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社会科有志学習旅行で陸前高田・気仙沼に行ってきました!

中学校ニュース
昨年度から社会科では有志による学習旅行を企画実施しています。今年度は、陸前高田・気仙沼での震災学習を企画し、9年生18人と8月26日から陸前高田、気仙沼に2泊3日で出かけてきました。
今回、陸前高田を行き先にしたのは、現10年生が9年生の時に修学旅行で訪れたことがきっかけです。修学旅行から戻ってきてからの9年生や9年生担当だった先生たちからの話を聞き、私も「被災地」は今どうなっているのか自分の目で見てみたい、「被災地」で生活している人たちから直接話を聞いてみたいと思い、3月に現地を訪ね歩きました。その際、陸前高田で民家泊をさせていただき出会った陸前高田の方々やこの民家泊の受け入れを担当している「マルゴト陸前高田」の若いスタッフのみなさんの思いに触れ、今の9年生と一緒に再訪したいと強く思い、企画しました。

8月26日(月)
7:15という早い集合時間にも関わらず、みんなばっちり集合して、東京駅を出発しました。新幹線で快適な旅は一ノ関まで。一ノ関からはローカル線とBRTを乗り継ぎました。これも18人だからできること!BRTとは、東日本大震災で線路が流されたり、壊れたりしてしまった区間を電車の代わりにバスでつないでいるものです。気仙沼で電車から降りると、隣りにはBRTの道路が。駅構内に道路があるのは不思議な感じです。
予定通りに、BRT「奇跡の一本松」駅に12時半ごろに到着。夏空のもと待っていてくださったのは「マルゴト陸前高田」の齊藤さん。八木澤商店の名物しょうゆソフトを楽しんで一息ついてから、陸前高田の震災前と震災後の写真を確かめていざフィールドワーク開始です。この写真を見ただけで、みんな、びっくり!
★奇跡の一本松へ
陸前高田では、亡くなった方がいない4つの場所を震災遺構として遺しています。そのうちの2か所を案内してもらいました。まずは、奇跡の一本松へ。この一本松は、以前、フォトジャーナリストの安田菜津紀さんをお招きした時にお話を聞いているので、実際に見てほしかった震災遺構のひとつです。奇跡の一本松があるところは、ほぼ海抜ゼロ。陸前高田は津波の被害があったところを全体的に嵩上げしているので、こんな風に階段で上り下りするところがあります。また、このエリア一帯は、高田松原津波復興祈念公園になるそうで、防潮堤も芝生でグリーン化していました。
★旧道の駅タピック45へ。
普段は立ち入ることができませんが、事前に特別申請を出していただき、見学することができました。安全のためにヘルメット着用で!防潮堤が約12メートルあり海が見えないのですが、高いところに立ってようやく海の近さを実感することができました。また、建物の壁には、ここまで津波が来たという記録(?)が残されていました。誰がどのタイミングでペイントしたのかはわかっていないそうですが、ここまで来たのか~と、津波の高さを改めて実感したのでした。

★はまって会(対面式)
ただ震災遺構の見学で「被災地」を分かったつもりになってほしくない。「被災地」で生活している人の顔を知ることで分かること、感じることがあるはずだと思い、今回も民家泊をメインにしました。5家庭に分かれて民家泊体験です。少人数ということもあり、民家の方ひとりひとりが自己紹介をしてくださいました。みなさん、引き受ける9年生の名前をすでに覚えてくださっていました!うれしい!

8月27日(火)
1日民家泊!どこのお家も広く、しかもどこまでがそのご家庭の畑なのかわからないくらい広い畑付きで、それにも驚きました。
酒井グループのお家は、敷地内に小川が流れていて、畑で作ったスイカを冷やしていました。初めてみたユウガオの大きさにもびっくり!実は、私がお世話になっていたお家でこのユウガオの炒め物をいただいていたのですが、こんなに大きな野菜だとは知らずに、本当にびっくりしました。
薮田グループは、朝6時に起きて、イシカゲ貝というこの辺りでしか獲れない高級貝を食べに海に行ってきたそうです。お邪魔した時は、ちょうど休憩していたところでした。どうやら動いている貝を食べたとか!お母さんの作るパンがとても美味しかったそうです。
渡辺グループは、大工だったお父さんが切って整えた本物の竹で流しそうめんの準備をしているところでした。その前に、畑で天ぷらにするためのさつまいもを掘ったそうです。畑から収穫したばかりのさつまいもをすぐに天ぷらにしてくれたので、おいしさも格別だったとか。
石井グループのお昼ごはんは、手作りピザ!ちょうどピザを作っているところにお邪魔しました。ちょうど第1作目が焼き上がり、おすそ分けしてくれました。オリジナルピザソースがとてもおいしかったです。ピザをたくさん焼きすぎて、ご近所さんにも配ったのだそうです。
逸見グループのお家に行こうと思っていたら、気仙大工伝承館近くにあるアスレチックで遊んでいるところに遭遇。こちらのお家は、お父さんが実際に逃げた時のルートを一緒に歩いたりしながら、震災時のお話をいろいろ聞かせてもらったそうです。

8月28日(水)
昨晩から朝方にかけて大雨洪水警報が出ていた陸前高田ですが、特に危険を感じることもなく、朝には警報も解除されました。雨もだいぶ弱くなった中、ほんでまんず会(民家泊お別れ会)です。ここでもお世話になった民家の方がひとりひとりお話をしてくれました。本当に温かな時間をありがとうございました。

名残り惜しかったですが、バスに乗って気仙沼へ移動。リアスアーク美術館に行ってきました。ここで、気仙沼で語り部活動をしている橋本さんがガイドとして合流してくれました。こちらは、震災当時、こちらの学芸員さんが、後世に残すためにと精力的に気仙沼の震災の様子をカメラに収めて展示されている美術館です。写真の解説だけでなく、学芸員さんの視点で、さまざまなキーワードが紹介されているものがとても印象的でした。
たっぷり時間があると思っていましたが、時間が足りないという9年生が、ぎりぎりまで粘って展示を見ていました。
こちらで昼食を食べて、気仙沼の震災遺構である気仙沼向洋高校旧校舎へ。本来は、併設された伝承館で当時の映像を見たり、校舎内を見学したいところでしたが、臨時休館ということで外から。機会があったら、ぜひ再訪してほしい場所です。今回は、バスの中で伝承館で最後に流している映像のひとつの中学校の卒業式(なんと震災から10日後に避難所として提供している体育館で実施!)の映像を見せてもらって、気仙沼での震災学習を終えました。最後に橋本さんが、「自助、共助、公助の順番が大切」という話をしてくださいました。人と同じではなく自分でどうすべきか考え、自分の責任で動く。とにかく自分の命を守る。その上で、まだ周りの人を助けられる時に力を貸すということが大事なのだという話をしてくれたことが印象的でした。


参加した9年生から、「震災のことはテレビなどを見てわかった気でいたけど、全然違った。それに気づけてよかった」という声が聞こえてきました。すべてのことを自分で確かめることはできませんが、チャンスがあるなら、実際に現地に足を運び、地元の人たちと言葉を交わし、自分の肌で何を感じるのかという経験を大切に重ねていけるといいなあ、そして、一緒に分かち合い、悩んだり、考えたりし合いながら生きていけるといいなあと思いながら、東京駅で解散しました。

さて、実際に3日間を陸前高田で過ごした9年生が何を経験し、どんなことを感じてきたのかは、明祭やバザーで展示する予定です。ぜひいらしてください。

(引率 山田(8年社会)&小畑(9年社会))