明星学園100周年、おめでとうございます。
すでに同級生がちらほらと見られるリレーエッセイに参加できること、嬉しく思います。
そしてこの節目の年に、保護者としても明星に関わっている偶然、とても感慨深いです。
華々しいメンバーが名を連ねているリレーエッセイの中で、芸能人でもなく、芸術家でもなく、教授でもない、そんな私が何者なのか、少し自己紹介をさせてください。
私は、映画やドラマの持道具(もちどうぐ)、小道具という仕事をしている、SAORIといいます。下の名前のアルファベット表記でずっと仕事をさせてもらっています。
私は中学から明星に入り卒業した後、高校は11年生で中退しましたが、今は娘が小学校でお世話になっている保護者でもあります。
公立の小学校から明星にきた私は、「悪い所探し」「同調圧力」ばかりだった小学校時代と違い、「良い所探し」「みんな違って(良い意味で)どうでもいい」といった内部生の友人たちの人間性に感銘を受け、明星小学校に行きたかったなぁ、と思っていました。なので今、娘が「良い所探し」が得意で、のびのびと過ごしている様をみて、一緒に小学校に通っているような感覚を味わうことが出来ていて感謝でいっぱいな日々です。
明星学園高校に、「エスカレーターだし」「大半の友達と一緒に進学したいし」という理由で進学した私は、勉強方法の変化や外部生の優秀さなどに驚き、自分の甘ったれさも手伝って、あれよあれよと落ちこぼれました。アルバイトが楽しくなって、だんだん学校に行かなくなったのです。今思うと本当に甘ったれ、自分の責任です。
でも、ガミガミと叱られることもなく、単位の不足で仮進級という事実だけが自分に返ってきた11年生。11年生からの魅力は選択授業の豊富さ。でも足りなかった単位を補うために苦手な科目を選択しなければならず余計にやる気がなくなるという悪循環でした。
それでも先生からガミガミと叱られない。親からはぐうたらな生活を叱られはしましたが、「義務教育じゃないのだから、在籍してるのに行かないのは良くない。在籍してるなら行け、行かないなら在籍するな」というようなことを言われました(記憶違いかな)。
そんな中、絶対に休まず通っていたのが、選択授業の「ペン画」と「漫画」。
当時、卒業生でもある漫画家の古屋兎丸さんが週1で講師にいらっしゃっていました。漫画やアニメ、映画が大好きだった私は、古屋先生の漫画ももちろん好きでした。
選択授業の半分を苦手科目で使わなければいけなかったけれど、奇跡的に古屋先生の授業の枠は取れたのです。自分に都合よく、絶対にその時間は学校に行っていました。
けれど、いよいよ単位が足りなくなり、学校に行く意欲もなくなり、中退するかどうかを悩むようになりました。アルバイトで少しばかりのお金を得るようになり、「学校を辞めてもなんとかなるんじゃない?」「学校を辞めるのも自由!」などという幼さゆえの考えの浅さ、自由の履き違え。
ある時、古屋先生に「学校を辞めるか悩んでいる。でもあなたの授業が受けたいから辞められない」と相談しました。すると先生は「僕の授業のためだけに在籍しているのが苦痛ってこと?」とおっしゃいました。私は「苦痛」という言葉に少し驚いて、一瞬言葉に詰まりましたが、「苦痛…です」と答えました。
次の瞬間びっくりする答えが返ってきました。
「じゃあ辞めてからも僕のところに来ていいよ」
「え?!じゃあ辞める!!」
本当にそのような感じで、中退を決めました。親も先生もよく私の言い分を認めてくれたと思います。
その後、現在に至るまで、古屋先生には絵を見てもらったり、撮影現場に遊びにきてもらったり、様々なご縁で繋がっています。
こんな状況で明星を去った私ですが、たまに遊びに行くと元担任の間宮先生をはじめ、先生方もまるで在校生のように接してくださいました。それは中学校の先生も同じで、中学時代の私の担任であり、今回100周年の様々な企画に奔走してらっしゃるたかおさん(河住先生)も、私の話をよく聞いてくださいました。辞めておいてなんですが、先生方と普通に話せる時間は、すごくホッとできる瞬間で、これは先生方の度量の広さを物語っていると思います。
また、当時から存在は知っていたけれど、娘の担任として初めて会話したゆみちゃん(たかおさんの奥様)も『私もゆみちゃんの教え子だったっけ?』と思うほどの安心感を与えてくださいました。
話は戻りますが、私の辞めたい気持ちすら応援してくれた古屋先生が、ポスターイラストを描いた映画作品を観に行った際に映画監督を紹介され、大好きな映画業界に入ることになりました。
通常、映画業界に入るには、映像系の専門学校や映画学科のある大学に行く流れがほとんどですが、私は古屋先生の紹介で入ることができました。
つまり私の長年にわたるこの職業も、「明星の先生方と出会えたらこそ」「明星に行っていたからこそ」繋がった入り口だったのです。
私は幸いなことに、学校を辞めても手に職をつけて、やりたい事をやりながら生活していくことができました。「辞めたってなんとかなる!」これも一つの真実でした。
特に私のいる業界では学歴は関係がないからです。歳を重ね、出産などのライフステージの変化があった時に、高校を辞めたことで選択肢が狭くなっている部分もあると感じたことも事実です。
と言いつつ全く後悔はしていません(笑)。
ですが、辞めたからこそ振り返って感じることもあります。
「自由」は難しい。
自分の中に軸を持たないと、「自由」は「怠惰」になりかねません。
他者と協調しない「自由」は「自己中心」になりかねません。
「自由」でいることは難しいのです。
辞めた時の自分は、そこまで深く考えていなかった。
今、明星の教育を振り返ると、自由でありながらきちんと軸を持つこと、考えを持つことを教えてくださっていたと思います。今になって、効いてきています。
こういったことを書くと、在校生や保護者の方を不安にさせてしまうかもしれませんが、きっと多くの卒業生が明星を出た後、明星と一般社会の違いについて慣らし作業をしていると思います。少なくとも数人の同級生と私はそういう会話をしました。( 笑 )
明星では人との違いを個性と認めて協調、共生していたのに、社会に出るとそうではないコミュニティも多いからです。違いをネガティブに捉える人、悪い所探しが趣味な人もいて、ピュアな明星生は困惑してしまう場合もあるかと思います。
でもそういった時でも、明星の教育の本質をきちんとわかっていれば、すぐ適応し対処することができて、強く、美しく活躍していけるのだと思います。
そして、子どもを持って思うのは、子どもたちに自由にさせることはとても難しいということです。
明星の先生方がいかに自由でいることを、子どもたちに任せてくれていたのか。それがどれだけ幸せなことだったのか。
当時の自分に、こんこんと言い聞かせてあげたいです。
が、当時の自分はこんな説教は聞く耳を持たないでしょう。