特別インタビュー

 
プロ和太鼓奏者 近藤玲未(卒業生80回生)




 リレーエッセイ第22弾は、卒業生でプロ和太鼓奏者の近藤玲未さんの特別インタビューをお届けします。当日は明星会の舩山典彦さん(29回生)・大野映子さん(33回生)を初め、現和太鼓部顧問で近藤玲未さんの和太鼓部時代の先輩にあたる上田源也さん(79回生)、和太鼓部OGの保護者山森睦代さんにも参加していただき、学生時代から現在に至るまで、和太鼓に打ち込んできた近藤玲未さんの生き様に迫ります。


*近藤玲未さん=玲未(敬称略)、舩山典彦さん=舩山(敬称略)、大野映子さん=大野(敬称略)、
 上田源也さん=上田(敬称略)、山森睦代さん=山森(敬称略)、本校教員=進行
*このインタビューは2023年11月に行われたものです。






舩山:まずはインタビューの前に、リレーエッセイになぜ近藤玲未さんを推薦したか、お話しさせていただきたいんです。
 2016年に、明星会会報に近藤玲未さんを取り上げたんですが、その時、明星を卒業して明星大学の4年生だったけど、もうすでに和太鼓でプロを目指すということを仰っていて、「すごいな」と思ったんですよね。今回は今までのことや今後のこと、それをぜひ取り上げていただきたいなって思いまして。
大野:「大学4年生で和太鼓のプロを目指す。」これだけでもう明星の子だなと私は思います。
 しかもそれを実現する。ちゃんと実現していくっていうのはとてもすごいことです。お話を聞きたいなって、思いましたね。
舩山:もうすでにその時に『和太鼓 暁』(※以下「暁」)に入ってたんだよね。
玲未:そうですね、大学1年生から所属していて、舩山さんにはコンサートに来ていただいて。
舩山:それで今年の7月に行った時に、引退っていうからびっくりして。
玲未:今年いっぱいで「暁」は退団して、2024年から独立します。





教師になろうと思っていた大学時代



進行:では、明星学園との関係については後の方で逆にさかのぼる形で聞いていきますので、最初に明星学園を卒業して、現在はどんな活動をしているのかお聞きしたいのですが?

玲未:現在はまだ「暁」というチームに所属をしているので、そのチームでの演奏や、個人や、「暁」とは別に女性だけでチームを組んで演奏したりしています。
 また、チームでやっている教室で教えたり、講師業等もやっていたので、「演奏」と「レッスン」の2本がメインの活動です。

進行:そうですか。明星を卒業した後の大学時代も和太鼓部か何かに所属して、和太鼓を続けてきたということですか?
玲未:
入った大学に和太鼓部とかサークルがなかったので、太鼓を続けたいと思って、いわゆる地域の太鼓チームを探していた時、たまたま「暁」と成田太鼓祭りで出会いました。
 その時はプロは目指していなかったのですが、太鼓を明星の部活でビシバシやっていたので週1回とかの活動じゃ物足りないだろうから、ビシバシ教えてくれる人がいる中でやりたいと思っていました。ちょうど「暁」の活動が私の思いと合致したので入らせてもらいました。
 大学4年間はいわゆるアマチュア、学生として演奏しながら、小学校の教員になりたくてずっと教職の勉強をしていました。

進行:
その時点では和太鼓のプロというよりは、小学校の教員になりたくて大学に入って勉強をしていたんですね。 その「暁」ってプロ集団ですか?
玲未:はい2017年からはプロとして活動してきました。

進行:4年間は教員になろうと勉強していたわけですが、どこかで転機があったんですか?
玲未:そうですね。大学でインターンシップや教育実習をしていく中で、自分は子どもたちと関わるのが好きで教員を選んだんですけど、教師と生徒っていう関わり方が、肌感覚でというかなんとなく合ってないんじゃないかなと思って。
それで、大学3年生の時にもっと近い距離で子どもたちと関わりたいなと思ったので一旦先生は諦めようって思って。じゃあ、仕事何したいかなって考えた時に、他に好きなことは太鼓しかないなと思ったんです。「暁」の代表は私が入った時からもうプロとして活動していたので、大学4年間はプロってこういう活動してるんだなっていうのを身近で見て育ったんですが、高校時代は和太鼓のプロって言えば「鼓童」さんしか知らなかったので、プロは自分には無理だろうなと思ってたんです。
    *鼓童=新潟県佐渡市小木を拠点に国際的に公演活動を展開するプロ和太鼓集団 
 一番の転機になったのは、大学4年間色々な大太鼓のコンテストに出させてもらっている中で、4年生でこれで最後にしようって出場した男女混合の北海道のコンテストで、本選では女性が私しか残っていなくて、そこで審査員特別賞をいただいたんです。その審査員をやっていた「一般財団法人 浅野太鼓文化研究所」の理事長の浅野さんに、「太鼓のプロは太鼓が好きだったら技術とか不安なこととかはなんとかなるから、とにかくやってみたらいいんじゃない。」って背中を押してもらったのがきっかけです。大学4年生の9月に太鼓奏者になろうって決めました。

 

和太鼓奏者として生きる決意をした大学4年生


進行:その浅野さんって方に背中を押していただいたんですね。

 それが大学4年生の時で、卒業したらそこでプロとしてやっていこうと決意をしたんですか?
 その北海道の大会で賞をもらったことも、割と自信に繋がったのでしょうか。
玲未:2015年大学2年生の時に 1度、長野県の大会の女性部門で優勝はしているんですけど、受賞が自信になったっていうより、本当に周りの方に言われた言葉があったからです。

進行:2年生の時に大会で優勝して、そして4年生の北海道の大会で賞をもらって、その時の周りの方々の言葉でプロになろうと決意したんですね。
 卒業してからしばらくはどんな活動をされていたんですか。

玲未:大学を卒業してすぐは、地元の国分寺にお囃子の文化はあるんですけど、和太鼓の文化がなくてチームもほとんどなかったので、まず国分寺で太鼓を広めたいっていうのがあったんです。
 それでチームがやっている教室の国分寺校として自分で教室を開校したんです。最初は2人、3人だったんですけど、今は 20人近く集まってます。ほとんど女性なんですけど、国分寺を中心に演奏もしています。

進行:それは、お子さんとか?
玲未:今はたまたまなんですけどほぼ大人の方、女性の方が多くて男性は1人だけです。主婦の方だったり働いてる方だったり、太鼓をやってみたいという方たちが集まってます。

進行:主婦の方々が太鼓をやってみたいと?
玲未:趣味を持ちたいっていう方もいるし、トレーニングというか身体のためにしたいっていう方も。コロナ禍の自粛期間とかはストレス発散とかも多かったです。
大野:保護者の方たちも、みんなやってますもんね。PTAサークルでも。

進行:それで、和太鼓を伝えたいということで国分寺に本格的な教室を開くことになったんですね。じゃ、教室をやりながら「暁」の演奏会に出ていたってことでしょうか?
玲未:そうですね。卒業してしばらくは、「暁」でのコンサートや全国各地でも演奏させていただいてました。そのうち、「チーム以外の方と演奏するのはすごく刺激にもなるし勉強にもなるから、いろんな人とやってきたらいいよ」って代表からも言ってもらったので、女性奏者の方や、和太鼓もいろんな流派があるので自分がやってないような打ち方や、違う分野の方と一緒にセッションをしたりとかして。その中でも大太鼓には1番力を入れていたので、コンテストにも毎年出場していました。






女性ならではの大太鼓を広めたい


進行:大太鼓って、大太鼓1本でコンテストに出るってこと?
玲未:はい。規定時間が大体は3分で演奏してくださいって。女性の部門もあれば、男女一緒に競うというのもあって、その心技体が審査されるものなんです。
 2022年、審査員の方に恵まれていたのか、タイミングもよく2回優勝させていただいて。女性の大太鼓人口がアマチュアもプロも含めてそんなにいないんですけど、そこから、私の演奏を見て「私も大太鼓やってみようと思います」とかお声をいただくようになって。ちょっと前だと「女性は大きいの打たなくていいから」、「力強いのは男性に任せておけばいいから」っていうのが主流というか、未だに和太鼓っていうと男性っていうイメージがある中で、別に力強いのが全てじゃないし、女性ならではの大太鼓って絶対あると思うんです。女性にも打ってほしいなと思っているので、去年からは女性に「大太鼓をやりませんか」「一緒にやりましょう」って言ってます。

進行:2回優勝したって言いましたが、大会はいろんな場所であるってことですか。毎年?
玲未:
いろいろなところであります。
 富士山の大会には学生の頃から出てます。そこも男女混合なんですが、2022年の7月に優勝しまし
た。

進行:ぶっちゃけて言うと、今女性の大太鼓と言えば近藤玲未さんって感じなんですか?
玲未:なりたいなと思ってます。
上田:でも、最近他には大太鼓の女性って思いつかないんですよ。

進行:だからそんなに優勝してるんだったら、もう第一人者っていう感じなんじゃないですかね。
玲未:第一人者っていったら、もっと先輩方がいっぱいいらっしゃるんですけど。
(※謙遜してますね~)
大野:「想い」がいいですよねえ。今までの常識だと大太鼓は男の人が打つのが当たり前みたいに思ってたかもしれないけど、女性の音があるんだって。その発想も私は素晴らしいと思うの。

進行:なるほどね、ただ音が大きいだけじゃなくてね。
舩山: 7月に玲未さんが「暁」で出てて、とにかく、演奏自体が素晴らしい。

進行:僕も演奏自体は何度も聞いたことがあります。で、そのくらいもう第一人者に近くなりつつあって、今、更にその向こうへ進もうとしているというか、何か考えがあって独立するのですか?
玲未:
チームを離れて独立をするっていうことで、今自分の中では2024年からは女性チームでの活動がメインになっていくだろうなと思ってます。 女性だけでもこれだけ演奏ができるんだとか、和太鼓イコール男性っていうイメージをちょっとずつ崩していきたくて。
一同:うんうん。いいですね。
玲未:女性もこういう太鼓はできるし、男性もこういうのができるし、なんか両極の和太鼓のいいところをいろんな人に知ってもらいたいなと思っていて。今の小学生の子たちもそうなんですけど、あんまり和太鼓を知らない子が多くて、「和太鼓、あぁゲームセンターのですか?」って。それも太鼓ではあるんですけど・・・。
太鼓が木や牛の皮でできているのを知らないということも結構あるので、小学校などにも行って演奏も含め太鼓に触れてもらいたいです。とにかく1人になって幅も広がるので、自分の活動を通して色々な意味を含めて和太鼓を知ってもらうことができたらなっていうのがあります。








高校から初心者で始めた和太鼓


進行:なるほど、なるほど。集団にとらわれずに自分でやりたいことが、いろんなことができるので独立しようと考えてるってことですね。
 ところで、和太鼓と出会ったのはいつですか?
玲未:明星の和太鼓部です。

進行:え。そうなの?
玲未:そうです。
 和太鼓自体の音やお祭りがすごい好きだったんですけど、自分がやるっていう発想もなかったし、やる場所があるなんて知らなかったので。 明星学園に和太鼓部があるっていうのは入学前に知ったんですけど、入学式で先輩たちの演奏を見て、「あっ!こういう演奏もあるんだ」、 「女性もいるしこういう人達めちゃめちゃかっこいいな」と思って。それで友達とか誘わずに1人で体験入部に行ったんですけど、それでいまだに奥西先生(前和太鼓部顧問)に言われてるのは、「この子あんまり太鼓好きじゃないんだろうなって最初に思った」って。高校入学した時はすごく人見知りもするし、感情を出すっていうのが得意じゃなかったから。

進行:人見知りをする方だったの?
玲未:かなり。
 自分から話しかけに行くとか得意ではなくて。和太鼓やってみたいなと思ったんですけど、でも「和太鼓部行かない?」って人に声をかけられなかったので、何かを1人でするのはあまり好きじゃなかったけど1人で行ったんです。自分の中ではすっごく楽しくてしょうがなかったんですけど、それが一切顔に出てなかったみたいで、奥西先生にはこの子は入らないんじゃないかって思われてたみたいです。

進行:お前楽しそうじゃないぞ、みたいな感じ?
上田:
覚えてます。ふふ(笑)

進行:上田さんは先輩なんだね?
上田:はい。1年上です。
玲未:体験入部も終わって、「私入ります!」って言って入ったんですけど、高校からだったのでもう本当に0から教えていただいて。慣れない中でもできなくてもすごく楽しくて、やればやるだけ練習した分、「あぁ太鼓ってちゃんとついてくるんだな」っていうのを入ってすぐ感じてて。
 でもやっぱり一番苦労したのは、演奏しながら表現することが苦手で、指導者の方にも「笑って打ってごらん」、「楽しくないの?」「つまらないの?」って。「楽しいです」、「じゃあ笑ってごらん」、いや笑えないっていうのがずっと続いてて。そんな中、3年間やって全国大会に行かせてもらったり、いろんな定期演奏会で演奏させてもらったりとかも苦手なんですけど、不思議と本当に嫌じゃなくて。  
 高校の3年間の8割方は部活しかなくて、ジャージで朝学校行ったなとか、朝練したな、昼練したなとか。今こうやって自分が和太鼓奏者っていうカタチでお話をさせていただいていたり、 来年5月に演奏させていただくこと、奥西先生が一番驚いてます。「あの玲未が!?」って言われます(笑)

進行:つまり人見知りであまり自分を表現するのが得意じゃなかったんだけど、かっこいいと思って勇気を出して仮入部してみた。その入学式の演奏は相当感動したんだね。
上田さんも、覚えてるってどんな感じでした?玲未さんは。
上田:今本人が言った通りで、僕もこうなるとは思ってなかったです。
 先輩として見てた時はあんまり自己開示するようなタイプじゃなかったから。だから驚いたのは、まず全国大会に残るんだっていうこと。和太鼓の全国大会(総合文化祭)って都大会で勝って(入賞して)出場を決めてから次の年度になるじゃないですか。なので12年生(高3)になると、出るか出ないかをそれぞれが決めるわけですよね。受験やその他進路次第で出るっていう人もいれば、いや、受験に専念するから出ないっていうような人もいて。「出ない」の方じゃないかなって、うっすら思ってた。12年生で玲未は出ないと思いながら卒業したんですけども、「えっいる!?」って、ビックリしました。
一同:ふふふ(笑)
上田:そこでやってる姿が何かちょっと違ったんですよ。僕らが高校時代、後輩としてやってた時とは。多分そのあたりから違ってきた。

進行:どんな感じだったんですか?
上田:もう演奏している中で目立つ、目を引くようになってきてたんです。ポジションとしては真ん中とか前に出てきてはいなかったんです。ちょっと中央からは外れてたんだけど、なんか目立ち始めてたっていうことがあって。それが僕が大学1年で、玲未が12年生で全国大会に出ていた時の印象です。

進行:以前高校で校長してたんだけど、和太鼓部の特に女の子の印象って、すごく 声を出してニコニコして「いい表情してる」っていうのがとても感動するんですけど、でもそれが最初できなかったって言ってたよね。それはある時からそういう表現ができるようになったのかな?
玲未:高校3年間でできてたのかって言われると、そこはもう周りの方にどう思われていたかわからないんですけど、でも太鼓や って、太鼓で性格って変わるんだろうな、っていうのは思ってました。引っ込み思案だったのが、やっぱり声を出さなきゃいけないし、自分を表現しなきゃいけないし。出さないとどんどん演奏も埋もれていっちゃうし、それこそもう演奏してる意味がなくなってしまうので。 
 私の感覚としては10年生の時と12年生の時での違いは、客席を見れるようになったということはありました。最初の頃はなんかちょっと恥ずかしいじゃないですけど、自信がないから「これでいいのかな?」「自分がやってるのっていいのかな?」って感じがあって。 12年生になって、「あ、お客さんが笑ってくれてる」とか、「お客さんあそこ見てる」とか、自分以外のところ、見てくれてる人に意識を向けられるようになり始めて、そうなると「表情も変わってくるんだろうな」と思いました。
 あとは単純に後輩ができたことで、私の下の子たちが中学生からやってたり外部でやってた子たちが多かったので、単純に頑張らないと先輩としての威厳もなくなっちゃうっていう焦りも多分あったと思います。何とかして自分を変えなきゃっていうのはありました。

進行:なるほど。
 でも、客席とかを見ることができるようになるって技術的にすごく上達したってことですよね? それで自信が持てるようになって余裕ができて観客も見ることができるようになる、みたいな関係性かなって思うんですよね。だから10、11年生の頃、相当練習したんじゃないですか?
玲未:ずっと和太鼓と共にあったから生活は10、11年生の時も今も変わってないかもしれないです。生活の基本に太鼓があって、筋トレもしてたし、柔軟も大事っていうこととか、太鼓以外の部分も大事なことをすごく教わったり、礼儀ひとつとってもそうでした。

進行:そうですよね。
玲未:
なんか人間を作ってもらったような。





みんながいるから伸びる。集団の力で全体を底上げしていく。

進行:素晴らしい!
 和太鼓部をずっと見てて思うのは、なんていうかな、 集団で高めていくチームだなって。例えば、すごい指導者ももちろんいるでしょうけど、それがマンツーマンというよりは、先輩たちが下級生も含めて一緒に高まっていくっていうようなクラブかなって見てたんだけど、上田さん、どう? やっぱり教えたりしたんですか?

上田:
教えてましたよ、教えました。
 特に僕らからすると、玲未の代は11人ぐらいいたっけ? 内部からは1人しかいなくて残り10人は初心者で。なので僕が11年生の時にどうしたもんかという会議になりまして。
舩山:女性と男性の割り合いは?
上田:えっと、男性1人、女性10人で、その女性10人の中の1人だけが 7年生からやってた人で、あとは全員初心者ってことで、「さてどうしたもんかって」いう、はい、会議になりましたね。
山森:それだけの人数がみんな太鼓の魅力を感じて初心者で入ってきてくれたんですか?
玲未:その前年に確かTBSさんで取り上げられてて。
山森:あ、都立深沢高校さんとのね?
玲未:それを観てた子が半分いました。入学する前から和太鼓部に入るって決めてたって人がほとんどです。

進行:そうそう、僕は中高一貫だから中学生からやってきた子がたくさんいるクラブっていう印象があったけど、当時は高校からの初心者も多かったんだね。
上田:
年によります。
 玲未の代は前例がないぐらい初心者がいたので、そういう意味でいうと1人だけ初心者だと多分辛くなってたと思うんですけど、周りもできないからみんなで一緒に上がっていくような状況でした。

進行:でも、それで3年間で全国大会に行ったんですか?? 全国大会とかで叩けるようになるんだ。
玲未:
まずは入った年の都大会に出たいし、出れるレベルにならなきゃいけないっていうのもあって、とにかく奥西先生には、「この代は本当に努力しないと誰も上がれない、こんなこと今までなかったんだから、とにかく頑張ってくれ、お願いだから頑張ってくれ」ってすごく言われてました(笑)
上田:要求したものはものすごかったと思う。先生からもそうだし僕たちから教えることも。
玲未:先輩方が内部からの方も多かったし、レベルも高かったし。
山森:特別な代でしたよね、上田先生の代は。そう聞いてます。技術も高いし太鼓愛もすごい。曲もたくさん作ってましたよね。

進行:すごかったの?
上田:僕みたいな太鼓バカみたいなのが5人も6人もいるような状況で。
 他で太鼓をやってたっていう人もいて。だからいろんな太鼓を聞きまくるし、ずっとこう手を打っ
てるし、練習として与えられてないものまでやり始めるし、なんかいろんなことをするような人たち
だったので。だから「これできるよな?」とかキラーパスみたいのがバンバン投げられてたような気がします。

進行:それでもみんな初心者で全国大会行くなんて、すごいことだって思う。
舩山:
僕はそこの体育館ができた時、62年前の初めての卒業生なんです。その当時はクラブってバスケットとテニスがあったけど、砂利のグラウンドでやってたんです。
 とにかく部活って明星会で関わっててね、今いろんな部活ができてね、ものすごい羨ましいんですよ。

進行:明星は女子バスケットもあるし、最近はいろんなクラブが活発に活動して全国大会に出てるけど、やっぱり和太鼓部の活躍も大きかったと思うよね。
舩山:出口さんが明星会会長の時に「和太鼓応援団だ!」となって、僕らも本当にあっちこっち、全国大会も盛岡から三重まで追っかけやってましたよ。楽しかったですよ。

進行:ところで、初心者で入って先輩からもいろんな課題もらって、明星の3年間の生活の基本は和太鼓ってことだったけど、そのぐらいすごく和太鼓のことを考えて過ごしたのかな。
玲未:
昼休みも同級生の和太鼓部の人といて、みんなで屋上で椅子をぺちぺちぺちぺち叩いていました。でもその同級生がほとんど初心者っていうところで「うわ、あの子あの曲覚えて、うわ、出てる!」「うわ、あの子あそこのポジションになった!」「いや次私も!」とか単純に「うわ、褒められてる!」とか、お互いライバル心もすごかっただろうし、負けず嫌いもかなり多かった。

進行:なるほど、

玲未:でも女子がほとんどだしライバル意識も強いんだけど、いわゆる女子の関係っていうよりは本当に仲間意識が 強くて、「次の都大会はこの10年全員で出たいよね!」って。だからみんなで太鼓打たない練習をしたり、できない人のフォローもしていました。だから逆に初心者が多くてよかったのかなって、今は思えます。

進行:そうか。全体が高まらないと全国大会とかそういうのもいけないだろうから、みんなで支えながら全体を上手くしていこうってことだね。
大野:みんな一緒に初心者ってところ、それがよかったね。
玲未:ひたすら先輩たちの打ってるところを見てました。当時まだ携帯がガラケーだったので、動画を撮って見直すこともそんなできなかったんで、見て、盗んで、言われたことは太鼓ノートにひたすらメモしてました。






適度なライバル心も高め合うための糧に


進行:みんなで支え合う中でもライバル心みたいなものがあったと言ってたけど、例えば今玲未さんは大太鼓打ってるわけじゃない? だんだんポジションが変わっていくとかもあるの?
上田:
変わりますよ。状況によって変わりますね。
山森:人気のポジションみたいのもありますよね。
玲未:あります。ここをやりたいとか出てきて、それこそ高校時代の大会では男性部員が大太鼓をやるっていう習わしがあって、女性のパートの中でも、それぞれがやりたいパートがあって。

進行:やりたい場所があるんだ。それでそこに向けて頑張るけど先越されたとかそういうのがあるってこと?
玲未:あります。「私このポジションじゃないところって言われちゃったけど、だったらこのポジションで私はこういう風にここで輝くのを目指す」と思っていました。
上田:やりたいものができるわけじゃないんですよ。みんなが同じポジションやりたいって言ってそのポジションだけになったら、曲が成立しないです。
一同:あー、そうだね。
上田:その願いが叶うかどうかって言ったら、叶わないことの方が多いんですよ。
山森:その頃もオーディションとかありましたか?
上田:不定期というか、そういう場面になったら起こりましたね。ここに穴ができたとかここの編成が変わるっていう時に、下準備をしてるかどうかでその候補に上がれるかどうかが決まるんです。

進行:そこもできるよ、みたいな感じになってるってことだね。
上田:でも、絶対そのチャンスが来るかって言ったら、そうとも限らない。
大野:そうじゃなかったことが、またすごくいいんですよ。
玲未:私の時なんか、「オーディションしますよ」ってした記憶はほとんどなくて、気づいたら見られてたみたいな。先輩たちにもそうですし先生たちにも。私たちが普通に曲を練習してる中で、終わった後に「ちょっと」って呼ばれて、「次のこれ、あのポジションね」って言われてました。

進行:それは奥西先生に呼ばれるの?
玲未:
出演する演奏会とかイベントによって奥西先生や先輩にです。
 だから「あっ、これは常に見られてるんだな」っていうのがあって。外部の指導者がいらっしゃる日もそうですけど、とにかく10年生の頃は、みんな部活や公演が近くなると胃が痛いって言ってたぐらい (笑)。常にみられているというか、「この日に間に合わせればいいや」だと絶対選ばれないんだろうなと思ってました。
 プロじゃないですけど、ある意味危機感を持ってやってました。
上田:僕がポジション決めてたんですよね。

進行:え、そうなの?
上田:
あの、大会等で演奏する『天と地※』っていう曲は僕らは触れないですけど、それ以外の曲の、「次の小学校公演や、この曲、どうしようか?」っていう場面で、ポジションはその年の大体、部長なり副部長なりが決めてて、僕の代は僕が決めてました。
 だから、「10年生から誰だろうな?」って思った時に頭に浮かぶかどうかっていうとこなんですよね、普段の活動をしている姿で。
    ※『天と地』大会等で演奏する、明星オリジナル曲。外部指導者、近藤克次先生の作曲
山森:太鼓もいろんな種類があるし、この太鼓のあのポジション、とかもあるし。
進行:その理想のポジションは、10年、11年、12年、となった時に、 割と自分のいきたいところに行ったってことなんですか?
玲未:自分たちの代になった時は、自分たちで話し合いもしながら部長とかが決めるんですけど、でも今思えば結構シビアだったなって思います。
 11年生の自分たちの代の定期演奏会では、私は「ここやりたいな」って思ったポジションがひとつあって、でもやりたい人が多いポジションだったので、「もうここは絶対取ろう!」ってそこはもうめちゃくちゃ頑張って一曲できました。

進行:じゃあ、できなかった人もいるだろうから、部長さんや副部長さん大変だったんじゃない?  なんか言われちゃったりしないの?
上田:
言われちゃったりはなかった。
玲未:言えないです(笑) はい。言えない言えない。多分選ばれなかった人は自分でわかってると思います。

進行:なんで選んでくれなかったの、なんていう子はいないの?
山森:娘たちの代はミーティング部って言われるぐらい、とにかくたくさんの時間みんなで話し合ってました。玲未さんたちもそうでしたか?
玲未:してましたね。
山森:すごくたくさん話し合って、話し合いができる環境を作ってきてるんですよね。だから、そういう文句とかも出ないんじゃないかな。
進行:すごいね。もう監督みたいな感じだね。部長や副部長。

舩山:やっぱり今でも明星の和太鼓部は比率としては女性が圧倒的に多いの?
上田:多いですね。
大野:小学生もそうだもんね。日本の芸能クラブ。太鼓って魅力的なんですよ。

進行:1人しかいない同級生の男子は大太鼓を叩いたんだ?
玲未:同級生の彼は違いましたね。同級生の彼は音楽性を持ってた子だったので、大太鼓っていうよりは締太鼓(しめだいこ)、テンポをキープするようなポジションでした。
 女子が10人中の男子1人で、ある意味みんなの安定剤じゃないですけど中立な立ち位置にいてくれるような人だったので、それでうまくいったりもしてました。女子は女子で合宿に行っても全員でお風呂でミーティングもして。そういうことを重ねてたから色々良かったこともあります。「先輩から今日こうやって言われたんだけど、どうしたらいいか?」「言われてることはわかるんだけど、その先どうしたらいいんだろう?」「じゃぁ、これ練習したらいいんじゃない?」っていうのも同級生で結構話して、初心者が多いからこそ分かってる人や経験者に聞いていました。

進行:和太鼓部で自分が学んだこといくつかあると思うんですけど、あげるとしたらどんなことがありますか?
玲未:太鼓の技術とかはもちろんなのでそれ以外だとしたら、人間を観察する力を学んだというか、身についたと思います。
 自分が上手くなりたいから先輩を見て、「あ、こういう手の動かし方をしてるんだな」「こういう身体の使い方してるんだな」っていう観察をしていました。 あとは、後半役職についた時はマネージャーも兼任していたので「 あ、この人今しんどそうだから次のメニューはこうしてあげた方がいいんじゃないかな」と、部活という組織の中での人間観察が結構身についたかなと思っています。それは今もすごく生きています。



     明星学園で学んだこと 

~いろんな人がいていろんな考え方がある。だから他の人の話はまずは聞くようにしている~


進行:なるほど。
高校から明星ということは、それまでは地元の国分寺の公立の学校だったのかな。

玲未:はい。公立の小学校、中学校に。

進行:明星学園はどうして来ようって思ったんですか?
玲未:元々都立高校を第一志望にしていてもう1校を探していた時、私立の高校の本を読んでたんですけど、ぱって開いた時に明星学園があって、「えっ和太鼓部があるとこって珍しいな」「こんなに自由な学校ってあるんだ」って思って。制服があるとか何があるなしっていうところで、「ほとんどないっていうのがどんな学校なんだろうか?」と思って1度見学に来た時に、確かインフルエンザが流行っててほとんど学生と会うことができなかったんですけど、校風や、その時は国際交流をしてるというお話を聞いて、当時は英語とかにも興味があったので楽しそうだなと思ったんです。
 多分、都立を第一志望で考えながらも色々と調べながら受験勉強してた時に、どこかで明星に行きたいな、都立落ちないかなって思いながら受験してて(笑)。だから本当に出会いはたまたまなんですけど実際学校見に来て、なんか行きたいなと思ったんです。

進行:それで入ってみて和太鼓部の印象はすごく強かったと思うんだけど、実際に生活が始まってみてどうでしたか? 明星学園の生活って。
玲未:説明会の時に学生の皆さんとお会いできなかったので、初めて明星生に会ったのが入学式だったんですけど「あれ?黒髪じゃない人がいっぱいいる」、入学式は制服がないけど制服っぽいもの着て行ったら「あれ?別に制服っぽい格好じゃなくてもいいんだ」とか、ある意味カルチャーショックじゃないですけど、私ここでやっていけるかなっていうのが 一番最初の印象でした。
 「本当にいろんな人がいるなぁ」「この人同い年なのかな?」っていう印象もあって。だから入学式の日は正直不安しかなくて親にも「やっていけるかな?」って言ってたんですけど、中学から上がってきた内部生はやっぱりフランクで、入学式に声をかけてくれたり、私と同じように高校から入った人たちも徐々に徐々に仲良くなって。

進行:うんうん。
玲未:だからだんだん大学みたいな高校だなと思って。自由だからこそ、自由っていう中でも自分たちで考えて学校生活送れるんだなって。 それで入学式で覚えた不安は1週間経たないうちに楽しいなに変わったんです。

進行:じゃあ、何か壁にぶつかったというよりは、楽しく過ごしたんですね。
玲未:そうです。同じ中学校から明星に来た人が誰もいなかったのもあって最初不安だったんですけど、明星学園っていうところでの壁に当たったのは多分1回もなかった。楽しいなっていうしかないです。

進行:もちろん和太鼓部の人たちの繋がりは強いと思うけど、他にもすごく多様な子がいたと思うんだけど、何か影響を受けたことってありますか?
玲未:あります。
 それこそ和太鼓部以外の友達もいまだに吉祥寺で会ったりもするんですけど、その子たちもやりたいことや得意なこと、考え方も全然違う子だったので、例えば何か勉強するにしても、自分が苦手な分野を勉強してて得意な子がいたら「どうやって試験勉強してるの?」って。で「私、こうやってやってるよ」でやってみたら、「確かにこれだったら楽しいかも」って思えたり、勉強1つとってもいろんな角度で考えられたりしました。悩みができた時にすぐ相談できる友達が多かったので、そういう意味でも悩んで「う~」ってなるより「あ、なるほど。そういう考えがあるんだ」と。

進行:割と友達に相談してた、それは和太鼓部だけじゃなくって、色々な友達がいて話してたって感じですかね。
 さっき和太鼓部で学んだことは、人を観察したりよく見る力がついたことって言ってたけど、高校3年間を明星学園で過ごして、学んで良かったな、今の生活や仕事でこれは生かされてることってありますか?
玲未:そうですね。やっぱりいろんな人がいていろんな考え方があるんだなっていうのは、明星に入ってもう身に染みて感じています。だから、例えば和太鼓でもいろんな考え方を持ってる人がいるけど、それが間違いじゃないし、初めて会った人、聞いたことない話は1回全部、絶対聞くようにしようっていうのは思ってて。それを自分が受入れるかどうか。「これは自分が今やろうとしてることとは違うけど、でも引き出しとして持っておこう」、まず興味を持つ、まず接してみるというところは、明星で自然と身についたのかなって。
「まずやってみようよ」、「まず興味を持ってみようね」っていうのは、インターナショナル・ウィークの時に、英語は話せないけどコミュニケーションを取ろうとした時に、相手にも自分が話そうとしてることが伝わったので、まず「これ無理だな」と思うのはやめようって思いました。

進行:あー、だから、さっき、それまでの自分が引っ込み思案のところがあったけれども、ちょっと外国の人にも話してみようかなっていう、そういうのは明星に入ってからチャレンジしていこうっていうか。
玲未:大袈裟な言い方かもしれないですけど、多分高校3年間で私、性格が変わったんだろうなと思います。

進行:そうですよね、今の話聞いてるとそんな感じがしますね。
玲未:周りから「明るくなったね」って、明星以外の友達や知り合いからはあの当時結構言われてました。



高校の卒業式

進行:最後に、今度、100周年記念式典でも演奏をしていただくんですけれども、明星学園が100歳を迎えるにあたって、 何かエールを送っていただけますか。
玲未:そんな大したことは言えないんですけど、でも卒業してみて、あ、やっぱり明星に入って本当よかったなって思う、卒業しないと逆にわからないこともあるのかなと思うんですけど、100年続いてるってことは、多分卒業生がみんなそう感じてて、それこそ子供ができて親になった時に明星に入れようって思う気持ちは私もすごくわかるし、まだ子どもはいないんですけど。 今も、中学生とか小学生のお子さんを持つ人に「高校迷ってるんですよね」とか、「中学受験しようと思ってて」と聞いたら「絶対明星1回行ってみてください!」って私、結構言ってます。

進行:ありがたいです。
玲未:行って最初はびっくりするかもしれないけど(笑)。でも、私はすごく行ってよかったって思ってて「机の上の勉強以外のことを肌で感じられる学校だと思いますよ」って。他の高校はわからないんですけど。でも他の友達から聞く限りでは、こんな自由にさせてくれる学校ってないし、でも自由だからこそ自分で考えて、じゃあもうやらなくていいやだと自分が困るっていうのを教えてくれた学校でした。時代が変わったとしても、自由な校風と生徒の雰囲気は変わらないでほしいなと思います。「ぜひ、明星に行ってください」って薦めたいと思います。このまま200年、300年とずっと続いててほしい学校で、私も何かあったらここに帰ってきたいなって今でも思っています。

進行:ありがたいですね、ありがとうございます。




後輩たちから玲未さんへ質問


山森:
実は、玲未さんの和太鼓部の後輩、大学1年生と11年生から、今日インタビューがあるというので質問を預かってきたんですが、うかがっていいですか?

進行:はい、いいじゃないですか。どうぞ、どうぞ。
山森:では、1つ目「玲未さんの思う太鼓の魅力はなんですか」
玲未:あー、そうですね。太鼓って音階がないんですけど、 ないからこそ、その人や人柄によって打つ音が違うと思ってて。 それこそチームでやってると、この人今日怒ってるなとか、 悲しいことあったのかなとか、というのも出るなと思ってます。
 だから全く同じ曲を 2日連続でやっても全然違う曲に聞こえるし、太鼓はほんと生きてるってよく言われることですけど、牛の皮とか木とか生き物でできてるから、生きた音や、生きた演奏になると、本当、私もその通りだと思う。打つ人によって、その人のなんですかね、 気分とかによっても違うし、日によっても違うし、太鼓は聞く人、演奏する人で変わるっていうのが面白いところなんじゃないかな。
山森:みんな同じじゃなくて、それこそ太鼓も音もそれぞれ生きてるっていうこと?

進行:それは皮でできてることも含めてなんですか?

玲未:そこの空気だったり湿気だったり、いろんなことで変わるので、皮の張が変わってきちゃうのでそれでも変わります。今日はちょっと音高いなとか、今日は低いなとか。

進行:なるほどなるほど、 あー、よくわかります、はい。その時々で違う音になるし、人によっても違う音になるんですね。なるほど、よくわかった。
山森:
2つ目の質問です。「和太鼓部での一番の思い出って。ひとつだけって言ったら?」
玲未:一番は難しい! 
 色々あるんですけど、でも 夏合宿かな。思い出がありすぎてどこのとは言えないんですけど。合宿をやるたびに、和太鼓部の、自分の学年に限らず、高校生だったら10年生から12年生の絆とか仲間意識がぐっ~と上がるところ、やっぱり本当に寝食共にするって大事なんだなっていうのを感じて、一緒に食事をして、一緒に寝て。でも高校生の合宿とかって基本みんな寝ないんですよね。寝なきゃダメなんですけど。

進行:え?夜喋ってるの?
玲未:「次演奏どうしよう」とか。

進行:真面目にやってるってこと?
玲未:
はい。
 それがすごい止まらなくなっちゃったりとか。寝ないって言ったらもう怒られちゃうんですけど。でもほんとにずっとそれを繰り返して、眠い目をこすりながらも練習はしてたんですけど。
大変なこともあったけど、夏合宿はやっぱりいい思い出です。

進行:なるほどね、集団っていうか、その絆がぐんと上がっていくっていうね。なるほど。
明星学園で一番の思い出って言ったら何ですか? 明星祭とかは出ていた?
玲未:そうですね。和太鼓部の出演があったので。私たちの時は2回演奏だったので、他で楽しむっていうことがあまりなかったです。
山森:音祭でも演奏してましたよね?
玲未:音祭の時もしてました。先輩たちとやったり、自分たちだけでも演奏したり。その時は和太鼓部なんだけど音祭バージョンで、服装もラフにしたり髪型もそれぞれにしたりでした。

進行:あー、なるほどなるほど。
玲未:イベント当日じゃないんですけど、楽しかったのはあの球技大会。大会に向けてTシャツを作った時期、時間が一番楽しかったです。みんなであーでもないこーでもないって言いながら自分たちで実際作って。
山森:自分たちで作ってた? いいですね。

進行:あー、今違うんだよな。
玲未:はい。あれ何て言うんでしたっけ。あの、自分たちで。
山森:シルクスクリーンみたいな。はいはい。

進行:今はデザインだけ考えて、後は一斉にプリントだよね。
玲未:えー、今は違うんだ。だからTシャツによって若干違うんですよね。綺麗にできたTシャツ、ちょっと寄れたTシャツとか。クラス全員分やってました。そこが結構楽しい。でやっぱり和太鼓部の練習があったので放課後ってなかなか時間作れなかったんですけど、ここまでなら入れる、今日は入れるとか。それでそれを着てみんなで球技大会をやって、すごく楽しかったです。

進行:よかった。すごくいい話。和太鼓部の印象が強いんだろうなと思ったけど、 やっぱりそういうところも楽しかったなっていうのは。うん、良かったです。
山森:
最後に本当に太鼓が大好きな現役部員からの質問で、「プロとして活動している中で、やめたいって思うことってありますか?」
 ちょっとネガティブな質問でごめんなさい。でも好きだからこそ出る質問なんだろうなと思うのですが。
玲未:いや、もう山ほどあります。
 やっぱり太鼓ってここまでやればもう目標達成とか、ここまでやればいいっていうゴールがないので、何回やってもほんと自分はやっぱり下手だなって思うこともありますし、いろんな方とやっていて自分やっぱり向いてないんじゃないかなって思うこともあって。すごい方たちがたくさんいらっしゃるので、自分向いてないなとか、なんで自分ここできなかったんだろうって思う時に、やめた方がいいのかなとか思うんですけど、「でもな~、太鼓好きなんだよな」と思って。
 太鼓の演奏はやっぱりやめられないし、人前で演奏した時にお客さんが喜んでくれてる顔とか、「いやもう今日すごい良かったです」「明日からまた頑張れます」「もう今日ほんと感動して演奏を見て泣きました」って言ってもらえると、「見てもらえる人のためにも、下手でもなんでもいいからもっと練習頑張ろう」と思えるので、毎回、演奏するたび、見てくれてる人に救われるって感じ。 年に1回ぐらいはやめたいって思うこともあるけど、その度に好きな太鼓だからと自分を鼓舞しています。
山森:やっぱり好きなことは頑張れるってことなんですね?
玲未:そこにつきます。好きだから。

進行:話が上手だけど、何か講演会とかしているの?
玲未:してないです。

進行:話が上手だから、した方がいいと思うんだけど。
山森:青年会議所でも活動されてるんですよね? 始めたきっかけは何ですか?
玲未:きっかけは営業の連絡をSNSを通じてしたことです。青年会議所自体私よく知らなくて、 国分寺の団体を調べてたんですよ。そういう団体って、大体何か集まりがあるからそこで太鼓の演奏させてもらえないかなと思って。で、国分寺団体、青年会議所って調べて。
舩山:営業までやってるんだ。
玲未:「国分寺で演奏させてもらえませんか?」って連絡をしたら、たまたまその方が女性で、「じゃあ一回お会いしてお話しませんか?」って。それで会ってその活動とか聞いて、じゃあ入ってみようかなと思って。でもそうしたら青年会議所も話す機会が結構多いので、太鼓のことだけじゃなくても何かしら、人前で話すことが多いかもしれません。



青年会議所のみなさんと

山森:話し方がとっても上手。わかりやすいし。
一同:ほんとに。ほんとに。
玲未:本当ですか。ありがとうございます。
大野:もう泣いちゃうぐらい。ああ、いいぞいいぞと思いながら聞きました。
玲未:ありがとうございます。






【近藤玲未さん今後の予定】

2024年2月25日 第40回曙町文化祭に出演(立川市)〚和太鼓 翠〛
2024年4月6.7日 別府温泉祭りに出演(大分県)〚和太鼓 來〛
2024年4月13.14日 奥松島桜まつりに出演(宮城県)〚和太鼓 來〛

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近藤玲未

【プロフィール】
近藤玲未(こんどう れみ)  

東京都生まれ。 明星学園高校和太鼓部にて和太鼓に出会う。
2013年~2023年の10年間「和太鼓 暁」の正メンバーとして活動を行う。  
国内豪華客船や海外演奏ではベトナム、イタリアにて演奏。  
2024年1月1日に独立。女性ならではのしなやかなバチさばき「静」と小柄な体を十分に使ったスピード感あふれる力強い打込み「動」の一体となった演奏技術は高い評価を得ており、今まで数多くの賞を獲得。 また、地元国分寺で和太鼓を広めたい想いから和太鼓チーム「和太鼓 翠(かわせみ)」を結成し活動を行う。
2021年に北海道出身の清水優香、遥香姉妹と「和太鼓 來(らい)」を結成し、演奏活動を行なっている。  
箏を三弦・十七絃箏奏者伊藤江里菜氏に師事し、和楽器奏者として幅広い演奏活動を行う。

受賞歴
2015年第46回岡谷太鼓まつり世界和太鼓打ち比べコンテスト女子の部 最優秀賞(長野県知事賞)
2017年第48回岡谷太鼓まつり世界和太鼓打ち比べコンテスト女子の部優秀賞(岡谷市長賞)
2018年第33回富士山太鼓まつり富士山一人打ちコンテスト入賞
2018年第13回大太鼓一本打ち全国大会(北海道) 一般の部審査員特別賞
2019年第34回富士山太鼓まつり富士山一人打ちコンテスト入賞 ※女性としては史上二人目
2019年第14回大太鼓一本打ち全国大会(北海道) 一般の部優秀賞
2022年横浜太鼓祭り 浜の和太鼓コンテスト 味噌六日本一決定戦第12回大会大太鼓女性の部優勝
2022年富士山太鼓まつり一人打ちコンテスト最優秀賞