明星学園

トピックス(小学校)

お知らせ

充実した二学期を!(前半)

校長だより
充実した二学期を!
長い夏休みが終わり、子どもたちが学校に戻ってきました。子どもたちと会える学校は幸せの宝庫です。二学期も子どもたちと思う存分楽しみます。
1、まずは体験の交流から
夏休み、子どもたちは色々な体験をしてきたと思います。またその体験を通じて、豊かな成長を遂げたと思います。まずはその体験をじっくり聴き合うところから始めます。学校を離れた社会の中で、子どもたちはどのような体験をしてきたのでしょうか。その価値を子どもたちはどのように受け止めているのでしょうか。またその体験は、学校での学びとどのように結びつき、それらは社会の中にどのように活かされていくのでしょうか。
夏休み明け、子どもたちは色々な心理状況に置かれています。子どもたち一人一人に対するケアーと、学校との密な連携をお願いします。
2、教師にとっても夏休みは成長の機会
教師にとっても夏休みは自分を大きく成長させるチャンスです。豊かな「もの・こと・ひと」と出会う中で、見聞が拡がるとともに、全ての源である感性が磨かれます。
仕事面では、全国の仲間と再会し、研究・実践を交流する大切な機会でもあります。優れた実践から学び「こんな実践をやってみたい」と感銘を受けることは、研究・実践への大きなエネルギーになります。また、自分の抱えている悩みを交流し、じっくりと意見を交換する中で、明日への道も開けてきます。心から信頼し、尊敬できる仲間がいる事は、子どもたちと真摯に向き合う上での、最大のエネルギーとなっていくのです。
私も体育の研究会に参加し、「何をどう教えて良いかわからない。」「自分自身〇〇が出来ないから出来る様になりたい。」という悩みを抱えた先生方や、「こんな風に実践してみたから検討して欲しい。」という先生方と研究を深めてきました。二日間真剣に学び合う中で親睦が深まると共に、参加者からは「二日間参加して目から鱗でした。この感動を是非子どもたちに伝えたいと思います。」「お陰様で〇〇が出来る様になり、やっと自信が持てました。二学期子どもたちの前で披露します。」などの感想をいただきました。教師自身が本当の価値を知ってこそ、子どもにも本当の価値を伝えることが出来ます。そのワクワク・ドキドキが子どもたちにも伝わり、お互いのワクワク・ドキドキが響き合うとき、本物の学びが成立します。子どもたちと同様に、先生方が輝いていることが大切なのです。
3、夏季行事(千倉での海の生活)
4~6年生は毎年、千葉県の千倉町で、海の生活(全学年2泊3日)を行っています。今年も5年生(7月18日~20日)を皮切りに、4年生(7月21日~23日)6年生(7月24日~26日)と、立て続けに海の生活を行いました。
一番の心配は天気でした。第一班の5年生が到着する日も、雨が降ったり止んだりしていました。ところが、5年生の乗ったバスが宿に到着すると、雨が嘘のように上がり、そこからは6年生の行事が終わるまで、最高のコンディションの中で行事を行うことができました。お陰様で全ての予定を完璧に熟すことができました。
千倉町には南千倉海水浴場と瀬戸浜海水浴場の2つがあります。メジャーなのは南千倉海水浴場。明星が使っているのは瀬戸浜海水浴場というマイナーな方ですが、①波の静かな第一海水浴場(水泳指導向け)②磯場(磯の生物を観察したり岩の上から飛び込んだり)③波の荒い第二海水浴場(波が静かなときは水泳指導、波があるときは波乗り:ビート板サーフィン)と、三種類の海を楽しむ事ができます。しかも、ほぼ貸し切り状態で使うことができるのです。
これだけ条件の整っている海水浴場は他には見当たりません。この素晴らしい海水浴場を、創立者は自分の足で発見して下さったのです。そして、迷うことなく寮を構え、学習環境が損なわれないよう明星学園村(別荘地)も作って下さいました。今でもこの明星学園村が瀬戸浜の環境を守ってくれています。
海の生活を始める上で諸々の力になって下さったのは、網元をしていた青木さんでした。寮も青木さんの敷地内に建てさせて下さいました。青木さんは、瀬戸浜のイロハを伝えてくださると共に、遠泳では、舟を出してサポートもして下さいました。海の底の様子や、潮の流れなども丁寧に教えて下さり、お陰で明星は、92年間一度も事故を出す事なく、海の生活を続けることができています。(※3年間は千倉ではなく、黒姫で夏季行事を行いっています)
寮は、阪神淡路大震災を機に取り壊されてしまいましたが、部屋には千倉に生息する魚の名前(あいなめ、いわし、うつぼ、おこぜ、かつお)や、貝の名前(あわび、かさがい、さざえ、たからがい、ふじつぼ)、海藻の名前(あおさ、かじめ、つのまた、ほんだわら、わかめ)がつけられており、生活の中で学習が深まるよう工夫されていました。また、作りとしても、先生達が泊まる部屋と子どもたちが泊まる部屋が向かい合わせとなっており、常にお互いの様子が一望できる構造になっていました。各々が過ごす時間を統一していたのは鐘。カランカランカランと鐘が鳴ると、各々の部屋から子ども達も先生達も飛びだし、一堂が会しました。
三度の食事を作って下さったのも青木さんでした。青木さんは寮の管理人もして下さったのです。お代わり自由のカレーライス、海の幸満載の手巻き寿司、揚げたての天ぷらと素麺など、朝昼晩と、存分に腕を奮ってくださいました。沢山の思い出を作ってくれた千倉寮ですが、現在は食堂のみが物置として残されています。
東京湾アクアラインの開通とともに交通手段も変わりました。開通前までは東京駅発の特急さざ波号で千倉駅まで行き、そこから寮(寮の後は矢原荘)まで重い荷物を背負いながら田舎道を約20分歩いていました。その後東京湾アクアラインが開通するとバスを利用するようになり、吉祥寺から矢原荘までドアツードアで約2時間30分。千倉は本当に近くなりました。
千倉からの復路、特急さざ波が千倉駅を出発すると、キヨスクで購入したアイスクリームが全員に配られました。その味を、今でも懐かしく思います。