学ぶ自由と喜び

大妻女子大学家政学部被服学科 准教授、博士 中川麻子(保護者・卒業生 57回生)
 
 明星学園100周年、おめでとうございます。心よりお祝い申し上げます。この度、リレーエッセイのお話をいただき、大変光栄に思っております。
 私は高校だけ明星学園に通った外部生でしたが、内部生の友人から聞く小・中学校の学びに憧れ、娘は小学校から入学し高校までお世話になった、いわゆる「スーパー内部生」です。外部生であった経験と、スーパー内部生の母としての経験の両方を通じて、私が感じたことを書ければと思っています。


 現在、私は大学でデザイン分野を教える教員をしています。研究分野は服飾文化史とデザイン史で、明治時代の染織に関する研究を行なっています。今回のリレーエッセイの機会を頂き、改めて自分の仕事について振り返ってみると、いわゆる研究職と呼ばれる職業について、もう25年近くにもなることに気がつきました。大学院を卒業して大学の教員になったと書くと、小さな時から優秀だったと思われるかもしれませんが、まったくそうではありませんでした。





明星との出会いとカルチャーショック

 私は小・中学校ともに地元の公立校に通っていました。運動も勉強も苦手、読書と美術と手芸が好きという内向的なタイプでした。当時はベビーブームで、大人数のクラスでは毎朝のマラソンをグラフにして競い、授業と行事もたくさんあり、ヘトヘトになりながら通学していました。学校では団体行動と連帯責任が原則でしたので、目立たず失敗しないように過ごし、授業が終わればなるべく早く帰宅し、宿題もそこそこに、好きな絵を描いたり、読書や手芸ばかりする日々でした。
 中学になってもその生活はあまり変わらず、やがて高校受験の時期を迎えました。受験対策でなんとなく入った大手の塾で、仲良くなったのが明星学園の生徒さんでした。出会ったその日、「明星の学校も先生も友達もすごく好きだけど、自分のやりたいことがあるから外部の高校を受験するの」と話す彼女の言葉に衝撃を受けました。同い年の子が、自分の将来のために居心地の良い世界から飛び出そうとしていること、そのことを初対面の私に恥ずかしがらずに自信をもって語ること、そして自分の学校や先生を「すごく好き」といえること。どれもが私にとってはカルチャーショックでした。それまでの私は、学校はどこか自分の世界とはかけ離れた存在に感じていて、高校も偏差値と通学の便利さから選ぶことしか考えていなかったからです。その夜、新しい世界に触れたような心持ちで、帰宅してすぐ母に「明星学園って知っている?」と尋ねました。すると母は「ずっと行って欲しいと思っていた学校よ」と答えた事にも、また驚きました。私自身が明星学園の名前を言うまで、母はあえて口に出さなかったそうです。
 この出会いをきっかけに、私は高校から明星学園に入学しました。入学前から自分なりに「自由」について考え、明星での高校生活を心待ちにしていました。しかし、入学してみると初日からカルチャーショックの連続でした。内部生の友人たちが話す内容、服装、行動は、公立出身の私には奇抜に感じることばかりでした。「そんなことして良いの?」と尋ねれば、逆に「なぜ?なんでだめなの?」と返されました。言われてみれば、他の人がやっていないから、私が勝手に「だめだ」と思い込んでいただけだったと気がつかされました。内部生は、すでに自分の「やりたいこと」と「やるべきこと」、そして「やってはいけないこと」の軸を持ち、自信をもって堂々と行動していて、その姿は無邪気でもあり、大人びてもいました。


学園生活で見つけた私の原点

 最初こそ明星での生活は戸惑いがありましたが、だんだんと「自分がやりたいことを自分で選んで良い」と気づくと、貪欲にやりたい事を探し始めました。同じ頃、内部・外部関係なく、友人たちも自分の道を模索しはじめました。そして、私が明星で見つけた最も楽しいことは、意外にも勉強だったのです。
 明星の先生は個性的で、教え方もさまざまなスタイルがありました。中でも、一番驚いたのは瀬野卓志先生の哲学の授業です。インドの哲学者のような風貌の瀬野先生を囲んで行われる対話形式の授業では、これまで知らなかった哲学の深い世界観に魅了されました。また渡辺京先生の日本史も、ただ年表を覚えるのではなく、なぜその出来事が起きたのか、その背景や関連についてじっくり検証するものでした。受験対策というよりは、大学の講義そのもののような内容でした。きちんと理解するためには、教科書だけでは足りず、学校の図書室に通って関連の資料や書籍を読み、自分でノートを作るなど、本当に勉強に熱中していました。
 忘れられないのも日本史と哲学のテストです。数問に対して、解答用紙はA3用紙両面で、ほとんどが論述を書き込む空欄でした。当時の私はこの空欄にびっしりと文字を書き込むことに燃えていました。早朝から学校で自習し、テストの直前まで京先生を廊下でつかまえて質問をして困らせたこともありました。答案に書いた文章は、きっと見当違いで稚拙なものだったと思うのですが、先生は答案を細かく添削して、新たな視点やアドバイスを書き加えて返却してくださいました。あの時に、分からない物事について調べ、自分の考えをまとめて文章にするという、能動的な勉強方法を初めて知り、同時に学ぶことの面白さを知ったのです。与えられた学びではなく、自分自身で学びたい分野に取り組み探究する。目の前に世界が開けていく高揚感と同時に、1人で放り出される様な不安や焦りを感じた時、明星学園が創立時から掲げている「自由」という言葉の意味と、「学ぶ」という意味を理解することができた気がします。
 選択授業には美術を選び、当時お世話になっていた西島直紀先生とも相談を重ね、卒業後は、小さな頃から憧れていた美大に進学しました。グラフィックデザインを中心に学んでいましたが、だんだんとデザインすることよりも研究職に惹かれるようになり、悩んだ末、大学院に進学しました。その後は、長い大学院時代と、さらに長い非常勤講師時代を経て、どうにか研究者の端くれにようやく立つことができました。
 大学の業務の傍ら、自分の研究に取り組めるのは幸せなことですが、思うように進まないことが多く、苦しく感じる時間のほうが長いような気がします。しかし、ある時、ふっと全ての事象が組み合わさり1つの形になって現れ、研究がまとまったとき、例えようのない喜びを感じる時があります。その感覚は、明星で勉強の楽しさを知ったときの喜びにとても似ているのです。私が明星で過ごしたのはたった3年間でしたが、現在の仕事の原点ともいえる大事な時間でした。

100年続く建学の精神

 タイトルにした「学ぶ自由と喜び」とは、学問に限ったことではありません。私が見つけた方向はたまたま研究でしたが、同級生は演劇、音楽、デザイン、職人、政治経済、国際交流など、それぞれ全く違う道を選び、自ら学び、進んでいきました。自分の進む道を決めることができ、そして誰にも邪魔されず、目標に向かって自由に学べることの素晴らしさ。明星生は一人一人、自分の目指す方向に向かって進む力を持ち、お互いの差異を認め合って尊重することができるのです。
 明星学園が創立時から掲げてきた「個性尊重、自主自立、自由平等」という建学の精神は、ライフスタイルが急激に変化する時代を生きる、現在の私たちにこそ必要なことではないでしょうか。近年、メディアで「多様性」という言葉が取り上げられるたびに「明星は100年も前から言っているよ」とつい呟いてしまいます。
 娘は小学校から明星で学んだいわゆる「スーパー内部生」です。小学校入学早々、伝統の池ポチャをして、全身着替えてニコニコ帰ってきたことが懐かしいです。知りたいこと、やりたいことがあれば、なんでも先生に聞いて、先生もそれに応えてくださっていました。そのおかげで、娘は幼いころから自分のやりたいことをはっきり口に出し、大学進学後も目標に向かって常に全力投球しています。娘と会話していると「なんで?そんなの明星では当たり前だよ!」と言われることも多く、「ああ、この子は生粋の明星生なのだな」と、高校入学当初の自分を思い出し、娘の姿を眩しく思います。それと同時に、100年続く明星の教育の意義と素晴らしさを改めて感じます。100周年を迎え、さらに未来に向けて、明星学園の精神をこれからも変わらず子どもたちに教えていってほしいと強く願っております。


中川 麻子

【プロフィール】
中川 麻子(なかがわ あさこ)
1972年生まれ、明星学園57回生
現職:大妻女子大学家政学部被服学科 准教授、博士(学術)
東京造形大学デザイン学科I類卒業、筑波大学大学院博士課程単位取得満期退学、共立女子大学大学院博士課程修了
専門:服飾文化史、デザイン史、グラフィックデザイン
専門分野:明治時代およびヴィクトリア時代の染織分野に関する研究
主な著書:
“ Re-Envisioning Japan: Meiji Fine Art Textiles”(共著、5 Continents Editions)
『はじめて学ぶイギリスの歴史と文化』「歴史の扉 7 ファッションの時代」(共著、ミネルヴァ書房)
『趣味とジェンダー〈手づくり〉と〈自作〉の近代』「女学生と手芸」(共著、青弓書房)