“Failure teaches success.”~失敗は成功の母~

レーシングチーム「H43TeamNOBBY」マネージメント ディレクター
明石哲郎 (卒業生56回生)





 明星学園創立100周年おめでとうございます。心よりお祝い申し上げます。
創立以来変わらぬ明星学園の精神を、皆様と一緒に次の100年につなげるスタートラインに立てたことを心より感謝申し上げます。

 同窓生の教員の方より依頼された時は、「私よりもっと相応しい方々がたくさんいるのでは?」とお断りするつもりでした。が、私を指名した彼女の直感(?)を素直に受け止め、また少しでもモーターサイクルレースの世界を知っていただきたいという思いもあり、寄稿致しました。
稚拙な文章ではありますがお読みいただければ幸いです。

 現在私は、スペインで国内選手権および欧州選手権に挑むレーシングチーム“H43TeamNOBBY”と、日本で行われる鈴鹿8時間耐久ロードレース(通称:“鈴鹿8耐”)に参戦するレーシングチーム“TEAM FRONTIER”を、元WGPライダーの上田昇氏と共に日本と欧州を行き来しながら運営しております。(上田昇氏の戦績は是非webでお調べください)







学園生活

 1983年4月、中学校から明星学園に入学した私の志望動機は「地元の中学校のサッカー部では、入部する新入生は坊主頭にしなければいけない」という、昭和の香り残る慣習に抗うことがきっかけでした。『キャプテン翼』の影響でサッカーに夢中になっていた私は、「サッカーは続けたいけれど、それ以上に坊主頭は嫌だ」という理由で続けるか否か本気で悩んでいました。
 サッカー仲間で同級生T君から「オレは明星学園ってところに行く」という話を聞き、「二中(地元の中学)じゃないところに行くことができるの?」「丸坊主にならずにサッカーができるの?!」「オレも行きたい!」と「中学受験」などとは全く意識せず母親に願書を手渡していました(T君のお母様が用意してくれたと記憶しています)。無事に合格した2人はサッカー部に入部。もちろん私は中学校の3年間「坊主頭」を回避したことは言うまでもありません(ちなみにT君は小学校から高校時代、そして現在もいがぐり頭です)。

 バブル経済真只中の1986年に高校へ内部進学します。当時の家庭の事情(両親の離婚や引っ越し)や思春期特有の心の未成熟さも相まって、あまり登校せずフラフラ遊んでいました。  
 好きだったサッカーも高校入学時には止めてしまい、中学の終わり頃から高校での出席日数はあまり褒められたものではありませんでした。
 その頃の私は少年マガジンに掲載されていた『バリバリ伝説』に夢中で、その主人公に憧れ「免許を取ってオートバイに乗る!」と、ここでも漫画に魅せられていた10代の少年でした。

 暴走族や校内暴力のイメージから当時のオートバイは「悪」とされ、全国の高校では“3ない運動”(免許を取らせない・オートバイを買わない・オートバイに乗らせない…)が真っ盛り。それでも私は憧れのオートバイに乗るが為に免許を取ることに全力でした。中型免許の後は大型二輪免許を取得する為、数度試験場に通い、17歳になった晩夏にやっと合格。現在のように教習所では取得できず、試験場での実技試験に合格することのみで取得可能であり、合格率は3%以下とも言われていました。憧れだった750ccのオートバイを得ると、どこへ行くのも一緒でした。
 卒業間近、欠席が続くと担任だった物理の小林先生(3年間担任でたくさん迷惑かけました)は家に電話をくれました。もっとも、「明星学園の…」と先生の声が聞こえると無言で切っていましたけど…。そんな怠惰な学園生活にも関わらず、担任をはじめ多くの先生や、仲間たち、家族のおかげで、なんとか卒業することができました。

 好きなことだけやって過ごしていた中学高校時代。10代の若者らしく気持ちはそこそこ反抗的でしたが、校則もなく、制服もなく、少々悪いこと(!?)をしても、そしてオートバイで通学したことが発覚しても、ほとんどお咎めもなく。恵まれていたのか、もしかしたら見放されていたのか…。学生として多少の失敗はあったものの、幸い大きく道を外れることは無かったようです。




転機〜現在地

 卒業後に選んだ進路は「オートバイ」に乗ること。最速を決めるためにサーキットを疾走するレーシングライダーたちはオートバイ好きの理想像です。レース雑誌に当時オーストラリアで行われていたレーシングスクールの広告を見つけ、母親に頭を下げて渡豪させてもらいます。スクールの内容は割愛致しますが、走行量は国内での練習の1年分に相当する距離を1ヶ月足らずで突破するほど充実していて、自分の想像以上にライディング技術の向上が実感できました。

 帰国後の数年間、レース中心の生活(もちろん仕事もします)を続けるも、思ったような成績を残せないまま20代後半に差し掛かり、ある日の練習中、転倒し全身を強打・左足首を複雑骨折する怪我を負い、手術を受けることになりました。左足首の可動域が減少する後遺症も残ってしまいます。体の状態やその時点で思い描いたレーシングライダーになれていない不安から、入院中のベッドで「これ以上はもう無理かもな…」と考えていました。上がらないモチベーションや年齢的なこともあり、辞める決意は難しくなく出来ました。

 ただただ憧れだけで始めたモーターサイクルレースに対して、どれだけ真摯に向き合えていたのかはわかりません。生活や周りに流されることも多く、挫折というほどストイックにもなれておらず、心底やり切ったというほど情熱的でもなかったような気もします。しかし、ここが人生の転機であったことは間違いありません。

 レースから離れると決め、学生時代からアルバイトをしていたアパレルの世界へ身を投じます。メーカーや商社等で様々な仕事を経験し、生産拠点でもあるアジア諸国や欧米を行き来して人生でいちばん多忙な日々を送りました。2008年の独立に至るまで、大学に通ったり、ベンチャー企業の社長を任されたりと、紆余曲折ありつつ駆け抜けましたが、ご縁のあった前述の上田昇氏と独立と共にレース事業をご一緒にすることとなり、モーターサイクルレースの世界へ「仕事」として戻ることとなります。

 こうして振り返ってみると人並みには経験は積んできたようです。全く優秀でもなく、模範とは真逆の学生時代。卒業時に選んだ道は失敗に終わったのかもしれません。



モーターサイクルレース

 親戚や古くからの知人には「哲郎!まだ暴走族やってるのか?」と言われます。面倒なので反論はしませんが、日本でのオートバイの認識ってこんな感じですよね。読んでいる方もオートバイとかレースってそんなイメージの方が多いのではありませんか?
 欧州では伝統と格式のある貴族のスポーツであり、文化の1つとしてしっかり確立されています。スペインやイタリア・フランスではサッカーと同等かそれ以上に認知されており、扱われ方は日本の相撲に少し近いかもしれません。新聞にはオートバイの世界選手権のニュースが見開きに載り、テレビで様々なレースがライブ放映され、人気のある国ではサーキットへ足を運ぶ観客数がオリンピックをも凌ぐ数が記録されます。

 ライダーはレースに勝つために、コースと自身の乗り味に合わせてマシンのセットアップ作業をし、数多くのデータを収集します。エンジン特性、足回り、車体の動き方、タイヤの選択、コースコンディションの共有等々。
コース攻略をするときに限界を越えるライディングでわざと「失敗」するライダーがいます。「限界点」を経験することで「ここまでいくと速く走れない」と認識して、自分が速く走れる動作、挙動のところまで戻し、効率よく速く走れる地点を探り出します。こうしてレースウィーク中の限られた時間でマシン作りをして決勝に挑みます。

 コース上を弾丸のように加速するレーシングマシンは最新技術の結晶です。300km/hを超えるスピードからのフルブレーキングは常識を逸す制動距離で観る者に驚きを与えます。その刹那、何台ものマシンが横並びでコーナーに侵入し、60度を超えるバンク角で旋回するマシンを巧みに操るレーシングライダーの姿は芸術的でもあります。オートバイ・レース=スポーツとしてご認識していただき、是非機会をつくって生でご観戦ください。皆様とサーキットでお会いできることを楽しみにしております。






語り継がれる理念〜「個性尊重」「自主自立」「自由平等」

  さて、終盤へ向け少し話の軌道を修正しましょう。

 明星生が社会へ出た時に「異物」のように扱われた経験談をよく聞きました。
かく言う私も、当時は「珍しいタイプだね」とか「生意気だな」とよく言われました。なんとなく流してしまう話を無視できない。空気を読まずに自分の意見を言う。追求したがる。疑問が多い…等々。学校では「何で?」と思考するのが当たり前だったのに世間ではいぶかしがられる。
多くの明星生が「どうしてこんな風に言われるのだろう?」「なぜ誰も意見を言わないのだろう?」と感じたことと思います。

 いろんな所で親が子供に「危ないからやめなさい」と怒る場面に遭遇します。仕事をしていると、多数の意見に従い意見を持たない人、「聞いてないです」「教わっていません」と無作為で積極性に欠ける人、自分以外のせいにして「悪くない」と主張する人、こんな方々にもお会いします。また、事業計画や商品企画の場で「前例がないので、難しい」との理由で複数の上司や取引先に却下されてきました。

 チャレンジしない・させない。未知のものに対し責任を負わず逃れようとする。前例のないことを全力で拒否する。これらの行為は、「恐怖」が根源ではないだろうか?と、お世話になっているある大学の先生が仰っていました。

 なるほど、未知は恐怖でもあります。であるならば、明星生はその恐怖に打ち勝つ力を教えられているのだと合点がいきました。そして、速いライダー達が「限界」を知るために「わざと失敗」していることに共通点を感じずにはいられません。自ら、知らないことを知る、わからないことを「なぜ?」と考える。原因を理解することで恐怖を無くし、人生(レース)をより良いものにするのだと。

 繰り返しになりますが、学園で学んだ理念は個々の生きる原動力、未知への恐怖に打ち勝つ力に変換されます。多様性が重んじられる今日、明星生はこの理念を語り継ぐことで社会に貢献できるのではないでしょうか。

 最後に、今回は自分の事や感じたことを書き連ねました。私自身は学生さんに向けて「期待しているよ」「頑張って」なんてことは偉そうに書ける身分でもなく(他にお手本となり目指すべく姿のOBの方々がたくさんいらっしゃいます)、それでも、もしこの話をお読みいただいた方が何かを受け取ってもらえたならとても有り難く存じます。

 ちなみに、昔から母には「危ないからやめなさい」「勉強しなさい」とは言われなかったのですが、「未だ暴走族を…」とは思われているかも知れません。





【お知らせ】
“TEAM FRONTIER #96”が出場する“鈴鹿8耐“は2023年8月6日11時30分から決勝スタート。BS12トゥエルビで生中継されます。


2023 FIM世界耐久選手権 コカ・コーラ鈴鹿8時間耐久ロードレース
https://www.suzukacircuit.jp/8tai/ (https://www.suzukacircuit.jp/8tai/)
https://www.twellv.co.jp/program/sports/8tai-2023/ (https://www.twellv.co.jp/program/sports/8tai-2023/)





明石 哲郎
【プロフィール】

明石 哲郎 (あかし てつろう)

1970年東京生まれ 東京都在住
H43TeamNOBBY マネージメント ディレクター

株式会社モトユナイテッドマーケティングディベロップメント代表取締役
他にも、ライセンス管理会社の代表やコンサルティング会社等数社の役員を務める。
理解ある伴侶と2人の娘に恵まれ家族と共に過ごしつつ、仕事に追われる日々。