明星学園創立100周年、おめでとうございます。そのうちの6/100年を過ごした者として心よりお祝いを申し上げます。
中学・高校を明星学園で過ごした私ですが、大学卒業後はフツーに会社勤めをしておりました。しかし30歳の時に実父が死去したことがきっかけとなり、人生の歯車が狂った…とまでは言わないものの、少なくともズレ始めました。サラリー稼業の安定生活が一転、なぜか今は山梨県の西端で小さな個人美術館を細々と運営しております。そこにあるものは動物画家薮内正幸の描き遺した1万点以上にもなる原画と、たくさんの数えきれないほどの「先行きの不安」です
もうね、悪いこと(?)は連鎖するというか、外堀がどんどんと埋められて行く感じでした、この頃は。そして周囲からの「で、竜太君はいつ会社辞めるの?」の声に流される形でネクタイを外すことに。結果、子どもが生まれた翌月に無職となってしまってこの先どうなっちゃうんだ…と思う間もなく学芸員資格取得のために朝から晩まで机に向かわされて、途方にも暮れさせてくれないのかよ、と。
まぁそんなこんながありまして、何より本当に多くの方々のご協力もあって2004年に無事開館した当館ですが、開館の2年後に母は死去。見事に作り逃げされました。そして誰が美術館を引き継ぐかとなった時、私は兄弟がおりませんので他に該当者がいないのです。そこで消去法により必然的に、限りなく後ろ向きな館長就任となりました。あれだけやめろと言ったのに…まさに子は親を選べないといった感じです。
正幸は幼少のころから動物が大好きで、ずっと画を描き続けたから上手になりました。そして動物についての質問など手紙のやりとりをしていた動物学者が世界一の哺乳類図鑑を作ろうという時に、丁度高校卒業間際だったこともあってお声掛けしていただき、動物画家への道を歩むことになりました。片や母。こちらは幼少時より読書好きで、自宅が児童文学作家であり翻訳家の石井桃子さん宅と近かったこともあってそのご紹介で児童書の編集者となり、退職後は趣味で作っていたタイ料理でしたが世間でブームになるとタイ料理研究家の肩書を持つようになりました。つまり二人とも将来を見据えてではなく、好きなことを徹底して継続し、結果的にそれが生業となりました。そんな両親ですから私に対しても職について一切口出ししたことは無く、それこそ無理に正社員になるくらいならバイトでも好きなことをやり通してみろという考え。それなのに…決められた道を敷くなよ!選択肢を剝奪するなよ!ウチは自由にやれるんじゃなかったのか !?