明星学園創立100周年、心からお祝い申し上げます。私はこの春に子供が明星学園高校に入学して初めてつながりができた“初心者”ですが、明星学園の自由主義教育の歴史と、主体的・探究的な学びを目指した精神に感銘を受けている者として、この場にエッセイを書かせていただけることは大変光栄なことと思っています。
私は出身が山形県で、まわりの大多数の子供と同じように公立の小中高と進学し、国立大学を卒業しましたが、この春に長男の受験に際していろいろと考えることがありました。きっかけは鶴見俊輔氏のエッセイ『思い出袋』(岩波新書)をたまたま手に取り、その後鶴見氏の著作をまとめて読んだことでしたが、彼はその中で、「自分の先生が唯一の正しい答えをもつと信じて、先生の心の中にある唯一の正しい答えを念写する」という表現を用いて、日本の教育を批判しています。この主張は私の心に響くものがありました。私は現在大学で研究・教育を行っていますが、確かに学生は、(鶴見氏の表現とは少し異なりますが)次のページをめくれば一つの決まった答えが書いてあるような“問い”に、可能な限り正確かつ迅速に答えるトレーニングをして来ていると言えるでしょう。一方で、4年になって私の研究室に配属されてきた学生には、私にも答えがわからない(場合によっては人類がまだチャレンジしたことがないような)研究テーマに取り組んでもらうので、答えがわからないことに不安を感じるというよりはむしろドキドキワクワクを感じるような学生になってもらわなければなりません。言ってみれば、大学の教育の神髄は学生の“問い”に対する考え方を大きく転換してもらうことにあるのかもしれません。そのようなことを考えつつ、私は受験勉強をする長男の背中に向かって「早く大学に進学して欲しい。そうしたらもっと楽しい勉強ができるはずだから」と念じていました。
明星学園高校については妻がまず話を聞いてきて、その後私もHPを拝見したり、いろいろな情報を調べたりしているうちに、「この高校に行ったら、大学を待たずに“問い”の転換ができるようになって、楽しいのではないか?」と思い始めました。明星学園には鶴見氏の言う「生徒が(教師も)自分で問題を作る場」の伝統があるように思います。長男は幸いにも合格し、10年生(!)の一員になって通い始めましたが、公立中学時代とは打って変わって、とても生き生きしていて楽しいようです。本当に良かったと思っています。これからもどうぞよろしくお願いいたします。