中学校
先生コラム
ちえ日記#4「ある夏の山で」
すごーくつらかった。
しんでしまいそうだった。
だけど、その先は清々しかった。
つらくてつらくて、死んだおじいちゃんの声が聞こえた。
なんならおばあちゃんも来て、
おとうちゃんもきた。
「おーせっ、おーせっ」これは遠泳の時のかけ声。
ゆっくりと、でも止まらず、力を抜いて進む応援。
ああ、これは水泳と似てるんだ。と自分の体験に近いものがあってホッとした。力をぬいて長く泳げるように。登れるように。ただ力を入れてバタバタもがくのではなく、ゆっくりゆっくりと。
疲れて疲れて、「疲れた」ということばがでてこない。
そこまで力尽きないと見えない景色がある。
延々と疲れる寸前まで登らないと力の抜き方や疲れの逃し方はわからない。
山はどれだけことばをつくしても尽くしきれない、自分で体験しなければ、わからない世界だった。
頭がボーっとするなかで、生徒からは何度も何度も同じ質問がくる。あと何分で着くんですか。今何時ですか。休憩ありますか。
うるさい。うるさい。くるしい。くるしい。
わたしのほうが苦しいのに・・・・・・って。あれ?
わたしのほうが苦しいのかな。
みんな苦しいのに自分だけ苦しがって、かわいそがってる。
みんな苦しいけれど、表現はいろいろ。
そうか。苦しいことって自分が一番って思うものなんだ。
なんて考えていたら、静寂。
急に心が静かになって。
頬をなでる風。
ひんやりとした空気。
つめたい草。根っこの道。
せんせー綺麗な花咲いてるよ
ほんとだ。
自分ばかり見て、周りが見えない自分にきづく。
この花はね、かたくりだよ
わあかわいいね
先生と生徒の声が聞こえる。
綺麗だね
木が茂っていて空が見えないね
ちえさん無理しないで
少しやすんで
だれかが見ている。
みんなが歩いたから道ができる。
これは、ひとりの体験じゃない。
だいじょうぶそうに強がって。
自分だけだめだと思い込んで。
独りぼっちだと信じ込んで。
ちえさん、すこし荷物もつよと言ってくれる人がいる。
みんなで登るから
みんなで同じ体験をして
同じ気持ちになって
発見したことを伝えあって
みんなをおもいやって
教室での学びとおんなじ。
自分が苦しいと、周りが見えなくなって、
優しいことばを無視したり、
もうダメだと諦めたり、
あきらめなかったり、あきらめたり、
あきらめなかったり。
前に進む。前に進むしかない。
これ、人生と同じ。
哲学的な体験だ。
山のなかで生徒が荷物が重いと悲鳴をあげる。
「どんなに背負ってあげたくてもひとりで肩代わりしちゃだめ」
と、山に登る前に説明を受けていた。
みんなでわける。
職場なら、職員室なら、教室ならきっとひとりで背負ってしまう。
そして、苦しくなってしまう。
でも自分の正義だけがこれでいいのだと思い込ませる。
本当はみんなで分けていいんだ。分けなきゃいけないんだ。
平坦な道しかない街の中にいたら、たぶん自分の考えや、行動はかわらない。
そこまで考えない。でも私は考えた。
山のなかだから、考えた。
いつもなら、わたしは選ばない道。
みんなで行くと決めたから、大切なことを学んだ。
いやいやながら、行ったから、この学びがあった。
こんなふうに、日々の授業のなかでも少し頑張ったらできる課題を私たちは与えていて、優しい問題だったら、生徒は嬉々としては取り組まない。頑張らないとできない問題だから、一生懸命とりくんで、その過程から気づいたり学んだり、憎んだり、喜んだり。
なんでこんなことやらなきゃいけないのとか、この学校に入らなければこんな行事なかったとか、なんで自分ばっかり苦しまなきゃいけないんだとか、やらないいいわけ考えたり。一方で、同じ環境なのに、同じこと苦しいことのなかで、友人は、同僚はきれいな草花を発見している。美しい景色を見つめている。できないとあきらめようとしている友人を励ましている。
自分と何が違うんだろう。
自分って何なんだ。
八ヶ岳から教えてもらったことは多い。
わたしにとって、八ヶ岳は大切な山だった。
中学校教員 山口千絵


