明星学園100周年、おめでとうございます。心よりお祝い申し上げます。この度、リレーエッセイのお話をいただき、大変光栄に思っております。
私は高校だけ明星学園に通った外部生でしたが、内部生の友人から聞く小・中学校の学びに憧れ、娘は小学校から入学し高校までお世話になった、いわゆる「スーパー内部生」です。外部生であった経験と、スーパー内部生の母としての経験の両方を通じて、私が感じたことを書ければと思っています。
現在、私は大学でデザイン分野を教える教員をしています。研究分野は服飾文化史とデザイン史で、明治時代の染織に関する研究を行なっています。今回のリレーエッセイの機会を頂き、改めて自分の仕事について振り返ってみると、いわゆる研究職と呼ばれる職業について、もう25年近くにもなることに気がつきました。大学院を卒業して大学の教員になったと書くと、小さな時から優秀だったと思われるかもしれませんが、まったくそうではありませんでした。
私は小・中学校ともに地元の公立校に通っていました。運動も勉強も苦手、読書と美術と手芸が好きという内向的なタイプでした。当時はベビーブームで、大人数のクラスでは毎朝のマラソンをグラフにして競い、授業と行事もたくさんあり、ヘトヘトになりながら通学していました。学校では団体行動と連帯責任が原則でしたので、目立たず失敗しないように過ごし、授業が終わればなるべく早く帰宅し、宿題もそこそこに、好きな絵を描いたり、読書や手芸ばかりする日々でした。
中学になってもその生活はあまり変わらず、やがて高校受験の時期を迎えました。受験対策でなんとなく入った大手の塾で、仲良くなったのが明星学園の生徒さんでした。出会ったその日、「明星の学校も先生も友達もすごく好きだけど、自分のやりたいことがあるから外部の高校を受験するの」と話す彼女の言葉に衝撃を受けました。同い年の子が、自分の将来のために居心地の良い世界から飛び出そうとしていること、そのことを初対面の私に恥ずかしがらずに自信をもって語ること、そして自分の学校や先生を「すごく好き」といえること。どれもが私にとってはカルチャーショックでした。それまでの私は、学校はどこか自分の世界とはかけ離れた存在に感じていて、高校も偏差値と通学の便利さから選ぶことしか考えていなかったからです。その夜、新しい世界に触れたような心持ちで、帰宅してすぐ母に「明星学園って知っている?」と尋ねました。すると母は「ずっと行って欲しいと思っていた学校よ」と答えた事にも、また驚きました。私自身が明星学園の名前を言うまで、母はあえて口に出さなかったそうです。
この出会いをきっかけに、私は高校から明星学園に入学しました。入学前から自分なりに「自由」について考え、明星での高校生活を心待ちにしていました。しかし、入学してみると初日からカルチャーショックの連続でした。内部生の友人たちが話す内容、服装、行動は、公立出身の私には奇抜に感じることばかりでした。「そんなことして良いの?」と尋ねれば、逆に「なぜ?なんでだめなの?」と返されました。言われてみれば、他の人がやっていないから、私が勝手に「だめだ」と思い込んでいただけだったと気がつかされました。内部生は、すでに自分の「やりたいこと」と「やるべきこと」、そして「やってはいけないこと」の軸を持ち、自信をもって堂々と行動していて、その姿は無邪気でもあり、大人びてもいました。