100周年記念インタビュー

 

元読売ジャイアンツ・日本プロ野球名球会理事 柴田 勲(お孫さんが在校生)






 明星学園創立100周年記念リレーエッセイ第24弾は、元読売ジャイアンツの選手で日本プロ野球名球会理事であり、現在お孫さんが明星学園に通われている柴田勲氏のインタビューです。
 柴田氏は、1961年に読売ジャイアンツに入団。以後、読売ジャイアンツのリードオフマンとして、また日本人初のスイッチヒッターとしてジャイアンツのV9に貢献した名プレイヤーです。
 挫折を挫折と思わないほど、日々自分のやるべきことをコツコツとやり続けてきた生き様がストレートに伝わってくるインタビューとなりました。子どもたちへのメッセージも温かいです。

゛本日は「明星学園100周年記念インタビュー」を引き受けていただきまして、本当にありがとうございました。゛

 いえいえ、こちらこそ。
 明星学園、創立100周年本当におめでとうございます。

゛ ありがとうございます。大変光栄に思います。早速ですが、素朴な質問をさせてください。まず、どんなきっかけで野球を始めたのですか? ゛

 私たちの子どもの頃は(1944年生まれ)、遊びと言えば空き地で野球をやるしかありませんでした。だから、自然と野球に打ち込んでいきましたね。
*当時、小学生の柴田さんは、米軍キャンプの子どもたちと対戦するために結成されたチームで野球を本格的にはじめたそうです。

゛ 自分の進路(プロ野球選手になる)を決定する決め手はなんだったのでしょう? ゛

 中学校で、野球部に入り投手になったのですが、進学の時最初はみんなと一緒に公立高校に進学するつもりでいたのです。しかし、監督や知り合いの方に勧められて法政二高に進学することになりました。
 その時、頭に浮かんだのが王さん(王貞治氏 1940年生まれの4つ上の先輩)のことでした。王さんも公立高校か早稲田実業か迷いながらも早稲田実業に進学しました。その結果、早稲田実業は甲子園で優勝し、王さんはそのまま読売ジャイアンツに入団しました。 
 王さんの進んでいった道を見て、「自分もそういう進路の取り方もあるのかなあ」と思っていました。
 結局自分も法政二高に進学し、夏春連覇を達成しました。そのまま王さんの後を追うように1961年に投手として読売ジャイアンツに入団しました。







゛ これまでの野球人生の中で、大きな挫折はなかったですか? ゛

 1961年に投手として入団し、高卒1年目の1962年の開幕2戦目の先発に抜擢されましたが肩の痛みを抱えていて、敗戦してしまいました。川上監督(川上哲治元読売ジャイアンツ監督)からは、この時、野手(バッター)にならないかと打診を受けました。でも、「ピッチャーがやりたいです。」とその時は答えました。巨人のエースになりたくてジャイアンツに入って、まだ始まったばかりで、治って球速が戻ればと思っていました。
*川上監督は1962年の8月に柴田氏を先発させます。この試合で柴田氏は序盤で打ち込まれて降板しました。試合後に監督室に呼ばれ「どうだ、踏ん切りがついたんじゃないか。」と問われ、「ハイ、わかりました」とバッター転向を受け入れたそうです。
 他メディアのインタービューで、柴田さんも次のように語っています。
 川上さんは最初から柴田さんをバッターとして考えていたのではないかと振り返ります。川上さん自身も、主砲の王さんも甲子園で投手として投げ、プロ入りして早めにバッターに変わりました。それも頭の中にあって、川上さんは早めに野手、しかも両打ちへの転向を言い渡したのだと思います。

゛ 困難なことがあった時にどう乗り越えてこられましたか? ゛

 大きな挫折と言えば、この入団早々に投手から野手・バッターに転向すことになったことぐらいですが、当時「挫折」とはまったく思っていませんでした。「与えられた環境でひたすら自分のやるべきことをやる」。常に毎日毎日コツコツと練習を積み重ね、自分に与えられた仕事に全力で向き合っていったので、それが困難なこと、苦しいこと、とはまったく考えたことがなかったです。
 当たり前のことを、毎日コツコツと積み重ねていっただけなので、それが普通の毎日だと思っていましたし、挫折だと思ったこともありませんでした。

゛ そのように「何事も続けていくこと」に関してどのように考えますか? ゛


 これまでのことにすべて共通しているのですが、自分のできることを毎日コツコツ
と積み重ねていけば自ずと結果がついてくるし道も開けていくと思います。
 プロの仕事とは、いつ何時も変わらず日々コツコツと自分のやるべきことを続けられるかどうかにかかっていると思います。

゛ これからの日本を担う子どもたちに伝えておきたいことをお話しください。 ゛
 同じ内容になってしまいますが、「夢を持ち続けること!」
 そしてそれを実現するために「毎日コツコツと自分のやるべきことをやり続けること!」 そうすれば、道は開けていきます。

[ インタビュー後 ]
゛ 最後に、私が子どもの頃に憧れた巨人軍の柴田勲氏とインタビューできたこと大変光栄に思います。 ゛
 *私自身V9時代の柴田さんにあこがれて少年野球を始めました。
柴田さん: 先生が小学生の頃の私と、今では随分ちがっているでしょう?
゛ とんでもない。今も輝いて見えます。本当に光栄です。
 子どもたちへのメッセージも感動しました。本日はありがとうございました。゛










柴田勲

【プロフィール】
柴田勲(しばたいさお、1944年2月8日)

神奈川県横浜市出身の元プロ野球選手(外野手、投手)・コーチ、解説者・評論家。
現在は日本プロ野球名球会理事、
巨人OB会顧問。

高校時代は甲子園優勝投手として名を馳せ、読売ジャイアンツに入団後はリードオフマンとして巨人のV9に貢献した。
通算 579盗塁はNPB 歴代3位でセ・リーグ記録。
セ・リーグ最多記録となる盗塁王を6回獲得。
セ・リーグ初の外野手部門のダイヤモンドグラブ賞(現在のゴールデングラブ賞)を受賞