明星学園

トピックス(小学校)

お知らせ

新年を迎えて      

校長だより
あけましておめでとうございます。本年も宜しくお願いいたします。
1. 感染予防と感染拡大防止
東京都に於ける1日あたりの新型コロナウイルス感染者数は、大晦日に1337人に上り、新年を迎えた7日には2447人を数えました。全国的には11都府県に緊急事態宣言が発令され、社会的な自粛が求められています。大切なことは「感染予防」と「感染拡大防止」です。最前線で新型コロナウイルスと闘って下さっている医療関係者の方々や、営業時間短縮に協力して下さっている飲食業の方々に深く感謝すると共に、一人一人に課せられた責任を果たすことで、一日も早く感染が収束する事を願います。

2. 子どもたちとの再会
冬休みが終わり、子どもたちが学校に戻って来ました。19日間の休みでしたが、この間にも子どもたちは豊かに成長していました。子どもたちは未知なる可能性を秘めており、その吸収力はまさにスポンジです。今年も、新たな世界との出会いの中で子どもたちの素晴らしさを引き出し、子どもたちの素晴らしさと出会う中で「教育とは何か」について問い続けていきたいと思います。
しっとりと学んでいる子どもたちを前に、「子どもたちが今ここにいてくれるだけで幸せ」なことを実感しました。子どもたちが幸せであれば教師も幸せになります。教師の幸せは子どもたちの幸せに繋がります。明星は「子どもも教師も『生きる』が楽しい学校」を子どもたちと共に創造して参ります。保護者の皆様にもお力添え頂けますようお願い申し上げます。

3. 台湾からの贈り物
姉妹校である台湾の東海(ドンハイ)小学校から、4~6年生の一人ひとりにプレゼントと手紙が届きました。台湾のお正月は2月なので、明星からは2月にプレゼントと手紙を贈ります。新型コロナウイルスの影響で、東海小学校(台湾)ともWoodend小学校(オーストラリア)とも短期留学を行えない状況ですが、両校とは英語の授業でオンラインを通じた交流を続けています。
外国に友達がいると云うことは、自ずと地球市民を育んでいきます。東海とWoodendは一年おきに明星を訪れます。短期留学に参加する子どもたちだけでなく、全校生徒が出会えることは本当に素晴らしいことです。来校の折にはホストファミリーを募集します。是非ご応募いただき、一緒に地球市民の輪を広げて頂ければ幸いです。
   
4. 卒業生大活躍
昨年12月20日に行われたバスケットボールの皇后杯(決勝)で、卒業生の中田珠未さんが大活躍し、所属するENEOSサンフラワーズを優勝に導きました。中田さんは明星学園中学・高校の卒業生で、高校卒業後は早稲田大学に進み、その後ルーキーとしてENEOSに入りました。大学生の時に日本代表に選ばれ、将来は日本のエースとして活躍することが期待されています。中学の時には、昼休みに体育館で友達とバスケを楽しみ、運動会ではリレーの選手として俊足を披露していました。早稲田大学を卒業するに当たり、どのチームを選ぶか悩んだようですが、自分のチームに一番誇りを持っており、日本代表の練習が終わった後も最後まで練習を続けるENEOSの選手達を見て、このチームに入ることを決めたそうです。
ENEOSには日本代表の選手が沢山おり、中田さんもなかなか試合に出る機会に恵まれませんでしたが、皇后杯ではチームに怪我人が続出し、スターティングメンバーとして起用されることになりました。ENEOSにとって今回の決勝戦は皇后杯8連覇が懸かった試合であり、大きなプレッシャーが懸かりました。また、スターティングメンバーがほぼ控えメンバーで(控えもおらずメンバー交代もできない)あったことから、大方の予想は「対戦相手であるトヨ自動車アンテロープス有利」というものでしたが、中田さん達はその予想を見事はね除け、8連覇を達成しました。控えメンバーであってもENEOSは女王であるという誇り、何としても8連覇を達成するという執念、普段から自分達は日本代表を相手に練習を積み重ねてきているという自信。一時たりとも手を抜かぬ選手達の必死のプレイに強い感動と興奮を覚え、ENEOSの優勝が決まった瞬間は、テレビの前で大粒の涙を零していました。普段ない感動を与えてくれた選手達に大きな拍手を送りたいと思います。
中田さんは、早稲田大学で活躍しているときに明星に顔を出し、色紙にサインを書いてくれました。その色紙は校長室に大切に飾ってあります。現在、高等学校の卒業生である本橋菜子さんとオコエ桃仁花さんも日本代表で活躍しています。この二人が書いてくれた色紙も校長室に大切に飾ってあります。ご来校の折には是非校長室にお立ち寄りください。

5. 箱根駅伝から
コロナ禍で開催が危ぶまれた箱根駅伝でしたが、感染対策をしっかり行う中で実施され、選手達の健脚が披露されました。
今年も数々のドラマが生まれましたが、特に印象に残ったのは、区間賞を取った選手の「このような状況の中で大会を開催してくださった関係者の皆様に心から感謝します」という感謝の言葉でした。コロナ禍で大会を開催することは本当に大変なことだったと思いますが、「選手のために」「大会関係者や応援してくださる皆様のために」と云う心の交流が、大会の価値をこれまで以上のものに高めたのではないでしょうか。 
正月名物の箱根駅伝は、来年に向けてスタートを切りました。この一年間の苦労を元に、これからの一年間をどうデザインするのか。今年以上の健脚が披露されることを見守っていきたいと思います。

6. 「あけましておめでとう」との意味を問い直す
新年を迎え、沢山の方と「あけましておめでとうございます」と挨拶を交わしましたが、今年は何かその言葉を交わすことがためらわれ、改めて「あけましておめでとう」の意味を調べてみました。色々な説がありましたが、以下の2つが目にとまりましたので、ご紹介させて頂きます。
① 無事に年を越せ、歳神(年神)様を無事にお迎えできることが「めでたい」という気持ちを言葉にしたもの
昔から日本人は、お正月は「歳神(年神)様」をお迎えする大切な日と考えてきました。お正月を迎える年末に大掃除を行い、門松・しめ縄を飾り、鏡餅を用意するのは、この「歳神様」を自宅に迎え入れるための準備です。
鏡餅はお迎えした年神様の居場所であり、鏡餅に年神様の「御霊(みたま)」が宿ると考えられています。これらのことから「あけましておめでとう」は、「無事に年を越せ、歳神様を無事にお迎えできることが『大変めでたい』という気持ちを言葉にしたものである」というのが一つの説とされています。
歳神(年神)様からいただけるものが「お年玉」です。「年」は「年(歳)神様」、「玉」は「たましい、霊力」のことを示すといわれ、これをいただくことにより更に一年、生きる力をいただけると考えられています。年が明ける前に飾った鏡餅は、年神様がいらっしゃる松の内が明けた1月11日(松の内が15日までという地域では、1月15日または20日)に鏡開きをし、お雑煮やお汁粉にして食べます。年神様の力が宿った鏡餅を食べることで1年を幸せに過ごす力を授けてもらうことができるのです。供えて、開いて、食べてこそ、鏡餅の意味があります。お供えしていた鏡餅を食べるときは、包丁を使わず、手や小槌などで小さく割ってから料理をします。鏡餅を「切る」とはいわず「開く」というのは、このためだそうです。
② 無事に歳を重ねたことへの「お誕生日おめでとう」を意味するもの
戦前まで日本は、元旦を「国民の誕生日」としており、人の年齢は「数え年」が一般的でした。ちなみに「数え年」とは、産まれた日を1歳と数え、翌年の元旦に年を重ねることを言います。つまり元旦は「国民全員が新しい年齢を迎える大変めでたい日であり、それを『あけましておめでとう』という表現で祝い合った」ということです。お正月が来たら、新しい年がやって来たからめでたくて、みんなが一斉に歳を重ねるからめでたい。つまりそこでは、二重の喜びを味わうことができたのです。数え年が一般的であった時代には、「年=歳」が意識されており、誕生日を迎えるよりも、お正月を迎える方がめでたいとされ、「あけましておめでとう」が、全国民の喜びとして交換されていたのでした。
日本では古くから数え年が使われていましたが、西洋では、生まれて0(ゼロ)歳、1年経ったら1歳。そこからさらに1年経ったら2歳。0から数えて誕生日が来るたびに1、2、3・・・ と数える満年齢が使われていました。日本でも1922年12月22日施行の「年齢計算二関スル法律(明治35年12月2日法律第50号)を受け、満年齢を使用するようになりました。しかし、一般的には数え年が使われ続けたことから、1950年1月1日施行の「年齢のとなえ方に関する法律(昭和24年5月24日法律第96号)」により、国・地方公共団体の機関に対しては満年齢の使用を義務付け、数え年を用いる場合は明示するようになりました。その背景には、国際性の向上や配給における不合理性の解消(戦後の配給制度で、数え年で配給されると、生まれた年月によっては0歳の赤ちゃんに2歳での食事配給が回ってしまうなどの混乱もあった)などがあったようです。
お年玉として現金を渡すのが一般的になったのは、昭和30年代以降だとされています。経済成長とともに農村社会が解体され都市生活者となり、稲(米)や餅を作らなくなった代わりのようです。それぞれの家庭で餅をついて歳神様へ供えること自体が徐々に減少し、その代わりに、手軽に準備できるお金に変わっていったというのが主な背景と考えられています。
 
7. 学園からのお年玉
中学への内部進学手続きが行われた日、ご来校された一人のお母様から「『トイレの便座が暖かくなった』と子どもが喜んでいます」と感謝されました。たかが便座ですがされど便座です。寒い時期に冷たい便座に座ることは本当に勇気がいります。これからはホットする瞬間をお届けできそうです。長らくお待たせしました。

コロナ禍という未曾有の事態と遭遇する中で、剛力(校長)と入江(副校長)は数え切れないほどのWEB配信をしてきました。そしてそのたびに「感染拡大防止」の重みを痛感してきました。コロナ禍を脱出するための鍵は「感染拡大防止」が握っています。「感染予防」だけではコロナ禍を脱出することはできません。そこには社会的取り組みが必要とされています。
個も大切ですが全体も大切です。コロナ禍はその試練の中で、社会全体・世界全体という視点をもたらしてくれたのかもしれません。私たち人間はこの先、個と全体という矛盾をどのように統一していくのでしょうか。「個性尊重」「自主自立」「自由平等」を教育理念とする明星学園の役割が、ここでも待たれているように思います。
                    校長 剛力正和