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校長だより
校長 福田 純一

 朝晩の冷え込みが進み、冬の足音が聞こえてくる今日この頃です。運動会、バザーと大きな行事が続き、今は遠足シーズン。先週は私も6年生と奈良修学旅行に同行しました。3日間、快晴の下、平城京跡や飛鳥周辺を散策して来ました。飛鳥寺にある日本最古の仏像は、どこか大陸の雰囲気を持つ、穏やかな表情をしたものでした。興福寺の国宝館も完成していて、有名な阿修羅像や壁画にも引き付けられました。
 さて、今月は平田オリザ氏の文献をあたっている際にたまたま目にとまったエッセイのことをお話ししましょう。これは、昨年12月に発行された「母の友12月号」に掲載されていたエッセイで、伊藤亜紗さんという先生がお書きになったものです。

 伊藤先生は、ある学生から次の様な質問を受けたというのです。
「先生、ぼく子どものころからしっくりこないことがあるんです。8と6を足すと14になるというのが、どうしても小さすぎる気がするんです。」
 その学生さんの言い分としては、「6」も「8」も0~9までの数の中では比較的大きい数である。それなのに、それらを足し合わせると、「14」という10から20までの数では小さい数になってしまう。これに納得がいかない、ということだそうです。
 伊藤先生は、この学生の突然の質問に爆笑してしまったそうですが、同時にこういう学生は、大丈夫だな、と安心したそうです。大丈夫とはどういうことなのでしょうか。

 伊藤先生は、こう続けます。(以下引用)
 多くの学生は、厳しい受験勉強をくぐり抜けてくるうちに、問いを持つことを忘れてしまう。決められた正解を求めていれば済むからだ。ところが、大学に入ったとたん、そして社会に出ればいっそう、自分で問いを立て、さらには答えの見えない問いに向き合わなければならなくなる。
 子どもの頃の違和感を忘れていない学生は、「当たり前」から距離を取る方法を知っている人だ。「おかしいぞ」と感じる力が、問いを立てることにつながる。それはたとえばブラックな環境に置かれたとき、声をあげる勇気にもなる。「もしかしたら」から科学の大発見につながることもあるかもしれない。
 子どもがヘンなことを言い出したとき、「違うってば」じゃなくて「面白いね」と言ってあげられる大人でありたい。それがきっと、その子の生きる力になるのだから。

 この伊藤先生は、東京工業大学の准教授で美学が専門とのこと。どのような研究をなさっているのか詳しいことは分かりません。しかし、私はこのエッセイに触れたとき、忘れていた心の奥底の感覚が呼び起こされた様な印象がありました。

 もうだいぶ前の話ですが、私たちの研究実践の中心にあったものが、この「?」でした。授業中の子どもたちの何気ないつぶやきや疑問。こうしたものを授業の中心に据えていくことに専念していました。私は、算数の立場で様々な実践を展開していきました。簡単に言えば、「みいつけた」方式ということになります。例えば、自分で作図した沢山の図形を眺めてるうちに、または作図している作業を通じて疑問が出てきます。それを突破口にして法則へ導く授業スタイルです。算数だけでなく、国語の授業でも「問いを育てる授業」と、いうものを展開していました。単純な語彙に関する質問から、あるセンテンスに関する疑問を授業で話題にすることにより、文と文の関係構造、段落の関係構造を読み解いていく実践です。こうした授業を展開するには、莫大な授業準備が必要になります。夢中になっていた私は、まだ幼い自分の子どもたちが生活の中でつぶやく声を聞く機会を少なくしてしまっていました…。
 成人した子どもたちを前に、あの頃、もっともっといろいろなことを聞いてあげられていれば、生きる力がもっと身についたのかもしれないと、ついつい思ってしまいます。「子育てを楽しむ」とよく言いますが、実際の生活の中では、時間に追われ、気持ちにも余裕がなく、本当に難しいことだと思います。でも、子どもの何気ない小さなつぶやきを「面白い」と感じることがそのコツであることだと、改めて感じました。