「館長のひとりごと」

薮内正幸美術館 館長 藪内竜太(卒業生 55回生)

はじめに

 
 明星学園創立100周年、おめでとうございます。そのうちの6/100年を過ごした者として心よりお祝いを申し上げます。
中学・高校を明星学園で過ごした私ですが、大学卒業後はフツーに会社勤めをしておりました。しかし30歳の時に実父が死去したことがきっかけとなり、人生の歯車が狂った…とまでは言わないものの、少なくともズレ始めました。サラリー稼業の安定生活が一転、なぜか今は山梨県の西端で小さな個人美術館を細々と運営しております。そこにあるものは動物画家薮内正幸の描き遺した1万点以上にもなる原画と、たくさんの数えきれないほどの「先行きの不安」です





美術館設立の経緯

 薮内正幸と聞いて「あぁ、あの人ね!」と答えられる方はまずいらっしゃらないと思いますが、絵本や物語の挿絵など手掛けた作品を見れば、ひょっとしたら「あぁ、これか!(※)」となるかもしれません。他にも広告や教科書、または広辞苑のイラストの一部も描いたりしていますので、きっとどこかで目にはされているんじゃないかなと思います。



(※)薮内正幸画

そんな動物だけを描いてきた正幸ですが、生涯で画を習ったことは一度もありません。絵画教室等に通ったことはなく、学校の美術部に所属したこともありませんでした。画に関しては全くの独学であり、また描いた動物たちの元になった資料はありません。つまり「画を習うことなく、また写真等を見ずにどんなポーズでも描けた」わけですが、正幸の死去後、周りの編集者の方々から「こういった職人的な画描きも今の時代ではもう出てこない。どこかで一元管理をしないと画が散逸してしまう」という声が聞こえてきました。その時点ですでに「誰が管理するというのだ !?」とツッコミを入れたくなる話なわけですが、そこに正幸の連れ合い…つまり私の母が「じゃあ美術館かしらね」と、話をややこしくさせてきました。
先述のとおり私は明星学園で6年間を過ごしましたが、その過程で自分の好きなことを大切にする、一般常識にとらわれない、とりあえず行動してみる等々、様々な前向きな習慣を身につけることができました。ちなみに私が通った小学校は区立ながら非常に厳しい所で、昔から決まっていることだから、これが普通だから、大人が言ってるんだから…と、明星学園とは対極に位置するような教師がいるところでした。よって明星学園に入学した際の衝撃(もちろん良い意味で!)は今も覚えていますし、両極端を経験したことでそれぞれの長所短所を比較することができました。それは明星学園の理想と、実社会における現実。母の言う美術館設立の「夢と希望」は理解できる反面、そこにいたる苦難困難、特に経費的に現実的ではないことは容易に推察できます。しかし母は小中高と明星学園で12/100年を過ごしておりまして、つまり私がキビシイ小学校で得たような経験をしておりません。よって物事全て「現実より理想」であり、「とりあえずやってみないと」であり、さらには「ダメだったらその時に考えれば」。
そして母のその「突っ走り」に拍車をかけたのが、病。実は病死だった正幸より先に病が見つかっており、主治医からは「物事は半年のスパンで考えろ。半年無事に過ごせればまた半年、場合によっては3ヶ月となっているかもしれない」と、ある意味余命宣告がされていました。よって私が美術館運営の難しさ、仮に開館できたとしても5年後はどうなっていると思う?と維持することの困難さを懇々と説くものの、「5年後?ワタシはその時はもういないんだから関係ないじゃない」。
…12年間の明星学園純粋培養者に病が加わると、怖いものが無いんですね。無敵ですね。お手上げですね。

気付けば我が家に出入りする人たちが「美術館設立準備室」なる名刺を持ち始め、初代館長となる方が「生き物たちの画なんだから自然環境の良い場所で見てもらった方が良い。私の出身地は山梨県の白州で環境的に申し分ないし、何と言ってもサントリーの白州蒸溜所が開設した際に始まった愛鳥キャンペーン(※)の画を全て正幸が手掛けているわけだから、非常に縁もある。同級生が役場にいるから話をしてみよう、うん」。いや、「うん」じゃねぇよ…と思いつつ、渋々役場に同行すれば「町有地で使える場所がある」と案内され、そこはまさにサントリー白州蒸溜所に隣接した地。

※サントリー愛鳥キャンペーン
URL:https://www.suntory.co.jp/eco/birds/about/yabuuchi.html






館長就任

  もうね、悪いこと(?)は連鎖するというか、外堀がどんどんと埋められて行く感じでした、この頃は。そして周囲からの「で、竜太君はいつ会社辞めるの?」の声に流される形でネクタイを外すことに。結果、子どもが生まれた翌月に無職となってしまってこの先どうなっちゃうんだ…と思う間もなく学芸員資格取得のために朝から晩まで机に向かわされて、途方にも暮れさせてくれないのかよ、と。
まぁそんなこんながありまして、何より本当に多くの方々のご協力もあって2004年に無事開館した当館ですが、開館の2年後に母は死去。見事に作り逃げされました。そして誰が美術館を引き継ぐかとなった時、私は兄弟がおりませんので他に該当者がいないのです。そこで消去法により必然的に、限りなく後ろ向きな館長就任となりました。あれだけやめろと言ったのに…まさに子は親を選べないといった感じです。

正幸は幼少のころから動物が大好きで、ずっと画を描き続けたから上手になりました。そして動物についての質問など手紙のやりとりをしていた動物学者が世界一の哺乳類図鑑を作ろうという時に、丁度高校卒業間際だったこともあってお声掛けしていただき、動物画家への道を歩むことになりました。片や母。こちらは幼少時より読書好きで、自宅が児童文学作家であり翻訳家の石井桃子さん宅と近かったこともあってそのご紹介で児童書の編集者となり、退職後は趣味で作っていたタイ料理でしたが世間でブームになるとタイ料理研究家の肩書を持つようになりました。つまり二人とも将来を見据えてではなく、好きなことを徹底して継続し、結果的にそれが生業となりました。そんな両親ですから私に対しても職について一切口出ししたことは無く、それこそ無理に正社員になるくらいならバイトでも好きなことをやり通してみろという考え。それなのに…決められた道を敷くなよ!選択肢を剝奪するなよ!ウチは自由にやれるんじゃなかったのか !?

子どもの「好き」を伸ばす

 いまだにハメられた感が否めないのですが、それでも最近は各地での出張原画展に加えて講演会も多くやらせていただいています。もちろん話す内容は薮内正幸について。幼少期より好きなことを見つけ、やり続けられたのも周囲の理解があってこそ。身近な存在である親や教師が「いつまでも好きなことばっかりやってないの!勉強はどうなってんの?」と取り上げていれば、学者との手紙のやりとりも途絶えて「図鑑の画を…」とお声掛けいただくことも無かったはずです。また、当館で展示している正幸の学生の頃の画を見た方が必ずおっしゃるのは「やっぱり天才の人は子どもの頃から違うわねぇ」と。いやいや、決して画描きとして天才ではありませんから。ただ、子どもの頃から大好きな動物たちを朝から晩まで描き続けていました。好きなことだから飽きることもなく延々と。結果膨大な時間を費やし、信じられないような数の画を描きました。それだけ描き続ければ、そりゃあ下手なわけはありません。誰だって上手になると思います。しかし、普通はそれだけの数を描けないんですよね。続けられないんですよね。ですので、あえて天才という言葉を使うなら「天才的に動物が好きだった」のだと思います。
小学校、中学校でお話をすることもありますが、その際は「とにかく好きなこと見つけようぜ!」ということと「好きなことには手間も時間も掛けよう。画面開いて分かった気にならないように。好きなことまでラクしてどうする!」と伝えています。また幼稚園の保護者会などからお呼ばれした時には、子どもが見つけた「好き」を認めて後押ししてあげることの大切さに触れています。子どもの可能性を伸ばすも摘むも、身近な大人の理解次第ですからね。正幸も「自由にさせてくれた親には感謝している」と言っていましたし。そして最後にしれっと付け加えたくなるのです、「実は…東京三鷹にね、良い学校が、あ・り・ま・す・ぜ」。

藪内 竜太

【プロフィール】
藪内 竜太(やぶうち りゅうた)
 1969年東京生まれ。父は動物画家である薮内正幸(1940~2000)、母は福音館書店の編集者(児童書担当)を経て、フリーライターでありタイ料理研究家でもあった戸田杏子(本名:薮内幸枝 1941~2006)。
大学卒業後はJRの外郭団体に勤務するものの2000年の正幸死去に伴い退社、以後遺された1万点以上もの原画の管理を専属で行う。

2001年 美術館設立に向けて学芸員資格を取得。
2003年 有限会社藪内正幸美術館を設立。
2004年 薮内正幸美術館を山梨県北杜市白州町(当時は北巨摩郡白
州町)に開館。現在は館長を務め、各地で開催される原画
展の企画から講演までを行う。
山梨県北杜市白州町在住。

薮内 正幸(やぶうち まさゆき)
 1940年大阪生まれ。幼少時代より生き物に興味を抱き、身近な生物の飼育に明け暮れる。小学生の頃より始まった動物園通い、動物学者との文通を通じ動物の知識を得て、あわせて独学で動物画を描き始める。
 高校卒業と同時に哺乳類図鑑を出版予定だった福音館書店に入社、国立科学博物館に日参して動物の骨格標本の模写を続ける。
 1965年に「くちばし」で絵本デビュー、翌年の「どうぶつのおやこ」、1969年のかがくのとも創刊号「しっぽのはたらき」(全て福音館書店)など多数の絵本、「冒険者たち ガンバと十五ひきの仲間」(岩波書店)などの物語挿絵、広辞苑、世界大百科事典など図鑑挿絵、記念切手(自然保護シリーズ「アホウドリ」1975年)や広告などへ動物画を提供。また1973年に始まったサントリー愛鳥キャンペーンでは朝日広告賞第2部グランプリ、「コウモリ」(福音館書店1983年)で第30回サンケイ児童出版文化賞、「日本の恐竜」(福音館書店1989年)で第9回吉村証子記念日本科学読物賞を受賞。
 2000年6月、逝去。2004年に山梨県北杜市白州町(当時は北巨摩郡白州町)に薮内正幸美術館が開館。


藪内 竜太

【薮内正幸美術館】
 〒408-0316  山梨県北杜市白州町鳥原2913-71
 0551-35-0088 http://yabuuchi-art.jp/
 10時~17時(入館は16時まで) 
毎週水曜日休館 12月1日~3月中旬は冬期休館