明星学園

トピックス(小学校)

お知らせ

待ちに待った二学期その②

校長だより
3、パラリンピック
パラリンピックは、多様性を認め、誰もが個性や能力を発揮し活躍できる公正な機会が与えられている場です。すなわち、共生社会を具現化するための重要なヒントが詰まっている大会です。また、社会の中にあるバリアを減らしていくことの必要性や、発想の転換が必要であることにも気づかせてくれます。
パラリンピックの価値としては次の4が重視されています。①勇気:マイナスの感情に向き合い、乗り越えようと思う精神力②強い意志:困難があっても、諦めずに限界を突破しようとする力③インスピレーション:人の心を揺さぶり、駆り立てる力、④公平:多様性を認め、創意工夫すれば、誰もが同じスタートラインに立てることを気づかせる力。
国際パラリンピック委員会は、「パラアスリートにとどまらず世界の人口の約15%にのぼるとされる多くの障害者への差別をなくし、生活の改善につなげよう」というキャンペーンを19日から始めました。「WeThe15」と名付けられたこのキャンペーンは、世界の人口の約15%、12億人が何らかの障害があるとして、身近にいる多くの障害者に積極的に目を向けるよう呼びかけています。
「私たちは特別ではない」「壁を壊そう」!
このキャンペーンはIPCに加え、国連やビジネス、エンターテインメントなどさまざまな分野の国際組織が協力して、今後10年をかけて障害者に対する差別をなくし、バリアフリーなど生活の改善につなげる運動を展開するとしています。IPCのパーソンズ会長は、「スポーツを通じて誰もがともに暮らせるよりよい社会を手助けするというパラリンピックの原点に戻る時が来ている。まだやるべきことはたくさんある」「東京パラリンピックをきっかけにIPCがさまざまな組織と一緒に手を携えて活動し、障害者の生活と世界を変えていきたい。誰もが共生社会に積極的に参加できるという意識の変化をもたらしたい」と話しています。理念を語ることは容易です。大切なのはそれが絵に描いた餅で終わらないことです。
明星学園の創立者は、大正13年という時代に「人そのものを育てる」事を目的として学園を創立しました。そして「個性尊重」「自主自立」「自由平等」を教育理念に位置づけ、理念を具現化すべく独自に教育課程を編成し、子ども達の示す事実に基づきながらそれらをより確かで豊かなものへと高め続けてきました。パラリンピックの理念はパラリンピックという特別な場では具現化されているように思います。しかし「WeThe15」が具現化されるには10年の年月が必要とされています。
1964年に開催された東京オリンピックの開催期間は15日間でした。それが2020年の東京オリンピックでは17日間に拡大されています。競技については20競技から33競技へ、種目は163種目から339種目まで増えました。参加する選手の数は5152名から11092名と約2倍に増えています。1964年の時は女子の種目数がとても少なかったため、女子選手の数も男子に比べると少なく、日本代表については男子294名に対して女子が61名でした。2020大会では男子306名に対して女子276名と女子選手の比率は高くなっています。参加国数も93カ国・地域から206カ国・地域と2倍以上に増えており、1964年当時と比べるとオリンピックの開催規模がかなり大きくなっていることがわかります。1964年の大会では新競技としてバレーボールと柔道が追加されましたが、今回の大会では空手、スケートボード、スポーツクライミング、サーフィンが追加されました。男女混合の種目も新設されています。第一回オリンピックが開催されたのが1896年であったのに対し、第一回パラリンピックが開催されたのは1960年です。これらを見ると、理念を具現化するのには時間がかかりますが、歴史という時間軸の中では、オリンピックやパラリンピックの理念が着実に具現化されている事がわかります。
先にも述べた通り、プレイの層は氷山の一角に過ぎません。その深層には「組織」「社会」の層があります。「WeThe15」では国際パラリンピック委員会に加え、国連やビジネス、エンターテインメントなどさまざまな分野の国際組織が協力して、今後10年をかけて障害者に対する差別をなくし、バリアフリーなど生活の改善につなげる運動を展開するとしています。10年後、パラリンピックの舞台とそれを支える組織・社会はどのようなものになっているのでしょうか。大きな夢を描きながら、その輪に加わっていきたいと思います。

4、セミも種類によっては4年に一度
テレビに釘付けとなるオリンピック・パラリンピックは運動不足を招きます。運動不足解消に、夕方近所を散歩すると、木々の葉に蝉の抜け殻が沢山ついているのを見つけました。ふと見ると、地面にも無数の穴が空いています。長い時間を土の中で過ごし、地上では長く生きられないセミ。力の限り鳴き続け、最後にはそのままポトンと落ちて死んでしまいます。
土の中で過ごす幼虫期は、どの種類のセミも成虫期に比べて格段に長く、ツクツクボウシで1〜2年、アブラゼミで2〜4年、クマゼミで2〜5年、ミンミンゼミで2~4年、ニイニイゼミで2~4年くらいのようです。
交尾を終えたメスは、 枯れ木や樹皮の裏に産卵をします。 鋭い産卵管を木に刺して、小さな穴を作り、その中にていねいに卵を産みます。
産卵場所に生木を選ばないのは、生きた木は、メスが産卵管で作った穴を人間の傷が治っていくようにふさいでしまうからです。 孵化したばかりの小さな幼虫は、自分で木に穴を開けることはできません。ですから、 産卵管で作られた穴が翌年まで開いているようにメスは、枯れ木を選ぶのです。
産み付けられた卵は、そのまま冬を越し、翌年の梅雨の時期に孵化します。梅雨の時期に孵化するのは、土が湿って柔らかくなっているからです。雨をじっと待っていることが必要なので、セミの卵は乾燥に強くなっています。孵化した幼虫は、穴から地面へ移動し、土を掘って地面に潜り込みます。ここから数年にも渡る長い幼虫生活が始まるのです。
セミの成虫は口吻(こうふん)を樹皮に突き刺して樹液を吸いますが、幼虫は木の根にとりついて汁を吸います。木の根の汁は栄養が少ないため、幼虫はあまり動かずに、長い時間をかけて成長してくのです。ワシントンでは今年、17年ごとに大量発生する17年ゼミが姿を現しました。周期的に大量発生するのは、鳥や犬猫などの捕食者が食べきれないほど一気に現れることで、生き延びて交尾と産卵という大仕事を遂げられる可能性が高まるからだと考えられています。限られた場所で、数十億から数兆匹というセミの幼虫が地中で栄養を分け合うため、成長し地上に出るまで17年という年月がかかるようです。
成長したセミの幼虫は、夏が来ると土の中から外に出て羽化し、成虫になります。羽化は夕方日が沈んで暗くなってから始まります。天敵の野鳥などが活動しない夜を選んで羽化するのだと考えられています。日暮れとともにセミの幼虫は木を登り始めます。高いところまで登る幼虫もいますが、草など低いところで羽化を始めるものもいます。幼虫の背中が割れて羽化が始まります。まず頭が出てきます。そのまま頭を下にして逆さにぶら下がり、脚をぬきます。腹筋する様な感じで頭を持ち上げ、脚でカラにしがみつきます。最後にお尻がぬけます。
翅に血液が送られると、翅はどんどん伸びていきます。ここまで背中が割れてから大体1時間。朝日が登る頃には体色も濃くなり、セミらしくなります。成虫になったセミは体がしっかりするのを待って飛び立ちます。飛び立った後、すぐに鳴くことはできません。数日経って体が成熟してから、やっと鳴くことができます。鳴くのはオスだけで、メスは鳴きません。オスは鳴くことでメスを呼び寄せて交尾をします。その後メスは産卵をします。成虫になってからのセミの寿命は2~3週間くらいといわれています。
8月中旬の夕方、ふと気がつくとセミの鳴き声が鈴虫の鳴き声に代わっていました。なんとも心地よい響きです。窓を開けると涼しい風が吹き込んできました。いよいよ季節の変わり目です。長い年月を経てやっと晴れの舞台に立つことができたセミ達。しっかり命を繋いでセミとしての一生を遂げて欲しいと思います。

5、暑中見舞い
夏休みに校長室で仕事をしていると、郵便切手の貼られた一枚のハガキが届きました。何とそのハガキは「本物の葉っぱに切手が貼られ、木の枝で文字が書かれた葉書」だったのです。そのような葉書を貰ったのは初めてだったので、とっても驚きました。郵便屋さんも驚いたのではないでしょうか。
葉書には、学校の住所と私の名前(宛先)、文面として「ごうちゃん、ごうちゃん げんき」と書かれていました。そしてその両脇には、差出人の名前と「多羅葉」という文字が書かれていました。
葉書の始まりは、平安時代に「多羅葉(たらよう)」という樹木の葉の裏に、木の枝などで傷をつけて言葉を書き、相手に渡して伝えたことが始まりと言われています。多羅葉(たらよう)の葉は特別な成分を含むため、傷をつけると短い時間で色が黒く変色し、すぐに文字が浮かび上がる特性や文字がそのまま消えずに長く残る性質があり、言葉を保存する葉として選ばれるようになったそうです。
良く考えてみると、「言葉」という文字にも「葉」という漢字が用いられています。それはどうしてなのか。ここにもやはり多羅葉が関わっているのかも知れません。良い機会なので理由を丁寧に調べてみたいと思います。
このように、一枚の葉書が新たな世界を開いてくれました。新しい事を知ることは本当に楽しく、そこから学びがどんどん広がっていきます。9月6日(月)~9日(木)には夏の作品展も開かれます。昨年は作品展での取り組みから、一人の子どもと筑波大学まで出かけ、最先端の研究成果を学ばせて貰いました。好きこそもの上手なれ!子どもたちの学びは止めることができません。今年もエネルギー溢れる学びの足跡を楽しみたいと思います。保護者の皆様のご支援に心から感謝申し上げます。