明星学園

トピックス(小学校)

お知らせ

待ちに待った二学期その①

校長だより
1、「いつも げんきで にこにこ」を合い言葉に
待ちに待った二学期!長い夏休みを終えて子どもたちが学園に戻ってきました。久々の再会。至る所に笑顔の花が咲いていました。
夏休みには一人ひとりが様々な経験を積んできました。良い経験をした子どももいればそうでない経験をした子どももいます。その一人ひとりが「もの・こと・ひと」と紡がれる中で二学期が創造され、その中で新たな個と集団が創造されていきます。
学園は全ての子どもが安心し、豊かな成長・発達を遂げられる場所です。一番大切な事は、一人ひとりが自己肯定感を育めることであり、全ての営みはそこに向けて進められることとなります。
多様な人が集い、生活や学習を紡ぐ中では時に、困難と出会うこともあります。その時にこそ、どうすれば良いかをともに考え、違いを活かした総和によって困難を乗り越えることが必要です。困難との対峙においては、一人ひとりに秘められた力が発揮され、困難を乗り越える中でお互いに対する理解と信頼・尊敬が高められていきます。困難は幸せへと転化していくのです。
友だちや先生と会えない夏休みを経る中では、会えること、お互いが存在していることの大切さを再認識することができたはずです。一人ひとりが掛け替えのない宝なのです。その確認の上に日々を営んでいけば、二学期は全ての子ども・教師にとって「生きるが楽しい」場となります。
学園の教育理念を1年生でもわかる言葉で表現すれば「いつも げんきで にこにこ」となります。二学期も子どもたちがそうなっているかを確かめながら、子どもたちとともに日々の生活と学習を営んで参ります。子どもは学園とご家庭・社会を往還する存在でもあります。子どもの幸せを中心に、学園とご家庭・社会が豊かに繋がる中で、私たち自身もより幸せになる事ができれば幸いです。
さあ、いよいよ今日から待ちに待った二学期が始まりました。越えなければならない壁も多々生ずると思いますが、ともに「意味を問い続けながら」歩んで頂けますようお願い申し上げます。

2、オリンピック
開催の是非が問われている東京オリンピック・パラリンピックですが、オリンピックは予定された期間を終了し、現在はパラリンピックで熱戦が繰り広げられています。
オリンピックでは高等学校の女子バスケットボール部出身の本橋さんとオコエさんがチーム一丸となる中で活躍し、日本チームは見事銀メダルを獲得することができました。オリンピック(スポーツ)は①技術②組織③社会という三層構造の上に成り立ち、技術(プレイ)の層も全体構造と切り離せないので、歴史的な快挙であっても諸手を挙げて喜ぶよろこぶ事はできませんが、苦しい状況の中でも鍛練を積み、見事なパフォーマンスとフレンドシップで大きな感動を与えてくれたことに心から感謝したいと思います。
オリンピック憲章では、オリンピズム(理念)は人生の哲学であり、生き方の創造を探究するものであるとされています。またオリンピズムの目的は、人間の尊厳の保持に重きを置く平和な社会の構築に寄与することを目指し、スポーツを人類の調和のとれた発達に役立てることにあると記されています。スポーツを通じて心身ともに調和のとれた若者を育成する。異なる国や地域の人と交流することで、互いを尊重し偏見をなくす。スポーツを通じて世界平和を構築する。本橋さん達の姿からは、卓越・友情・敬意/尊重を目の当たりにすることができました。
オリンピズムが具現化する一方で、女子体操競技のアメリカチーム代表として参加したシモーン・バイルズさんの判断・行動は、オリンピックが抱えている課題に一石を投じました。彼女はこの10年近くものあいだ、その肩に大きな重圧と期待を背負いながら女子体操界の頂点に立ってきました。しかし、団体決勝の舞台、最初の種目である跳馬で自分を見失い、予定していた技をやり遂げることができませんでした。そして彼女は、残りの種目には出ないという決断を下しました。思いもよらない展開に、チームメイトたちも動揺し、アメリカ女子体操チームはロシア五輪委員会に次ぐ銀メダルに終わりました。
バイルズさんは会見で「以前ほど自信を持てないし、体操が楽しいとさえ感じられなくなった」「とりわけ五輪の団体決勝のような大舞台では、そうしたメンタル面が無視できないようになった」そして涙をためながら「このオリンピックは自分のための大会にしたかった。でもここに来て、まだ他の人たちのためにやっているような気がした。自分が大好きでやっていたことが、私のもとから離れて、誰かを喜ばすためにやっているように感じ、心が痛い」とも述べました。また、「5年前のリオデジャネイロ五輪だったら棄権という決断はしなかっただろう。頭の中を支配する悪魔たちと戦い、このままでいいのかと自分に疑念を抱きながらも、危険な技を押し通していただろう」「2021年の今、自身の安全とチームのメダル獲得のために、棄権は正しい判断だった。私たちはここから歩いて出てきたかった。医療用ストレッチャーとかで運び出されるのではなく。だから自分自身とチームのために最善のことをしたのです」とも述べています。チームメイトに声援を送りながらバイルズさんは「あの舞台に立って世界が私たちに求める姿を見せるよりも、自分の心と体を守らないといけないのです」と自分の判断・行動を整理しました。
東京オリンピックには、自身のメンタルヘルスについて告白した大坂なおみ選手も出場しています。大坂選手はバイルズ選手が棄権したのと同じ27日(火)に3回戦で敗退しました。大坂選手について聞かれたバイルズさんは、「メンタルヘルスを第一に考えて欲しい。そうしないとスコアを楽しむことも、思う通りに成功することもできない」「ときには自分自身に集中するために大きな試合に参加しないことがあっても構わない。それはあなたが本当に強い選手であり人間であるかを示すものだから」とコメントしています。大坂選手の告白で注目を集めたアスリートのメンタルヘルスの問題は、バイルズ選手の棄権でさらに重要視されています。
オリンピズムは人生の哲学であり、生き方の創造を探究するものであるとされています。またオリンピズムの目的は、人間の尊厳の保持に重きを置く平和な社会の構築に寄与することを目指し、スポーツを人類の調和のとれた発達に役立てることにあります。オリンピックを含む世界の最高峰で活躍してきたバイルズさんの「体操だけが人生ではない」という言葉からは、バイルズさんが正にオリンピアンであることが伺われます。
パンデミックの中、「何が起きても試合を行う」という精神で押し通された今回の大会は、五輪の意義を問いかけるものになりました。世界中で死者の数は増え続け、医療の専門家が「スーパースプレッダーイベントになりうる」と懸念を示す中での大会では、「選手はパンデミックを気にしないでいる」しかありませんでした。懸念があるのに開催を強行したことで、スポンサーも悪評を恐れてオリンピックから距離を置くようになり、商業的にもマーケティングの関係者さえ喜びにくいものになってしまいました。さらに、感染予防対策がとられているにもかかわらず、感染者の数は増え続け、試合に出られなくなった選手も相次ぎました。そのような中では「もしオリンピックが、過去から続くその象徴する精神をどんな時でも示さなくてはいけないものであり続けるならば、そのうち誰もオリンピックを求めなくなるだろう」「世界が求めるものと現在のオリンピックは一致していない」といったことも指摘されています。
オリンピズムの目的には「人間の尊厳の保持に重きを置く平和な社会の構築に寄与することを目指し」とあります。パンデミック下に開催された東京オリンピックを振り返った時、私たちはそこにどのような評価を下せば良いのでしょうか。少なくともメダルの祝福だけでは済まされない様に思います。