100周年記念インタビュー

 
あらゆる年代から愛されるヴァイオリニスト 増田太郎
作編曲家・ヴァイオリニスト・卒業生(54回生)



 リレーエッセイ第17弾は、作編曲家・ヴァイオリニストの増田太郎さん(卒業生54回生)による特別インタビューの形でお贈りします。
 当日、奥様と明星学園を訪れてくれた太郎さん。さらには、増田太郎さんを愛し、日頃から太郎さんを応援している明星学園の増田太郎応援団(濱田弘子さん24回生・冨平裕子さん29回生・舩山典彦さん29回生・大野映子さん33回生・赤井創さん36回生・中原香織さん47回生)の6名も加わり、増田太郎さんの魅力をたくさん引き出してくれました。
 増田太郎さんが多くの方々に愛される理由がわかる、人柄がにじみ出てくるような温かいお話を伺うことができました。

*増田太郎さん=太郎(敬称略)、ありかさん(奥様)=ありか(敬称略)、濱田弘子さん=濱田(敬称略)、
冨平裕子さん=冨平(敬称略)、舩山典彦さん=舩山(敬称略)、大野映子さん=大野(敬称略)、
赤井 創さん=赤井(敬称略)、中原香織さん=中原(敬称略)、本校教員=進行


赤井:
今日はお暑い中、明星学園に足を運んでくださり、太郎さんありがとうございました。
太郎: こちらこそありがとうございます。
赤井: 明星学園も100周年ということで、80周年でもない90周年でもない、やはり100周年という大きな節目で、みんなで盛り上げていきたいと考えています。
 現在、多くの卒業生や学園関係者のみなさまにリレーエッセイに素晴らしい言葉をいただいておりますが、今回太郎さんにもお願いしたいということで、今日はよろしくお願いします。
太郎: こちらこそよろしくお願いします。








作編曲家としての仕事とヴァイオリニストとしての仕事



進行: 本日はありがとうございました。
 まずはじめに、みなさんご存じだとは思うのですが、改めまして増田太郎さんの現在の取り組み、特に力を入れている活動をお話いただけないでしょうか。
太郎:
はい。二つ大きな柱があります。
 まず、一つは作編曲家として、テレビやアニメ、ドラマや映画の音楽制作をしています。最近だと、2022年からNHKの『おかあさんといっしょ』の番組オープニングテーマを担当させてもらっていて、毎日僕の作った曲と演奏が流れています。
 あと、『おかあさんといっしょ』のお兄さん・お姉さんが歌う今月の歌というのがあって、今までに3曲提供させていただきました。年に1回番組のアルバムを制作するのですが、ぼくが作曲した楽曲が3年連続アルバムタイトルになっています。 そのうち2曲は、「ありたろう」として、歌詞をありかと共作しています。

進行: 僕も孫ができましてちょくちょく遊びに来るんですが、『おかあさんといっしょ』をつけると、太郎さんの曲が流れてくるわけですね。
太郎: そうなんです。オープニングで15秒ほど流れてきますよ。画面の端にはヴァイオリンを弾くワニさんも登場して、スタッフさんの愛情を感じています♪
進行: ぜひ見させていただきます。



進行: そしてもう一つの活動はどのような活動でしょう。
太郎: ヴァイオリニストとして全国で演奏したり、様々なアーティストのレコーディングやコンサートでヴァイオリンを弾く仕事をしています。
 そして、全国の学校・自治体・企業にお招きいただいて、お話もたっぷり聞いていただきながら、音楽も楽しんでもらう「講演ライブ」という活動もしています。

進行: つい最近も東北の方へコンサートに行っていたと聞いたんですが、東北の方へはどのような活動でいってらっしゃったんですか?
太郎: 東北とは震災前からいろいろご縁があったんですが、やはり震災以降にさらにいろいろな出会いがあって、今回は東松島と、石巻にある、「鹿島御児神社(通称、日和山神社」)でコンサートをさせていただきました。
 小高い丘の上に建っていて、震災の時にみなさんが避難された神社です。ニュースでも良く流れていた場所です。
進行: 僕も震災の2週間ほど前に石巻を訪れてすごく親しみのある場所だったんで、震災後何度も石巻を訪ねたものですから、その場所はよくわかります。
太郎: 日和山神社でのコンサートは、これもすごいご縁があって。
 震災後、みなさん避難所生活をしているときに、石巻のライオンズクラブの方にご案内いただいて、2日間で9カ所の避難所をまわって演奏した際、最後に日和山神社にお参りして、お守りを買おうとしたら、売り場にいた宮司の奥さまに、『あれヴァイオリン?』って声をかけられて。
「CD聴いてます」って。しかもお正月の三が日には、初もうでに来た方に向け、僕のアルバム『希望の景色』をかけてくださっていると教えていただきました。
 それから、「ぜひコンサートを」という流れで、最初は2015年。2017年が2回目、それから神社が再建されたので少し時間があいてしまったんですが、今年の6月、東松島と日和山で、3回目のコンサートをしました。


音楽をやっている者の最高の幸せ ~ 再会


進行: 先ほど増田太郎応援団の中原香織さん(47回生)からいただいたチラシにも、東松島の「ハラハラシンガーズ」っていうコーラスグループがあって、一緒に演奏することもあるみたいですね。
太郎: 「ハラハラシンガーズ」最高ですよ。
 中原さんが東北の応援活動をされている中で出会った男性4人のコーラスグループで(ピアニストは女性)、中原さんが「すごく素敵!」と言って吉祥寺に呼ばれたんですが、これが本当に素晴らしくて、終演後には、その場でセッションしちゃったのがご縁です。
 今回は東松島の芸術文化振興会10周年記念で招かれ、そんな特別なコンサートで共演できてとても幸せでした。

行: 明星学園のことは後で聞くことにして、ここまでお仕事のことを聞いてきましたが増田太郎応援団のみなさんからも何か質問ありませんか。
濱田(24回生): 今回東北のコンサートにもいってきましたが、私が太郎のヴァイオリンに心から感動したように、東北のみなさんも会場全体で太郎の演奏を聞きながらみんなで笑ったり、涙流して感動したり、本当に素晴らしいコンサートでした。
太郎: 会場のみなさんの反応は、嬉しかった!
 せっかくの機会なので『東北zeroツアー』と名付けて、全国からみんなで集まって、東北の人も、東北を応援している人も交流してもらえるように、コンサート後の宴で、親睦を深めてもらいました。これからも続けていきたいし、やっぱり音楽をやっていて「何が幸せか?」って言われたら、出会いはもちろんですが、それ以上に「再会」が格別ですよね。本当に財産だなって思うんです。
 東北も伺うたびに、親戚が増えてくように知り合いがどんどん増えていくんですよ。「また来てね~」って。だからいつからか、「東北に行く」というよりも「東北に帰る」みたいな感覚になっていきました。
 「帰ってきたよ」「よかったね」「乾杯!」っていう感じが、最高に「しあわせ」ですね。





『生きる』プロジェクト ~生徒の群読に合わせて演奏をする

進行: 他にも回ったりされているんですか?
太郎:
はい。もう一つ、大切にしている活動があります。
2011年6月、福島県の中学校の校長先生が、「震災で校舎が倒壊してしまい、今も仮設校舎で毎日頑張っている子どもたちに音楽のプレゼントをしたい。ぜひ秋に学校に来て、演奏してほしい」という
メールとともに、学校だよりなどを送ってくださいました。
 頑張っている一人ひとりの生徒のことを思い「増田太郎の音楽を届けたい」と言ってくださる校長先生の想いに感激し、生徒さん達に音楽のプレゼントをしたんです。
 その先生とは、今もずっと交流を続けています。
2017年には、この一年、生徒が学んできたことを谷川俊太郎さんの『生きる』という詩、「生きているということ」の書き出しに続けて、「生徒一人ひとりが綴る言葉に音楽をつけてほしい」というご依頼をいただきました。
「ぜひぜひ!」とお返事したら、すぐに録音された生徒の群読が送られてきて。それを聞いたとたん、ものすごく感動しちゃって、すぐに曲がパーっとできて。
 その年の卒業式に生徒のみんなの群読に合わせた僕の演奏で、楽曲『生きる』を発表し、CDもリリースしました。それ以来、先生が学校を移られても、「生きるプロジェクト」として群読との共演を続けています。

『生きる』 谷川俊太郎

生きているということ
いま生きているということ
それはのどがかわくということ木漏れ日がまぶしいということ
ふっと或るメロディを思い出すということくしゃみをすること
あなたと手をつなぐこと
    ・
    ・
    ・

福島県郡山市立冨田中学校「生きるプロジェクト」
谷川俊太郎さんの『生きる』の生きているということ
の後の言葉を、生徒一人一人が考え、それを群読する。
その群読に合わせて増田太郎さんがヴァイオリンでオリジナル曲を演奏する。


生きているということ
未来を考え
一人一人が思いやりの心をもち支え合いながら
絆を深めていくということ

生きているということ
命があるということ
必ずいつかは死ぬということ
だからこそ命を大切にするということ命のバトンをつなぎ
リレーしていくということ
    ・
    ・
    ・
増田太郎《生きる~群読入り》~東北zeroツアー第二弾&福島県郡山市立富田中学校生きるプロジェクト - YouTube



「人生のサウンドトラック」になりたい

進行: 今の話しを聞いて、大野さん(33回生)どうでした。
大野: もう喜びがいっぱいという気持ちになりました。
 『生きる』の群読を聞いているだけでも胸を打たれますから、それに太郎さんが曲をつけてくれて発表できるなんて子どもたち嬉しいですね。
太郎: 音楽って、ヴァイオリン自体は言葉を持ってないですけど、でも人の想いに寄り添うことができるんだなあって、あらためて感じました。
大野: よく聞くのがヴァイオリンって人の声に似ているって。すごく子どもたちの声に合うんだろうなって今お話聞いていて思いましたね。だから聞いてみたいですね。
一同: うん。聞いてみたい!
濱田: 私、太郎の東北のツアーも全部行ったんですが、この間の東北でのコンサートで『生きる』を太郎が演奏する時、「ここにいらっしゃるみなさん一人ひとりが、今まで生きてきた中の大切な10年の人生を切り取り、思い浮かべながら聞いてください。」って言ったんですね。それがとっても良かったんです。一緒に行ったみんなで感動してたんですよ。私なんか、長いこと生きてきたんで10年じゃ足りなくて、いろんなことを思い浮かべながら聞きましたね。あの一言には本当に感動しました。
太郎: 東松島市芸術文化振興会10周年だったので「10年」と言ったのですが、もちろん、人生のいろんな場面を想っていただけたらという気持ちで演奏しました。
 僕の想いを受け取っていただけて、こちらこそありがたいです。
濱田: 前の席の方が涙を流していたり、嬉しそうな顔をしていたり、やっぱりみなさん一人ひとりにそれぞれの人生があるからで、それを太郎が引き出してくれた。
太郎: ありがとうございます。そのお話を聞けて僕自身もとっても嬉しいです。
 今日までテレビや映画のサウンドトラックもたくさん作ってきましたけど、究極の願いとしては、聞いてくれる人の人生のサウンドトラックになりたいと思っていて。
 音楽が立ち上った瞬間に、一人ひとりが主人公の物語がそこに重なっていく。そんな音楽になれたらいいなと思っています。
 『生きる』は、福島の校長先生との出会いから生まれて曲だけど、皆さん一人ひとりにいろんな人生があって、その人生と音楽で響き合えたらいいなって、
 『生きる』に限らず、これが今音楽を続けている一番の願いであり、原動力ですね。




「本気」は伝染する

行: ここまで「生きるプロジェクト」のお話をしてきましたが、太郎さん自身、これまで生きてこられていろんなことがあったと思うんですが、そんな中で「これだけは大事にしてきた」っていうものはありますか。
太郎: まず一つ、僕が信じてるのは「本気は伝染する」ということです。
 例えば、コンサートのときにはリハーサルから、全力でやるんです。もうみんなが笑っちゃうぐらい。でも、やっぱりそうやって本気でやることによって、空気って伝わるんですよね。
 全国各地で演奏していると、地元のスタッフさんの中にはちょっと流れ作業みたいな方もいたりするんですよ、やっぱり。みんなが本気でガーっときてるわけじゃないんですね。でも、リハーサルから思いっきりワーっとやって、もうそれこそ1曲目から 「コンニチハ~! 」とかって叫びながら演奏したりすると、スタッフさんの表情が変わっていくんですよね。会場の空気が変わっていくのがわかるんですよ。
 だから、目の前にいる人がちょっとやる気がなさそうな時「なんだよ」じゃなくて、自分から「本気」を届けてぶつかっていけば、それは必ず伝染するんだと思っています。
 もう一つは、自分自身で勝手に「もう駄目だ」って自分の可能性に蓋をしないってことです。
 「こんな自分」なんて思わずに「今の自分」にできることを探しながら、歩き続けていきたいですね。





逆境と聞かれることが逆境だ

進行: 今、生きていく中で大切にしていることをお聞きしましたが、これまでの人生の中で苦しかった時、辛かった時ってありましたか?
太郎: 3年前、ヴァイオリンを構えた時に、なんかちょっと奥歯がかゆいなみたいな感覚があって、最終的に大きな病院で検査を受けたら、左アゴの骨に腫瘍があって、幸い良性だったのですが、下顎の骨が半分以上溶けていたんです。
 それで、砕いた腰の骨を顎に移植する手術を受けることになったんですけど、その時に「もしかしたら滑舌に影響が出るかもしれない」って言われたんです。で、「どうしようか?」ってやっぱり思いますよね。しゃべるの大好きだし。
 でもその時にありか(奥様)と、「なくなっちゃう物に目を向けるんじゃなくて、今ここにあるものを大切に、それを活かしながら生きていくのがいいよね」って話しました。
 すごくありがたいことに、今でもこうやってムチャクチャ喋れてますし「味覚も半分無くなるかもしれない」と言われたんですが、それも無く本当にありがたかったです。
ありか: 「ここが使えなくなったら、ここを使ってこうしよう」とか「こういう風に食べたら大丈夫かな」って、2人でわりと冷静に話していました。
進行 :そういう前向きな考え方って昔からそうだったんですか? 例えば、これが使えなくなっちゃう、どうしようどうしようって後ろ向きになるんじゃなくて、これを使っていこう、みたいな前向きな考え方って、昔からしてたんですか?
太郎: そうですね。そういうタイプでしたね。
進行: ありかさん、どうですか。
ありか: よく取材で「逆境にあった時」のことをすごく聞かれるんです。私も一緒に考えるのですが、本人はいつも「ない」と言うんです。「逆境は?と聞かれ続けることが ゛逆境 ゛だ」と話しています(笑)。
進行: ほ~
ありか: 私も、「それって、ちょっと格好つけてるんじゃないのかな?」って思っていたのですが、本当にポジティブなんですよね。
 結婚していて裏表あったらやっていけないので、それは本当だなって思います。
 すごくね、一言で言って ゛常に未来を見てる ゛っていう感じがしますね。
大野: 小っちゃい頃の話しをするとね、1年生の時に松井幹生先生っていう数学の先生が担任だったんだけど、研究授業の時みんなの集中が途切れた時があって、そういう時に「クラスの合図」みたいのがあったみたいで、太郎君が指だったか言葉だったか忘れたけどその合図を出したら、みんなが集中してた。
太郎: え~! 俺おぼえてないよー! でもね、そういえばわりとそういう指名は受けてました。先生から。
大野: だからクラスの中心になって引っ張っていくタイプでしたね。



筋道を立てて考えていく明星学園の授業  ~今の音楽に活かされている

進行: 今、明星の1年生の頃の話が出ましたので、ここからは明星学園の話をしていきたいと思います。
 すごく単純明快な質問なんですが、明星学園はどうして選んでくれたんですか?
太郎: はい、僕は「ふじ幼稚園」に通っていたんですが、赤井創さんのご両親が園長先生をされていて、両親が入れてくれて、それは本当に今でも感謝しています。
進行: 赤井さん、ふじ幼稚園はどちらに?
赤井: 今私が住んでる吉祥寺南町1丁目にあります。ずっと母が園長をしていて、その前が赤井米吉だった。赤井米吉が園長をしていたんですが、年を取って母に代わり、母親がずっと園長をしていました。
太郎: ふじ幼稚園がいよいよ閉園するって時に、さよならコンサートを園でやらせてもらって、すごく印象に残っていますね。
 「ピアノ動かしたい」って言ったら、「今ピアノを動かすと床が抜けるから駄目」って言われたり(笑)。
 最後に僕がピアノを弾いて、みんなでふじ幼稚園の歌を歌って、
進行: それでそのまま明星学園小学校ってことですよね。
太郎: そうです。小学校・中学校・高校とスーパー明星生です。

進行: 明星の小学校時代ってどうでした。
太郎: すごく鮮明に覚えているのは入学試験の時、目の前の先生が卵を2個出して、「どっちがゆで卵かな?」っていきなり言われたんです。あてずっぽうで答えたら、「どうしたら割らずにゆで卵を当てることができると思う?」って聞くんですよ。
 で、「わからない」って言ったら、「回してみればわかるよ」って。「ゆで卵は中が固まってるからクルクル回るけど、生卵はドロドロなのできれいに回らないんだよ」って言われて、メチャクチャ感動して、そんな世界があるんだ!ってすごく興奮して、早く家に帰って家族に教えたい!って思ったのを覚えています。

進行: 衝撃的な明星学園との出会いだったんですね。その後は?
太郎: さっきもお話がありましたが、1年生から6年間、松井幹夫先生に担任していただいたのですが、先生の算数の授業がいつもニコニコなんですよ。
 先生自身が算数が大好きで「算数って、答えを導き出すのって、こんなに面白いんだよ」ということが、ビシバシ伝わってきて。
 1+1=2じゃなくて「なぜ1+1は2になるんだろう」って理由を考える楽しさを徹底的に教えてもらいました。
 それがメチャクチャ面白くて、例えば17-2ならみんなすぐに15って出せるけど、17-9ってどうやったらいいんだろうってなるじゃないですか。それをみんなで3時間ぐらいかけて考えていく。そういう授業だったから17-9がわかれば、23-5も、12-8も、同じ筋道で解くことができる。応用が利くようになっていくんですよね。
 もう一つ忘れられないのが、「(2分の1)たす(3分の1)はなぜ(6分の5)」になるのか、それを説明する絵本をつくろうという授業があって。1人1人物語を考えて1か月かけて絵本を創ったんです。
 忘れられない思い出です。
この理由や筋道を考えていく授業は、音楽の世界でも活かされていて、ラジオやテレビから流れてくる曲に、「なんでこんなにワクワクするんだろう」とか「どうしてこんなにキュンキュンするんだろう」と感動した時、その理由や仕組みを考えていく癖がついているんですよね。
 楽曲を分解してみたり、ちょっと斜めから聴いてみたり、そういう聴き方ができたので、音楽を創ることに子どもの頃からものすごく興味をもっていました。
 今、サウンドトラックを創る仕事をしているときも、例えば戦闘シーンなんだけど、ちょっと間の抜けた戦闘っていうオーダーが来た時、どこに間の抜けたフレーバーを足すかを考えるのがすごく面白いんですよ。答えにたどり着く面白さですよね。
 だから明星で教えていただいたことはダイレクトで今に活かされています。



バンドと音楽に明け暮れた中学・高校時代

進行: 中高時代はどうでしたか?
太郎: 遠藤春幸先生にはアンサンブルクラブでお世話になりました。
僕は初代のコンサートマスターだったんです。
進行: 太郎さんの時は中高一緒だったんですか?
太郎: 僕が入った時から合同になりました。
 それまでのアンサンブルクラブは、みんなでリコーダーを吹いていて、まったく興味なかったんですけど(笑)、ヴァイオリンを聴いてくれた遠藤先生から「オケ創りたいんだけどやってくれない」って、はじめて中高一緒になりました。

進行: ところで、音楽といいますかヴァイオリンそのものにはいつ頃出会ったんですか?
太郎: ヴァイオリン自体は5歳から始めたのですが、実は父が横田基地の米軍キャンプで歌ってたんですね。休みの日には、家でギター弾いて歌っていて。
 僕、生まれた時からちょっと視力が弱かったので、両親としてはクラシックの勉強をさせたかったみたいなんです。
 でも僕は父のギターがかっこいいなと思っていたので、5歳になった時に、「ギターが弾きたい」って言ったら、両親も「しめた」と思ったんでしょうね。「ギターが弾けるようになるには、ヴァイオリンが弾けるようにならないといけないんだよ」って言われて、純粋だったのでそのままヴァイオリンを始めました。
進行: 中学校時代はどうだったんでしょう? バンドを組んでと聞きましたが?
太郎: 組みました、組みました。いくつものバンドをやってましたね。
 友だちといろんな場所で演奏してて、みんなギター持って通学してて、僕は自転車の後ろにアンプ積んでギターを肩にかけて登校していました。
 学校来て、休み時間ずっと弾いていて、みんなで合わせるのがあまりにも楽しかったから、理科の授業に出ないで教室に残って弾いてた。それを見つかって反省文を書かされましたけど、楽しかったな。
 この時にみんなで合わせる楽しさを知りました。ヴァイオリンはずっと1人でレッスンに通っていたので。

進行: それでそのまま高校に上がられたと思いますが、高校ではどうでしたか?
太郎: もうとにかく音楽一色でしたね。音楽室に入り浸って、音楽準備室でお弁当食べて、食べ終わるとすぐにピアノ弾いたりヴァイオリン弾いたりしてましたね。
 高校のありがたかったところは、選択授業です。
 たくさんの中から自分の責任で選ぶ物・選ばない物を決めるので、その責任の重さは感じましたが、やりたい道を自ら選べたのは、とてもありがたく面白かったです。




人との出会いに恵まれた人生

進行: 高校になると色んなタイプの人がいて、将来のこともいろいろ刺激を受けたと思うけど、進路について悩んだこととかありましたか?
太郎: 音楽で生きていきたい、というか生きていくんだろうなってことをずっと漠然と思っていたので、悩むということはなかったです。
 明星を卒業してから、松任谷正隆さんが校長として立ち上げた音楽学校に進んで、編曲を松任谷さんから教えていただきました。
舩山: 松任谷さんて、ユーミンの旦那さん?
濱田: お家へ伺ったり、仲良くさせてもらったって聞いてるけど。
太郎: うん。お家や別荘にも伺ったし、レコーディングの現場を見学させていただいたり。
 そんな中で音楽の本質みたいなものを教わりましたね。
舩山: そういう意味では、明星学園を出てからも良い方に出会えたってことだよね。
太郎: そうなんですよ。うちの両親がよく言ってるんですけど、「太郎は、人に恵まれているね」って。本当にそうだなって思います。
 でも、その第一歩がやっぱり明星学園なんですよね。今日だって、大先輩方が応援に駆けつけてくださる。
『徹子の部屋』の出演が決まった時にも、みなさん自分のことのように喜んでくださって、舩山さんなんて、LINEに入っているすべての方に見るように連絡したって言ってくれて、メチャクチャ嬉しかったです。
 濱田さんが東北のコンサートに駆けつけてくださったり、やっぱり今も同じ時間をともに過ごしてくれて、それは本当にありがたいし、心強いし、幸せだし、゛これって明星だな ゛ってすごく思いますね。
ありか: みなさん家族のように可愛がってくださって・・・。
進行: そうですね。僕、いろんな人にインタビューしたり話してきたけど、とにかく増田太郎さんから受ける印象は「愛されてるな」って、感じますよね。
太郎:
本当に幸せものです。
 ちょうど10年前に味の素スタジアムで国体の開会式で演奏した時もね、すごくたくさん来てくれて、喜んでくれて・・・。
ありか: 香織さん(中原香織さん)もお店を休んで来てくださって、それはもう、あり得ない話しだから、、、感激しました。
濱田: それとね、私なんかは明星とは関係ない人を太郎のコンサートに引き入れるんだけど、一度引き入れた人が全然逃げないんですよね。「どっちが太郎と近かったの」って思うくらい明星に関係のないお友達が太郎と親しくなってるんですよ。
 今回も東北ツアーに一緒に行った人たちも明星の人たちじゃ無いけど、明星の話をしてたりするの。
太郎を挟んでみんな明星の仲間のようになってく。
ありか: 私も ゛明星生 ゛の気分です♪
進行: えっ! 明星生じゃないんだ! 同級生だと思ってた。
太郎: 仕事も一緒にしているしいつも一緒にいるんで、なんだか毎日、一緒に旅をしているような、そんな気分です。とても幸せなことだと思っています。

進行: ところでコロナ禍は大変でしたか?
太郎:なかなかコンサートはできなかったのですが、ありがたいことに音楽制作のお仕事をいただいて、「おかあさんといっしょ」や「アニメ」や企業の音楽を創っていました。
 特に、アニメは3ヶ月に渡って放送されるので、いろんな場面の音楽を50曲ぐらい作って、海外ですごく人気のある作品なので、いろんな国の人から反響があって嬉しかったですね。

進行: コンサートは今はどんどんできるんですか?
太郎: まだ自分たちで主催するものは少なくて、お招きいただいた中で演奏することが多いですね。
来週も千葉県の教育委員会主催で教員のみなさんに向けた講演ライブをしてきます。
 少し前には小学校でも演奏したのですが、「こんなに楽しそうな大人をはじめて見ました」って言われた時は、ある意味、音楽を褒められる以上に、ものすごく嬉しかったですね。
 あと、さっきの「本気」っていうことで言うと、石川県の高校の講演ライブに行った時、演奏が終わった後に高校生の男の子から
゛僕もヴァイオリンを習っていたんですが、ずっと先生から「心を込めて弾きなさい」って言われ続けて、それがどういうことかわからず、ヴァイオリンをやめてしまいました。
でも今日、太郎さんの演奏を聞いて、「心を込めて弾く」というのがどういうことかわかったような気がしました。久しぶりにヴァイオリンを出して弾いてみたらとても楽しかったです。゛
というメールをもらって、、、このメールも本当に嬉しかったですね。
 どんな所で演奏しても、必ずその中に通じ合える、響き合える人がいる。そう信じられることが幸せですね。
濱田: あっ、あと太郎! 『くらやみ祭の小川さん』っていう映画のコンビニのBGMの話しもしてよ。
太郎: ああ、六角精児さんが主演で高島礼子さんや柄本明さん、江口のりこさんが出演された『くらやみ祭の小川さん』っていう映画の音楽を創らせていただいたのですが、
その時ちょっとした仕掛けをつくろうと思って、
六角さんがコンビニで仕事をしている後ろで流れるBGMっていうオーダーだったんですけど、「そうだ!」って思って明星学園行進歌をモチーフにボサノバ調にした曲が、BGMとして結構うしろで流れてましたね。
赤井: それを太郎さんに教えていただいたんですが、気がつかなかったのでもう一回観に行きました。
太郎: そうやってリピーターを増やす作戦です(笑)。

進行: みなさん他に質問どうでしょう。
冨平: 大ファンです。
 先ほどから聞いていて太郎さんのファンが多いのは、やっぱり太郎さん自身の性格がいいからだと思っています。私散歩してるんですが、太郎さんの『バラ色の薔薇』って歌がすごくウォーキングに合うんですよね。
 いつもあれを聞いて歩いています。2時間3時間聞きながら歩いているんで、コンサートに行けてないんですが、なんか身近に感じています。





明星学園100年の「想いのバトン」を繋いでいく

進行: ここまで、ありがとうございました。
 では、最後にひとつだけ100歳を迎える明星学園に一言いただけますでしょうか。
太郎: 4人の先生と21人の生徒さんから始まった明星学園で、この100年、「出会い」「学び」「巣立ち」また、どこかで「再会」しているたくさんのみなさん。
僕らも含めたたくさんの人たちの中で、明星を創られた先生方の『想い』が、まるでバトンのように繋がって、広がりながら、今日の日を迎えているのだと思うんです。
そんな『想いのバトン』が繋がっていく中にいられることがすごく幸せだし、そんな風に迎える100周年って本当に特別ですよね。
これからも、150年・200年と明星学園の「想いのバトン」が繋がり、広がっていくことを
僕自身も、音楽とともに、その輪に加わっていけることを心から願っています。

進行: 素敵なお話聞かせていただき、本日は本当にありがとうございました。





インタビュー後


舩山: 太郎君。今日せっかくヴァイオリンもってきてくれたんで、太郎君の演奏でみんなで『見上げてごらん夜の星を』を歌いたいんだけど、どうですか。

一同: ぜひお願いします。
* 最後はみんなで、増田太郎さんのヴァイオリン伴奏で『見上げてごらん夜の星を』を歌いました。



【お知らせ】
近日開催コンサート:
『ザ・クリスマスショー2023 ~Happy Taro Reunion♪』
想いが届く距離、心がつながる特別な時間♪
隠れ家のような音楽堂で2023年を締めくくる、ちょっとプレミアムなアコースティックライブ♪

日時:12月17日(日)
昼の部 15時開場/15時半開演
夜の部 18時半開場/19時開演
会場:霞町音楽堂
https://ongakudo.tokyo
〒106-0031 東京都港区西麻布4-2-6 B1
出演:増田太郎(ヴァイオリン・ボーカル)・矢嶋マキ(ピアノ)
田中淳子(ハープ)・徳島由莉(ヴァイオリン)
料金:6500円(+1ドリンク)
お申込み・お問合せ
mail@tarowave.com
TEL 080-5434-8478(Mプロ☆ナカジマ)






増田太郎

【プロフィール】
増田太郎(Taro Masuda)

作編曲家・ヴァイオリニスト
小、中、高校と明星学園で学ぶ。
5歳よりヴァイオリンを始め、中・高校時代はアンサンブルクラブ初代コンサートマスターを務める。20歳で弱視であった視力を失うも、その生命力あふれる演奏が、テレビ朝日《徹子の部屋》出演ほか、新聞各紙に取り上げられる。
映画 「くらやみ祭の小川さん」(出演、六角精児・高島礼子・柄本明・江口のり子ほか)はじめドラマ、アニメ、ドキュメンタリーなどの音楽制作を手掛け、2022年4月より、NHK「おかあさんといっしょ」番組オープニングテーマの作編曲と演奏を担当。
同番組で放送された 「おたすけ!およよマン」(2021)、「まほうのラララ♪」(2022)、「キミにはくしゅ!」(2023)はいずれも番組発『年間ベスト』
CD&DVDタイトルチューンに起用される人気曲に。
2023年1月より放送のTVアニメ『痛いのは嫌なので防御力に極振りしたいと思います。2』ではⅠ期に続き劇中音楽(46曲)を担当。
TVアニメ「ふしぎ駄菓子屋銭天堂」オープニング曲のヴァイオリンソロなど、多方面で活躍。
コンサートのほかに、全国の企業・自治体・学校等に招かれ『講演ライブ』を開催。
クラシックとはひと味違う「参加型」ステージは、「ヴァイオリンのイメージが180度変わった」と世代を超えて人気が高い。
オフィシャルホームページhttps://www.tarowave.com/