100周年記念インタビュー

蝶に魅せられて
300年前のメーリアン『スリナム産昆虫変態図譜』日本語版を復刻した蝶愛好家 白石雄治
オーレリアン(蝶愛好家) 白石環境株式会社 取締役会長 卒業生(30回生)



 リレーエッセイ第18弾は、オーレリアン(蝶を愛する人たちの意味)の白石雄治さん(卒業生30回生)による特別インタビューの形でお届けします。

 インタビュー当日、お住まいは栃木県にも関わらず、明星学園100周年記念リレーエッセイのために駆けつけてくれた白石さん。一目会った時から、ただならぬオーラを発する白石さんですが、蝶の話になると少年のように目を輝かせて話をしてくれます。
 明星会の大野映子さん・舩山典彦さん、同級生の山崎まやさんと共に、小学校2年生から今日まで、蝶に魅せられた人生を振り返ってもらいました。

*白石雄治さん=白石(敬称略)、舩山典彦さん=舩山(敬称略)、大野映子さん=大野(敬称略)
山崎まやさん=山崎(敬称略)、本校教員=進行

 



アマゾンに「魚」と「昆虫」の博物館を建てる



進行: 白石さん、本日は遠方からお越しいただきありがとうございました。
今日は、私と明星会の大野さん、舩山さんの3人で色々と質問させていただきたいと思います。
  よろしくお願いします。

白石: こちらこそよろしくお願いします。

進行: 早速ですが白石さん、明星学園はどのような経緯でお知りになったんですか?

白石: 私は高校から明星学園にお世話になりました。富士見ヶ丘中学校に通っていましたが、当時絵を習っていて、絵の先生のお嬢さんが明星の中学生で「白石君明星に来ない?」と誘ってくれました。住まいも三鷹台だったもので、近いこともあり高校からお世話になりました。
大野: 高校からですか。
白石: そうです。そこで私と10日違いの誕生日の山田洋子が3年間同じクラスにいました。
大学に入ってから交際し結婚、当時23歳だったので比較的早かったですよね・・・。
 結婚生活は、今年の10月で55年になります。
一同: ビックリ!
白石: よく離婚されずにここまできたなあ・・・と感謝の一言です。
山崎: いや、ほんと耐えたよね。
白石: ハ ハ ハ (笑)

進行: いろんな所にお出かけになったんでしょうね。

白石: 東南アジアと南米の熱帯を中心に世界30数か国を飛び回りましたが、1988年、今から35年前になりますが、ブラジルのマナウス(アマゾン川中流の都市)に、仲間と3人で自然科学博物館を建てる幸運に恵まれました。法律上の問題を含め困難なこともありましたが、約6000坪の敷地にナマズを主体にした魚類と、蝶を主体にした昆虫の博物館(500坪)です。
大野: それで秋篠宮様が行かれたんですね。
白石: そうです。秋篠宮様は当時ナマズの研究をしておられたので、日系三世の方が巨大魚(2m・170kg)のピライーバというナマズを秋篠宮様へとプレゼントしてくれました。みんな「どうするんだよ?」って言って、すごく苦労してお金も手間もかけて宮内庁に送ったのを覚えてます。
大野: それは大変でしたね。
白石: 今となっては懐かしい思い出です。昨今、生物の多様性を含め自然のことが取りざたされることが多くなりました。日本には沖縄が返還になっても、まだ蝶は250種類しかいませんが、私どものアマゾンの博物館の敷地内には700種類の蝶が生息しています。

進行: 資料の中にそのアマゾンの博物館に50mの塔を建てたってあるんですが、これはどういうことでしょう?
白石:
 これは要するにキャノピー、天蓋(てんがい)の調査です。
 太陽の光は、アマゾンの場合は地上には10%も降りてこないので、下の地面の世界はジメジメしていて、下には下の生態系があります。
 原生林の上層部には百花繚乱の別世界があり、その生態系を調べるためには密林の上に出る必要があります。そこで、1000万円ぐらいあの手この手で集めて、天空の調査用の塔を建てたんです。ところがそれが大変な問題となりました。アマゾナス州の州都マナウスには熱帯研究所が近くに在り、その国立の研究所にひがまれましてね。「我々もやってないことを外国人のお前らがなんだ!」って。法的な問題にも転じて、未だに苦労が続いています。

進行: 下の方に湿った生態系があって、真ん中あたりに別の生態系があって、上の方にもまた別の生態系があって、それぞれ全然違うから50mの棟を建てたということですか?
白石: おっしゃる通りです。当初は毎月のように甲虫の新種が発見された程です。
今ではマレーシアなどの熱帯のジャングルでは普通に見られる光景になりましたが、当時は珍しい物でした。




小学校2年生から「蝶」を追い続ける


舩山:
 ところで、蝶に興味を持ったのは、高校時代?
白石: いや、小学校2年生ぐらいでしたね。
進行: ここから子供の頃の話を聞きたいんですが。
白石: 小学校2年生の時、夏の終わりが近づいたある日の学校の帰り道。松林と麦畑が点在する場所でしたが、足元に咲く白い花に見たことのない深紅の蝶が止まっていたんです。 息を止めてそっと近づいて、素手で捕まえて近所の蝶の収集をしている大学生の所へ持って行きました。
 何の変哲もないベニシジミとわかったのですが、大学生のお兄さんは私に懇切丁寧に蝶の説明をしてくれました。そして、彼の収集した膨大な標本にア然としました。半世紀を過ぎた今でも鮮烈に蘇るこの時の体験が、終生の友として私に多くの夢と喜びを与えてくれた蝶との出会いでした。

進行:その後は蝶にのめり込んでいったんですか。

白石: 小学校時代から中学時代はずっと蝶を追いかけていました。
 僕は昭和20年の、物がない時に生まれ三歳で結核になり、40度の熱が1か月続いて母はもう死ぬかと思ったら、たまたまペニシリンに出会い肋膜炎を併発していたにもかかわらず九死に一生を得ました。
 小学校4年の時に転校することになって、保谷小学校から杉並区の松庵小学校というまたとない進学校に編入しました。転校した途端、学校の勉強が何やってるのか全然わからないんですよ。理科だけは元々得意なのでなんとかなりましたが、それで勉強がすっかり嫌になっちゃいました。
そんなこともあって、蝶にのめり込んでいったんですが、肺炎やって、肋膜炎やって、小学校5年の時に結核になって、中学は非常にすさんだ時代で、僕が一番暗い時代でしたね。
 そんな時、先ほどもお話ししたように、絵の先生に「明星に来なさい」と誘ってもらい、明星の扉が開けたんです!もうそれは僕にとっては今までとは全く違う別世界でした。自分の生涯でこんなに楽しい時代は無かったと思えるぐらい明星の3年間は充実した青春の時空でした。「お前の人生で何が一番楽しかった?」と聞かれたら、アマゾンで珍蝶を追いかけた時?フィリピンで蝶の新亜種を発見した時?北インドでテングアゲハを採った時?アマゾンに夢の博物館を建てた時?全部違います。やっぱり明星の3年間なんです。
 中学生活が終わりに近づいた或る日、標本箱を取りだした時に虫に喰われて墓標の様になった蝶達を見て何かが切れてしまった。
全てのエネルギーを運動にぶつけて、サッカーに夢中になり、迷う事は何もなかった。もう十分楽しかったし、「これが青春なんだなあ」と思ってましたね。

進行: 大学以降はどう過ごされたんですか?
白石: 学生時代には先ずハード・トレーニングをして身体を鍛えて、様々なスポーツにチャレンジしました。結果として、その後世界中を巡る準備になったと思います。仕事との両立も厳しい時代でしたが、フィリピンのミンドロ島の中部山岳地帯で蝶の新亜種を発見したり、マレーシア山岳地帯でコブラを捕獲したり、タイのジャングルで虎に遭遇するなど、好まざることもありましたが、蝶の収集のために熱帯を中心に世界30数か国を行脚しました。
 蝶を追う旅が私の中で一段落した時に、1冊の本と運命的な出会いがありました。
 奥本大三郎、荒俣宏共著の『虫魚の交わり』です。その本には、18世紀から19世紀にかけてキラ星のごとく活躍した世界屈指の博物学者達の本の紹介が載っていました。中でも、モーゼス・ハリス、エドワード・ドノヴァン、レーゼルフォン・ローゼンホフ、ロバート・リッポンなどを差し置いて、一際目立ったのがこれからお話ししていくマリア・ジビーラ・メーリアンでした。






あこがれのメーリアン『スリナム産昆虫変態図譜』の原本を探し続けて


進行: さて、そのメーリアンの『スリナム産昆虫変態図譜』に魅せられて、日本語訳の復刻版を創っていくわけですが、そこに至るまでのお話をお聞きしていきたいんですが。
白石: まず、今から300年前にドイツに生まれた女流博物学者マリア・ジビーラ・メーリアンは「スリナム」という国に行って、そこで観察した昆虫や植物を『スリナム産昆虫変態図譜』にして出版しました。彼女は1705年に第一版、1719年に第二版、1726年に第三版を出版したのですが、僕はこの1726年に出版した第三版の原本を手に入れ、その日本語訳(英訳付き)で完全復刻版を創りました。今日はそのお話が中心になりますが、まずはじめに「スリナム」という場所はどこにあるのかお話しします。
 アマゾン川の本流は、ほとんど赤道直下ですが、アマゾンから少し北に上がって、それでも千キロぐらいありますが、そこにスリナム共和国があります。



 マナウスにあるアマゾン自然科学博物館のすぐ北なのですが、空路、陸路等、何もないのでブラジルとのつながりも少ない状況です。この国自体にはまだ日本人が数十名ぐらいしか住んでないので、未だに領事館も無く、最近まで近隣のベネズエラが管轄していましたが、元々オランダ領で今も公用語はオランダ語です。(現在は、トリニダード・トバゴ大使館が兼任して管轄)
大野: 300年前、そこにこの女性(メーリアン)が行っていたんですからね。
白石: 日本では五代将軍徳川綱吉が「生類憐みの令」を発令していたころ、ヨーロッパでは「魔女狩り」が普通で、短期間に五万人も処刑された時代に、市長をはじめ周りの全ての人達が反対する中、「私は行きます」との堅い決意のもと、娘と共にオランダのアムステルダムから三か月かけて帆船でスリナムに向かった、この勇気あるメーリアンの足跡を是非たどりたいと、この本を出す前から「私も必ず行く」と願い続けてきました。

マリア・ジビーラ・メーリアン(Maria Sibylla Merian、1647年4月2日 - 1717年1月13日)
 ドイツ生まれの、植物や昆虫などを詳細に描いたイラストで知られる画家で、自然科学者でもある。
 芸術家としての名声に加え、蝶や蛾の変態を緻密な観察眼と描写力で描いた彼女は、昆虫学に多大な貢献をもたらした人物として高く評価されている。
 
 1699年52歳の時に娘を連れて南米スリナムに渡る。スリナムでは、驚くべきスピードで新種の昆虫や植物類の発見を次々と成し遂げた。さらに、収集したサンプルやスケッチなどを、綿密に検討を重ねて分類し、詳細な説明を加え、1705年にはスリナムの昆虫類についての手彩色銅版画集『スリナム産昆虫変態図譜』を出版した。
 
 彼女の『スリナム産昆虫変態図譜』は、ロシア皇帝ピョートル1世も購入し、ナポレオンやゲーテもこの『スリナム産昆虫変態図譜』を絶賛している。ドイツでの評価は高く500ドイツマルク紙幣に彼女の肖像画が使われていた。





ついにメーリアン『スリナム産昆虫変態図譜』第三版(1726年刊行)      の原本を手に入れる



進行: ところで、どのようにしてメーリアンの『スリナム産昆虫変態図譜』にたどり着いたのでしょうか?
白石: 僕も蝶を追っているうちに、徐々に17世紀から20世紀の博物学の時代の書籍に心を奪われるようになっていきました。写真も無かった時代に、紙の上に正確な姿を再現する技術は芸術作品ですよ。



                       
 この完成度で、1700年代の図版




白石: アマゾンのジャングルで蝶を追っていた若い時から、古今東西の図鑑に興味がありました。特に、先ほども話しました奥本大三郎、荒俣宏共著の『虫魚の交わり』を見たとき、一際目立っていたのがマリア・ジビーラ・メーリアンだったんです。
 メーリアンの描いた絵は強烈に印象に残っていましたが、まさか「自分が原本を手にすることになる」とは思っていませんでした。
大野: それが手に入ってしまうわけですね!
白石: ある時、バラで売られていたメーリアンの図版1枚をついに入手したんです。池袋の某デパートなんですが。その完成度の高さを見て、原本を何としても手に入れたいという情熱がますます湧いてきました。

*メーリアンの『スリナム産昆虫変態図譜』は、1705年に初版、1719年に第二版、1726年に第三版が刊行されたが、1705年の初版は日本には存在せず、1719年の第二版と1726年の第三版がそれぞれ国立国会図書館と東京国立博物館にある程度で、大変貴重な出版物だった。

白石:
 それで神田の古書店何軒かと取引がありましたから、みんなに声かけて、また別のルートでもイギリスやドイツに声をかけていたんです。そしたら数年後にそんなに大きくない古書店から連絡があったんです。「白石さん出たよ」。「え。どこから?」「いや、イギリスから」って。
 「2冊出たけれども、どっちにしますか?」というんですよ。
 最初、どういう意味か分からなかったんです。
進行: どういう意味だったんでしょうか?
白石: 当時、イギリスのポンドが下落していました。その影響で、没落していった貴族からメーリアンの原本が2冊出たんです。 1冊はノーマルで1冊は反転だって言うんです。版画だから反転ってそんな馬鹿なことが起こるんですね。
 僕は気持ち悪いからノーマルでいいですよって言ったんです。でも、あとから話を聞いて、借金してでももう1つ反転の方も買っておけばよかったと思いました。これ、後日談がありまして、15~6年前、あのクリスティーズとかサザビーズってあるじゃないですか。イギリスのオークション会社。クリスティーズがあなたの蔵書本をジャッジしますというのがあって、それで、その反転してる版画がものすごく高価なものだとわかったんですよ。
進行: ハ ハ ハ(笑)
白石:
 それはともかく、入手できるまでとても苦労しましたが、今から40年ほど前に、何とか1726年刊行の第三版の原本を手に入れることができました。
 それがこれなんです。

 
300年前の本
1726年刊行
メーリアン
『スリナム産昆虫変態図譜』第三版の原本
手袋とマスクをしている。







進行: ちなみにお値段なんかは教えてくれたりできますか?

白石: ・・・・
進行: 下世話な話ですみません。
白石: ロシアの科学アカデミー動物学博物館・動物学研究所であのピョートル大帝がコレクションしていたメーリアンの『スリナム産昆虫変態図譜』をみましたが、私の入手した原本の方が遥かに状態がいいんですよ。ハ ハ ハ(笑)




日本語訳による完全復刻版を作る

進行: メーリアンの『スリナム産昆虫変態図譜』をようやく手にしたわけですが、そこから日本語訳の復刻版をどうして作ろうと思ったんですか。
白石: メーリアンの図譜を目にしているうちに、こうした傑作を自分一人で楽しんでいていいのか、っていう気持ちにだんだんなっていきましたね。
 夜中に一人でニヤニヤ見るもんじゃない。誰でも見られるようにしないといけないと思いました。

進行: そこからどのように進めていったんでしょう?
白石: 何とか日本語訳をして完全復刻版を作りたいと考えたんですが、1726年の第三版はオランダ語とラテン語で書かれた物で、このテキストを翻訳する力量が当時ありませんでした。
 そこへ、仲間から朗報が入ったんです。ヨーロッパを訪問したとき『スリナム産昆虫変態図譜』のドイツ語訳を入手してきてくれたのです。

進行: ほお~!
白石: ドイツ語なら翻訳を引き受けるという人が現れたんです。
 岡田朝雄さん。ドイツ文学者でヘルマン・ヘッセの『少年の日の思い出』の訳で有名な方です。

*岡田さんも熱烈な昆虫愛好家で、ヘッセの『少年の日の思い出』は岡田さんの指導教官であったドイツ文学者の高橋健二さんの訳が70年以上読まれてきたが、その指導教官であった高橋健二さんに蛾についての講演をしたほどだった。
 岡田さんは、2012年12月に『少年の日の思い出』を彼の新たな解釈によって翻訳し、これを含めた『少年の日の思い出 ヘッセ青春小説集』を刊行した。

 

白石: そしてもう一つ、1705年の初版には掲載されておらず、第二版・第三版に追加された12の図版のテキストは、ドイツ語が手に入らなかったので、フランス語を翻訳することになりました。
 こちらも、同じく昆虫好きのフランス文学者・奥本大三郎さんが翻訳を引き受けてくれました。
 苦労の連続でしたが、構想から5年の月日を経て、ついに日本語(英訳併記)による『スリナム産昆虫変態図譜』の完全復刻版が完成しました。

日本語訳の復刻版を出したときの白石さんの記事


     翻訳してくださった岡田さん(ドイツ文学者)と奥本さん(フランス文学者)の記事




大野: よくぞ、これを作ろうと思ってくださった。
山崎: 本当すごい。ほんと、白石君の情熱ってすごいなあと思って。 ま、それを支えた奥様も


白石さんが復刻した
メーリアン『スリナム産昆虫変態図譜』
日本語版

明星学園に寄贈してくださいました。



進行:本日は本当にありがとうございました。
 そしてまた、明星学園にこのメーリアン『スリナム産昆虫変態図譜』日本語訳 完全復刻版を寄贈してくださり、ありがとうございました。


大野・舩山: 明星学園には昆虫が好きな子がたくさんいます。後援会で企画しますので、ぜひ白石さんの蝶のお話を子どもたちや保護者のみなさまにお話ししてくれませんか。
白石: もちろん。喜んで。




【お知らせ】
明星学園卒業生 白石雄治さん
蝶々の先輩が来る
蝶々との出会いを求めて世界30数か国を飛び回り、
採集した蝶は約5,000種を超える。
蝶に魅せられたのは小学校2年生の時に出された昆虫採集がきっかけ。
そんな白石さんが、300年前にヨーロッパで出版された
『スリナム産昆虫変態図譜』の日本語版を
5年がかりで復刻しました。300年前の絵とはとても
思えない美しい彩色で描かれた実物大の蝶の絵です。
その貴重な図譜を明星学園に寄贈してくださった
白石さんが、今回講演してくださる機会を作って下さいました。

大先輩の虫と図譜のお話。
お聞き逃しないように!


講演タイトル 「空飛ぶ宝石・蝶」
日時 2023年10月28日(土) 14時~
場所 いちょうのホール






白石雄治

【プロフィール】
白石雄治(しらいしゆうじ)

オーレリアン(蝶愛好家)
白石環境株式会社 取締役会長 
昭和20年(1945)生。
明星学園高等学校卒業(30回生)
日本鱗翅学会会員、日本蝶類学会会員。
『スリナム産昆虫変態図譜1726年版』の所有者。
幼少より世界三十数か国で蝶目を採集する熱烈な蝶の愛好家。
洋書の稀覯本収集家としても知られている