはるかに強いでしょう。通っている学校がパリの中心部であれば、なおのこと学校教育は厳しく、宿題も日本よりずっと多いと思います。
子どもたちの日々の勉強を見ていると、とにかくポエム(詩)の暗記が非常に多いことに驚きます。また、春休みや夏休み中でも本を読むことが義務づけられており、休み明けは学校で自身の感想をテストという形で発表しなくてはいけません。ただなんとなく読書してきなさい、という形ではなく真剣に評価されるので厳しいのです。小学生でヴィクトル・ユーゴーの本を読んだりと、日本の小学生と比べると読書への意識が高いのではと感じます。フランスでは自分の進路を日本よりずっと早い時期に決められ、大体16歳の時期に、自身の将来を決めなくてはいけません。
進学したいのであれば、大学の方向に。文系、理系というのも決めていきます。親がものづくりをしている家庭では、時として子どももその道に進むと思います。例えば自分はものづくりの道に進みたいと考えたとします。ものづくりでもファッションがいい。それはメンズなのかレディースなのか?プレタポルテ(既成服)かシュールムジュール(オートクチュール:オーダーメイド)か?といったことまで16歳の時点で決めていかなくてはいけません。ものづくりを希望する子どもたちは、Lycée professionnel(リセプロフェッショナル:日本で言う高専)に進学します。その年齢から週の半分を実地研修に当てていきます。