明星学園

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冗長率

校長だより
校長 福田 純一

 長かった2学期も終わりました。オーストラリアからの短期留学生受け入れから始まり、運動会、遠足、公開研究会…。国語や体育、音楽の発表もありました。一人ひとりのみんなの活躍、成長ぶりが見られた場面でした。さて、今回は「冗長率」のお話です。

 皆さんは、「冗長率」という言葉をご存知ですか?恥ずかしながら私は知りませんでした。「冗長率」(ジョウチョウリツ)とは、「冗長度」ともいわれるようですが、一つの段落、一つの文章に、どれくらい意味伝達と関係ない言葉が含まれているかを数値で示す割合のことだそうです。無意味な言葉が多ければ多いほど冗長率は高くなります。
 では、どういった会話の中でこの「冗長率」が高くなるのでしょうか。直感的には、家族や仲の良い友達同士の会話ほど、この「冗長率」が高くなるように思えます。ところが、意外にもそうではないようです。内容的には「冗長」にあたることでも、「あぁ」「いやぁ―」などの無意味な言葉はほとんど含まれません。息の合った友達や家族とは、そうした言葉が必要ないわけです。例えば、
 「風呂(沸いた?)」
 「沸いてるよ。」
これで十分通じてしまうからです。では、この「冗長率」が低ければ低いほど、会話としては良いものなのでしょうか。
 午後7時のニュースと午後9時のニュースでは、明らかに「冗長率」が異なるそうです。7時のニュースは、限られた時間内に確実に情報を伝えるために冗長率は低くなり、9時のニュースではプロのアナウンサーではない場合もあり、「これは、どうでしょうね?」「これは、すごいですね」といった個人の感想などが挿入されてくるというのです。午後10時のニュース番組ではさらにこの「冗長率」が高くなるといった具合です。

 私たちは、様々な場で様々な人と会話を交わしています。「会話」「議論」「討議」「討論」「検討」「対話」「対論」など仕事や学校、家庭といった様々な場で繰り広げられています。こうした活動の中で「冗長率」が最も高いものはどれでしょうか。まずは、「対話」と「対論」の違いについて考えてみましょう。
 「対論」は、ディベートと呼ばれるものです。対立する2つの事柄に対して、一方が勝ち、もう一方が負けるというスタイルです。ですから、負けた方は、もう一方の考え方に意見を変えなければなりません。
 それに対して、「対話」は、2つの事柄を摺り合わせ、3つ目の新しい概念を生み出すものです。ですから、その新しい概念がどちらかに近いにせよ、双方とも考え方を改める部分があるわけです。「対話的な精神」という表現がありますが、これは異なる価値観を持つ人と出会い、自分の意見が変わっていくことを潔しとする態度のことを意味します。どうも、こうした「対話」「対話的精神」というものが、われわれ日本人は苦手のようです。
 実は、もっとも「冗長率」が高いのは、「対話」なのだそうです。上記のように、対話とは、異なる価値観を摺り合わせていく行為なので、はじめのうちは、どうしても当たり障りのないところから入っていく。時によっては、腹の探り合いということにもなるようです。
「確かにそうだと思うのですが、視点を変えてみると、そうだと断言できないのではないでしょうか。」
と、まあこんな具合に「冗長率」が高くなっていくというわけです。

 教育の世界では、今、「対話」という言葉をよく耳にします。しかし、その内実は、どうなのでしょうか。明星学園の授業でも、この「対話」を大切にしてきています。でも、ややもすれば、「討論」「対論」といった、片方がもう片方の価値観に合わせなければならない場面になってしまっていることはないでしょうか。また、子どもたちだけでなく、私たち大人も、相手を尊重しながら、相手の考え方に寄り添いながら、双方が寄り添い、意見を摺り合わせていく姿がどこまでできているでしょうか。
 「あの人は話がうまい」「あの人の話は説得力がある」と感じるのは、その話し手がこの「冗長率」を時と場に応じて巧みに操作しているからです。こういう人こそ、コミュニケーションの能力が高いとされています。自分の意見を持つことは大事ですが、それだけではなく、相手の話をどれだけ聞き入れることができるのか、摺り合わせて新しい考え方を創造できるのかが、人間社会を豊かに築いていく、何よりのカギだと言えるでしょう。

 明日から子どもたちが楽しみにしている冬休みに入ります。ご家族でよいお年をお迎えください。そして、新年の目標の一つに、この「冗長率」を加えてみてはいかがでしょうか。