明星学園

トピックス(小学校)

お知らせ

梅雨といえば

校長だより
1.「梅雨」ということばから思うこと
 先日の日曜日は数年ぶりの日曜参観を実施することができました。多くの保護者の方々に来校いただき、それだけ待ち望んでいた授業公開なのだと、われわれも再認識すると共に、一層の教材研究や授業研究、クラス運営などの必要性を感じています。
 一学期も残すところ1ヶ月。どの教科も残り時間を気にしなくてはならない時期にさしかかりました。私も5年生の体育の授業を担当しているので、残りの授業時間と教材の割りふりを考えているのですが、この時期一番大きな問題は「雨」なんです。5年生は一学期の体育がグラウンドなので「雨」の影響を直に受けます。さらに梅雨の合間の晴れ間は蒸し暑く、熱中症にも気をつけなくてはなりません。無理なく、しかししっかりと学習していきたいですね。
 さて見出しにもある通り、「梅雨」ということばから、すぐに思い浮かぶことがあります。それは5年生の国語で扱う教材の『あか』というお話です。お話の中に直接「梅雨」という言葉は出てこないのですが、しかし作者の幸田文さんは「梅雨」を別の方法で表現しています。「今はもう梅の実が大きく目につくようになって、毎日雨がびしょびしょふった。」と表現されているのです。このお話の中で幸田さんは、時間の経過を植物の移り変わりを使って表現する場面が多く、それもまたこのお話の面白さでもあります。もちろん「六月になり…」といった表現もあると思いますが、その時期特有の物事から季節を連想させることこそ、豊かな表現だと思います。
 ただ残念なのは、段々とそういった季節感がなくなってきたことです。季節の野菜や旬の野菜というものがあると思いますが、野菜も温室栽培などでずいぶん早い時期から出回っていたりすることがあり、「旬」というものが曖昧になってきています。また全世界的な温暖化で、季節そのものが曖昧になってきてもいます。日本は四季の移り変わりがはっきりとしている国なので、幸田さんのような美しい文章が生まれるのでしょうから、この文化をみんなで引き継いでいきたいですね。そこに学習の意味があると思っています。

 また「梅雨」の時期ですが、これは住んでいる地域によって違ってきます。関東だと6月初旬から7月中旬ぐらいのイメージですが、沖縄では5月中旬から6月下旬といった感じでしょうか。さらに北海道には梅雨入りや梅雨明けの宣言がありません。そうだとすると、「梅雨」のイメージはそれぞれの生まれ育った環境によって違うのだと考えられます。ことば一つとっても、様々なイメージをふくらませることができるのですから、そのことばをつなぎ合わせた文章の読み取りは、かなりの幅を持ったものになるのかもしれません。学校の授業ではある一定のイメージに決めつけるのではなく、目の前の子どもたちがどのように思っているのか、この幅を明らかにすることも重要だと考えています。

 1ヶ月後、真っ青な空に白い雲。そんな夏休みを無事に迎えることができるといいですね。

2.季節の移り変わり
 学校では正門を出て左に曲がった塀ぞいにキンシバイやホタルブクロが咲き始め、いよいよ梅雨の季節が始まったことを感じます。ビオトープ近くのアンズもオレンジ色の実をたくさん実らせ、子どもたちの興味の的になっています。またビオトープの周囲にはチョウやトンボが飛び回っていて、子どもたちが捕まえようとしています。捕まえるまでが楽しい子もいれば、そこから観察しながら育てることに興味を持っている子もいて、動植物に関わる姿はそれぞれ。命を大切にするという最低限のルールだけは守ってほしいと思っています。

 先日、井の頭公園の駅前商店会の方とお話しする機会がありました。その方は下校途中の小学生が何かを持っていることに気が付き声をかけたそうです。その小学生の手には何やら幼虫が!毛虫だったらかぶれてしまうのではと心配されたそうなのですが、その小学生は「大丈夫!チョウの幼虫だから。」と手から手へと幼虫に自由に歩き回らせていたそう。この知識を得るまでには、何度か失敗もあったのでしょうか。さらに「この幼虫はスミレ科の葉を食べるんだよ。」と教えてくれたそうです。その幼虫、どうやら近くのパンジーの鉢植えのところに居たそう。そこで見つける観察眼といい、好きなことにとことんのめり込んでいく姿っていいですね。私は「スミレ科?柑橘じゃなくて?」と思ったのですが、ツマグロヒョウモンというチョウの食草はたしかにスミレ科の植物だそうです。子どもたちの力って、本当にすごいなぁと思いました。

3.ほんのちょっとの紹介
 梅雨時、雨にちなんだ本や水に関係する本を紹介できればと思ったのですが、特に自分の中でそのカテゴリーのストックがあるわけではなく、今回は悩みながらの紹介です。
 一つは定年で退職された先生が朗読の教材として使っていた絵本、『おじさんのかさ』(佐野洋子作・絵・講談社)です。佐野洋子さんの味わいのある絵本で、絵も素敵ですし、内容もどこかユーモラス。傘を持っているのに傘をささないなんて!そして耳から入ってくる文章のリズムというか音がとてもいいんです。もちろん自分で声に出した時も。日頃から思っているのですが、文章のリズムがよく、耳から入ってくる音が心地よい本は、いろいろな世代の子どもに読み継がれている気がします。また学校でもそういった部分を大切にしています。
 もう一つは少し怖いお話。イギリスのお話で「あらし」が題材になっています。これから日本も台風の季節ですが、イギリスの事情は少し違うのかもしれませんね。イメージ的には雨が多い国という印象がありますが、実際のところはわかりません。舞台になっているのは大きな沼のほとりの小さな家。主人公のアニーの暮らしには常にこの沼があります。そしてその沼にはゆうれいがでると噂されています。
 人間の「怖い」という感情は、「自分が知らないから怖い」と『なぜ、おばけは夜に出る』の中でなだいなださんが書いていましたが、まったくその通りだと思います。未知のものへの不安や恐怖はだれにでもあるのだと思います。異国の文化に対する知識のあるなしもそうですし、人間が死んだらどうなるのかという誰も知らないことも、その不安や恐怖の感情を増加させるのでしょう。子どもの頃、ドラキュラやオオカミ男がすごく怖いと思いましたが、日本のおばけも怖いですよね。この本を紹介しながら、そんなことを考えました。主人公のアニーは家族のためにがんばるのですが、それはまた『モチモチの木』と通じるところがありますね。『あらし』(ケビン・クロスレー-ホーランド文・島田香訳・中村悦子絵・ほるぷ出版→残念ながら現在は出版社等で取り扱いがないようです。)

 これは個人的な感覚かもしれませんが、雨の日はなんとなく世の中が一つになるというか、バラバラだったものがそれぞれつながって「雨の日」という一つの風景になるというか…。いえ、うまく表現できていないですね。なかなか時間を作ることができませんが、時には雨の音を聞きながら、風景を楽しみたいと思ってます。