明星学園

トピックス(小学校)

お知らせ

新たなスタートに際して

校長だより
1.出会いと別れ
 4月になりいよいよ新しい学年のスタートです。それぞれ学年が一つ上がり、8日には新しい一年生も迎えます。新しい一年生は67名で、それ以外にこの4月から18名の転入生と、1名の復学する児童を迎えることとなりました。また新しい先生を3名迎えます。各学年、賑やかになりますね。嬉しいスタートです。
 しかしこの春は出会いと共に、さびしい別れもありました。長い間、明星学園の教員として勤めてこられた坂本先生、大野先生、井上先生が退職され、校長だった剛力先生もお辞めになりました。春休み中、校長室を訪ねてこられた保護者・卒業生・在校生の姿を見て、改めて長い間先生が培ってきた関係や、仕事の重みを感じる場面でもありました。大役を果たしてきたので、この春は少しゆっくりしていただきたいですね。
 そして、この4月からは、照井が校長に、伊野が副校長に就任しました。二人とも初めての役職であるので、至らない点もあるかと思いますが、愛する明星学園のために精一杯頑張るつもりですので、保護者の皆さまにも見守っていただきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。

2.ご挨拶
 改めまして、今年度より校長に就任しました、照井伸也です。よろしくお願いいたします。
 簡単に自己紹介をすると、半世紀以上前に、この明星学園小学校に入学し、その後12年間を明星生として井の頭キャンパスと牟礼キャンパスで過ごしてきました。大学卒業後、一旦会社員として勤めましたが、教員になる夢は諦めず、明星に教員として着任してから30年以上が経ちました。ですので、40数年はこの井の頭周辺の移り変わりを目の当たりにしてきているわけです。
 明星学園の周辺も随分と変わりました。以前はローソンの通りに日常の生活を支える八百屋さん、肉屋さん、魚屋さんなどがあり、お蕎麦屋さんやラーメン屋さん、カレー屋さんなどもあって、吉祥寺まで出なくても生活には困りませんでした。しかし時代とともに一つ一つお店が減っていき、最後まで残っていたお肉屋さんも姿を消しました。このお肉屋さん、多くの明星生が帰りがけに揚げたてのコロッケを買って食べた思い出を持っているのではないでしょうか。
 井の頭公園はそれほど変わってはいないのですが、それでも池の水は数回の「かいぼり」で透明度が上がりましたし、園内にはおしゃれな飲食店ができたりしています。一つだけこの2〜3年で大きく変わったとすれば、鬱蒼としていた公園が明るく開放的になったことでしょうか。公園内には老木が多く、台風などで倒れる可能性を考慮し、公園の方で何本も切ってしまっているのですが、私にとってはこれが一番違和感を感じます。池に張り出していた桜の木も随分切られてしまいました。子どもの頃の原風景がなくなっていくのは、なんとも言えず寂しいものです。
 私立学校ならではだと思いますが、私が着任した当時は、まだ自分の教わった先生が現役として残られていて、美術の先生は昔の作品を掘り出してきてくれたことなどがありました。その後、学年を組んだ先生の中には、元の担任の先生もいらっしゃいました。巡り合わせとはいえなかなか複雑な思いもあり、期待に応えられるよう頑張らないとと思った記憶があります。しかし30年以上も教員を続けていると、今度は私が担任した子どもが教員として着任してくると言った逆転現象が起こりました。歳をとったわけですよね。
 さて、ご挨拶と言いながら、話があちらこちらに行ってしまいました。
 これだけの伝統ある明星学園の校長となるのは、覚悟のいることだと思っています。3月後半からその重みをひしひしと感じてもいます。自分のできることは何なのか、自分らしく仕事をしていくとはどう言うことなのか、この先も自問自答しながら続けていくことになると思います。明星学園は「個性尊重」の学校ですから、私の個性も認めていただき、私なりに学園に関わっていくつもりです。
 どうぞこれからよろしくお願いいたします。

3.温故知新
 さて学校の方はと言えば、それぞれ先生が頑張っているので、私はそれを見守っていけばいいかと思っています。授業ができない寂しさはありますが、それは逆に学校が安定していると言うことなので、言わないことにしましょう。
 ただまずはこの一年のテーマにしたいのは、「温故知新」ということです。「昔のことを調べて、そこから新しい知識や見解を得ること。ふるきをたずねて新しきを知る。」と大辞林には書いてあります。古いものが何でもよく、それを大事にと言うつもりはありません。新しいもので素晴らしいものはたくさんありますし、ICTの分野は日進月歩で便利なものがたくさん出ています。ただ新しいものと言うのは、それまでのものの不都合な部分を変えて出てくるものだと思います。突然新しいものが出てくるわけではないですね。新しいものを産み出していくためにも、古くから伝わってきているものを丁寧に扱い、研究し、理解していかないとならないと思います。明星学園がこの100年近い伝統の中で、何を大事にしてきたのか。その辺りをまずはこの一年、整理をしていきたいと思っています。「なぜ教科書はないのか」については先日P.T.A.の掲示板の方に挙げていただきましたが、少しずつ「明星の不思議」を紐解いていけたらと思っています。

 最後に一つ。右側にあるイラストは、1930年ごろに出ていた明星学園の最初の小学校月報のタイトルです。
 その頃発行されていた学校便りの紙面にあったイラストを照井ができるだけ忠実に描き直しました。当時の美術の教員が描いたのでしょうか。よく見ると、デザインとしても秀逸だと私は思います。中には北斗七星らしきものも描かれています。明星とは「金星」のことで、明け方や夕暮れ時に一際明るく輝いている星を見た創立同人が「これだ」とつけた名前だそうです。ではこのほしかげのイラストの中にある北斗七星は何を意味するのでしょうか。北斗七星の一番上の辺を延長させると、その先には北極星があります。いつでも真北の方角に輝く北極星。人々の道標となった北極星を探すための北斗七星をイラストに含み込んだのは、単なるデザイン的な意味だけではなく、明星学園が道に迷わないよう当時の先生が入れてくれたのかもしれませんね!?