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タイ短期留学2025レポート6
8月24日 DAY 8
うっかり出発時間15分前に起きた!という子がいましたが、テパラット校長が「バスにスーツケースを積み込むのに時間がかかってしまったし、大丈夫だよ」となんとも優しいフォローをしてくださり、タイの生徒18名とともにチャアムを後にバンコクに向かいました。連日盛りだくさんのスケジュールなこともあり、バスに乗るといつもは賑やかな車内ですが、そっと後ろを振り返ると、みんな見事に爆睡。とても静かな移動時間となりました。
今日は、バンコクに来たら絶対に見てほしいワット・プラ・ケオ(エメラルド寺院)と王宮、ワット・ポーへ。ワット・プラ・ケオは王宮寺院なので、服装の決まりが厳しいことでも知られています。前日に、露出が多い服装(ダメージ加工のジーンズや7分丈のパンツもNG。肌の露出の多い服装だけでなく、レギンスやスキニーデニムなどの体のラインが出る服装もNG)ではなく、半袖、長ズボン、スニーカーでという確認をして、いざ入場!!ドキドキしていましたが、みんな無事通過することができました。ずっとホアヒンにいたので、バンコクに来ると暑いと感じます。(とはいえ、熱帯のはずのバンコクで湿度をあまり感じないこと、東京の方がジメジメしていることに驚きです。)
まずは、みんなでエメラルド・ブッダを。エメラルド色の翡翠でできたとても美しい仏像です。どうやらタイの人々にとって特別な信仰の対象だそうで、一般の参拝者も見られました。とにかく日本とは違う煌びやかな寺院にただただうっとりしてきました。
続いて、ワット・ポー(ねはん寺)へ。こちらワット・プラ・ケオから歩いて10分ほどで行くことができるのですが、タイの先生たちが暑いからと、トゥクトゥクに乗せてくれました。初めてトゥクトゥクに乗る子が多く、みんな大興奮でした!風を切って走るトゥクトゥクは、本当に気持ち良かったです!
ワット・ポーの最大の見どころは、全長46m、高さ15mある涅槃仏です。その大きさはもちろん、実は仏像の足の裏も注目ポイント。足の裏には、仏教の世界観を現した真珠で飾られた108の図が、美しい螺鈿細工によって描かれているのです。とはいえ、やはり大きさに圧倒されました。「どうしてこんなに大きい仏像を作ろうと思ったのかな」「足の指の指紋までしっかり作られていてすごい!」みんなの注目ポイントはちょっと違ったようです。
そして、待ちに待ったマーブンクロンセンター(通称M B K)へ。昼食代を1人250バーツを渡されて、ランチ&ショッピング!タイの生徒たちと明星生の混合グループで回りました。集合時間にはたくさんのお土産の袋を持って戻ってきました。「頑張って値切ったら半額になった!」「値切り方がわからなかったよ・・・」「電卓に数字を打ち込んで交渉したよ」「その手があったか〜」それぞれが見つけたお土産をお互いに見せ合って情報交換しました。
今夜はバンコクで宿泊。チャオプラヤー川沿いのホテルに泊まりました。基本的に2人部屋だったのですが、「ホストファミリーのタイの子と同じ部屋、もしくはタイの子と同じ部屋がいい人は?」と聞くと、何人もの子がタイの子たちと同室になることを選んでいました。観光先でも、タイの子と話してみたい、一緒に過ごしたいと思える明星生も、そう思わせてくれたタイの生徒たちにも感謝と嬉しい気持ちでいっぱいになりました。宿泊したホテルはクルーズ船を持っており、クルーズディナーへ。雄大なチャオプラヤー川とライトアップされた寺院や観光スポットに目を奪われた時間となったようです。
毎日盛りだくさんのスケジュールで体調を崩している子がちらほら出てきました。気がつけばタイで過ごす時間もあと1日。数名は大事をとってホテルステイ。一緒にホテルに残った英語が話せない私も、ホテルステイの子と自分のために電話でのルームサービスの注文に挑戦!(フロントに行ったら「ルームサービスはこの番号にかけて」と言われてしまい、みんなも頑張っているのだから私も頑張らねばとドキドキしながら電話で注文しました)優しいスタッフのおかげで、注文したいメニューを頼めて一安心した夜でした。
8月25日 DAY 9
どうやら夜更かししていた子もいるようですが、体調不良の子以外は、みんな朝食の時間に集合することができました。朝8時にホテルを出て、アユタヤへ。アユタヤは、18世紀にミャンマー(ビルマ)軍の攻撃で破壊されるまでの約400年間、アユタヤ王朝の都としてタイの中心であり続けた都市です。
「コ・ムアン」と呼ばれる島状の中心部に広がる歴史公園へ。バンコクの煌びやかな寺院とはまた違うクラシカルな遺跡群が纏う荘厳さに、当時のアユタヤ王朝の繁栄っぷりを感じてきました。「こんなに遺跡が残っていて、しかも自由に歩けるのがすごいね」「こんなに仏像が破壊されちゃったんだね。」「(ワット・マハタートを見て)どうして木の根に覆われちゃったのかな?」。遺跡群の散策を満喫しました。
ランチは、ビュッフェ。「G A R Iがある!」と寿司を見つけて喜ぶ明星生でした。
午後は、日本人村へ。16世紀初め、ポルトガルやイギリス、フランスなどのヨーロッパの国をはじめ多くの国が交易のためにアユタヤを訪れていました。その中にはもちろん日本からの商人や傭兵、キリシタンも。最盛期頃には1000~1500人の日本人が「日本人村」を作って生活をしていたと言われています。友好関係を築いた人物として山田長政のことが紹介されていて、日本語で作成された動画を見て、アユタヤと山田長政をはじめとする日本との関係を学びました。
これでタイでの行程はコンプリート。あっという間で、びっくりです。
19時ごろ、空港ではチェックインを済ませて、荷物を預けるために並ぶところからタイの生徒も明星生も涙、涙、涙。「またタイに遊びに来てね」「日本にも来てね」「ありがとう」「寂しい」「まだ帰りたくない。あと3日は必要!」「タイに残ってもいい?」それぞれ仲良くなったタイの子たちと何度も何度も写真を撮りあったりハグしあったり。「必ずまた会おう」と再会を約束して、お別れしました。保安検査に向かうエスカレーターに乗ってからも、ずっと姿が見えなくなるまで手を振り合っていました。「どうしてタイの子たちはみんなこんなに優しいのだろう。本当に楽しかった!」「タイの子たちから寂しいってDMがこんなに来ているよ!」とSNSのメッセージを見せてくれる子も。本当に濃い素敵な時間を過ごしてきたのだなあとじーんときました。
最後に。まだまだ書きたいことが山のようにありますが、2つだけ。
ずっとホストファミリーのお母さんとのコミュニケーションに困っていた子がいました。次第にそのお母さんは、とても恥ずかしがりで英語が全然わからないことわかってきました。このまま微妙な関係で終わりたくないとホームステイ最後の夜に、携帯の翻訳機能を駆使して、「お世話になりました」「(最終日にいなかった)お父さんにもよろしく伝えてください」というタイ語を見せてコミュニケーションをとろうと奮闘しました。その結果、最後に学校に送り届けてくれた朝は、お母さんからも握手、写真を撮る時も肩を寄せ合っていました。その子の気持ちがホストファミリーのお母さんに届いたことがわかりました。なんとかいい関係を作ろうと諦めずに行動したその子の勇気と頑張りに目頭が熱くなりました。
また、今回のタイの旅は「得難い経験になった」という子がいました。どういうことなのかを聞いてみると、普段は自分から誰かに話しかけることはしないそうなのですが、タイでは自分からも話しかけないとコミュニケーションがとれないと思い、積極的に話をするようにしてみたのだそうです。そのおかげで、ホストファミリーとはもちろん何人ものタイの生徒と仲良くなることができたのだそうです。たしかにその子は、学校でも一番ホストファミリーのタイの子と一緒にいて、色々な話をしている場面をたくさん見かけました。ホアヒンで行った観光スポットのオススメポイントも教えてもらっていたようで、そのことを私にも何度も共有してくれて、いろんな話をしているのだなあということが伝わってきていました。またスポーツフェスティバル観戦中も、ホストファミリーの子を見つけるとお互い手を振り合っていました。そして、「チャアムやバンコクへの観光にも参加することを選んでおけばよかった。後悔している」とホストシスターから連絡が来るほどの関係を作ることができたのです。日本での自分では考えられないとのことで「得難い経験」になったそうです。
何日もお腹を壊してしんどい思いをした子がいたり、言葉がうまく伝わらなかったり、お家のシャワーが冷たかったりと大変なことも、そして、時にはちょっぴり羽目を外して反省する場面もあったりもしましたが、それぞれが大なり小なり勇気をもって一歩を踏み出し、それをきっかけに何を大事にしたいのか、どんなことに自分の心が揺さぶられるのかを新たに見つけることができた9日間になったのではないかと思います。
ホームステイで受け入れてくれたご家族の皆さんはもちろん、学校生活や観光を手厚くサポートしてくれたテパラット校長、プラー先生、スイカ先生にも大感謝です。言葉に尽くせないほどの愛情を注いでいただきました。本当にありがとうございました。また、いつか再会し合えることを願って。
(タイ短期留学引率 小畑)