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〖ほりしぇん副校長の教育談義〗(1) 自分の居場所づくり

中学校ニュース
中学校副校長の堀内です。管理職となり、またコロナ禍ということもあって、普段なかなか保護者の皆さんとお話しする機会がありません。そこで本日から毎週土曜日の10時配信で、これまで書きためてきた日々感じる中学生の姿、中学校での学びについて連載していこうと思います。コロナ禍で大変な時期ではありますが、あえて時代が変わっても変わることのない中学生の姿をお届けできればと思います
国語の教員として30数年、中学校の国語の授業を担当してきました。「ほりしぇん」というのは初めて担任を受け持った学年の生徒につけてもらったあだ名です。それ以来生徒からも保護者の皆さんからも自然とそのように呼ばれてきました。
末永くよろしくお願いいたします。

1 新入生との出会い―自分の居場所づくり

4月になると、毎年期待と不安を胸いっぱいにして新入生が入学してきます。私は中学校で30年以上、国語科の教員として教鞭をとってきました。何回経験を積もうとこの日の生徒との出会いの瞬間には震えがおこります。全員の目がこちらを向いています。教室に入った彼らに、緊張しながらも私が必ず伝えることがあります。「分からないことは分からないと言っていいんだよ」。「みんなが明るく元気になんて思わなくてもいいよ。この学校には休み時間、静かに本を読むのが好きな子だっています。みんなが同じである必要はない。お互いにそれを尊重しよう。たぶん、中学校3年間の中ではうまくいかなかったり、嫌なことにもきっと出会うと思う。そんなとき、ホッとできる場所があれば人はやっていけます。そのためにはだれかに合わせたり、何かしてもらうのを待つのではなく、自分で居心地のいい自分の居場所を見つけることがとても大切なことだよ。」

あえてこのようなことを言うのは、実は無理をしている生徒が思いのほか多いということです。友だちができなかったらどうしよう。嫌われたりしないかな。小学校で味わったようなことはもう嫌だ。「友だち100人できるかな・・・」なんて歌もあります。家に帰れば「仲のいい友だちできた?」なんて親御さんに言われてしまいます。これがまたプレッシャーになります。親に心配をかけたくない、そんな気遣いをしてしまう子も少なくないのです。

4月はみんな頑張りすぎてしまいます。あせらないこと。無理をしないこと。自然体でいること。当たり前にやるべきことをやっていること。そうすることで、いろいろなものが繋がっていくようにできています。でも、これが一番難しいことですね。友だち作りで早さや人数を競ってみても意味はありません。そのことだけを頭の片隅に置いておいてもらえればけっこうです。


数年前、こんな場面に遭遇しました。それは中学校卒業式の翌日のことでした。学校はお休みのため職員室は閑散としています。夕方になると私のほかには二人の先生しか残っていませんでした。そして、二人の先生が帰り支度を始めていたときのことです。突然昨日卒業したばかりの女子生徒が一人、お母さんと一緒に現れました。彼女が会いたかったのはまさにその二人の先生、現担任と元担任の先生だったのです。もう5分遅かったら会えなかったでしょう。「先生!合格したよ!」笑顔です。他の生徒がほとんど内部進学で系列の高校へ進学する中、彼女は一人外部受験を考え、しかも進学先が決まらないまま昨日卒業式に出席し、卒業を祝う会に参加していたのです。さぞ、つらかったことでしょう。でも、合格しました。本当に良かった。彼女も先生たちも笑顔で、でも、何かそれだけでは足りない、不思議な空気が流れていました。彼女が先生たちと欠席や遅刻のことでよくぶつかっていたのはよく知っています。「どうして学校に行かなくちゃいけないの?」「何のために勉強するの?」「内部進学できなくてもかまわない!」

彼女は職員室から出ようとすると、急に立ち止まり、振り返りました。「○○ちゃん(元担任)! 私、シロクマが北極という自分の場所を見つけたように、私もきっと自分の居場所を見つけるね!」先ほどまでの笑顔とは違う、彼女の真っ直ぐな美しい本当の表情を見た気がしました。その瞬間、彼女と○○先生とが、何か熱いもので一気につながった波動のようなものを強烈に感じました。たぶん、先生が過去のある時点で彼女に伝えた言葉があったのでしょう。ただ、彼女はそれにすぐ応えはしなかった。表面的には反発すらした。でも、その言葉は彼女の心の中で生き続けていた。先生も多分、彼女に言われるまで忘れていたであろう言葉、いま彼女の言葉を聞いてよみがえってくる情景。不思議なことにそんなイメージが一瞬のうちに私の心いっぱいにふくれあがりました。涙がこぼれそうになりました。

後で先生に聞きました。「どんな話をしたの?」「実は、シロクマの話、3年前、入学式の日のホームルーム、最初の出会いの日に話したんです。シロクマはハワイで生きる必要はない。シロクマは北極という自分の居場所を見つけた。みんなもこの3年間で自分の居場所を見つけてほしいって。私の好きな梨木香歩さんの言葉なんです。」

この一人の生徒の発した言葉は、悩み、葛藤した3年間の中学校生活が、自分の居場所を見つけるための本当に貴重な時間であったと自覚した証であり、それを最後の最後に先生に伝えることができた喜びに満ちていました。何か「言葉の持つ美しさと強さ」を見せてもらったような気がしました。「合格したよ」の笑顔の何千倍も美しいものを彼女は残して卒業してくれました。


話は変わりますが、 最近、未成年の少年少女が絡んだ痛ましい事件が立て続けに報道されています。「ああいうやつは、特別なんだ。どうしようもないやつだよ。だから自分には関係ない」と言ってしまえば、それで終わってしまいます。それ以上、考えないですんでしまいます。でも、本当にそれでよいのでしょうか?

彼らには“自分の本当の居場所”というものがあったのでしょうか? もちろん、ラインですぐにつながるたくさんの友だちはいたのでしょう。深夜に一緒に遊ぶ仲間もいたのでしょう。でも、本音で自分の弱さをさらけだし、支えあえる関係がそこにあったのでしょうか? もちろん本当のところは分かりません。でもどう見ても、彼らにとってのラインや仲間というのが見せかけの居場所、もっとはっきり言えば、自分で選んでいるようで逆に自分自身を束縛するものになっていたように感じてしまうのです。

私は、人間にとって一番大切なものの一つに“自分の居場所”を挙げたいと思います。“自分の居場所”とは、自分が素でいられる場所、無理をせず、それでいて自分の持っている力を精一杯発揮できる場所のことです。幼かった頃、それは親が与えてくれるものでした。そして学校が与えてくれるものでした。思い通りにいかなければ文句を言い反発するか、あるいは我慢をするかしかできなかったでしょう。しかし、中学生にもなるとそこに満足できなくなっていきます。なぜなら、人から与えられた場所は、いくらそれが立派なものであったとしても、所詮自分のものではありません。そこで満足などできるはずはないのです。思春期の前期に、何ごとに対してもいらいらしてしまうのは当然のことであり、ある意味成長の一段階であるともいえるのです。

本来の“自分の居場所”とは、与えられるものではなく、自ら見つけるものです。もちろん、そう簡単なことではありません。ただ、この世の中、思い通りにいかないことなんか、いくらでもあります。それを家庭のせい、学校のせい、社会のせいにしているだけでは、事態は何も変わらず、イライラばかりがつのってしまいます。

中学校時代の生活は、“自分の居場所”を自ら見つけるための時間でもあります。自分の居場所を見つけるためには、自分を知らなければなりません。でも、自分のことを一番知らないのが、意外にも自分であったりします。やる前から“どうせ自分は”とあきらめてしまう。これは大人でも言えることです。目の前にあることに一生懸命挑戦し、発見や失敗を繰り返しながら自分を知っていく。時には、日常を離れ、未知の空間に自分を置いてみる。そこでの出会いは、自分にもこのような面があったのかという発見、そして新たな世界で自分を試してみようという勇気を得る、大切なきっかけともなります。もちろん、挑戦には失敗がつきものです。でも、そこにいつまでもこだわる必要はありません。次を考えればいいのです。

シロクマは進化の過程で、北極という自分の居場所を見つけました。動物たるもの、アフリカのサバンナでなくちゃ、なんていうことはどうでもいいことです。でも、人間はこういうことを気にし、本当の自分の居場所を見つけるチャンスを失ってしまいます。他の動物には寒すぎて生きることのできない北極がシロクマにとっては、最も居心地のいい場所だったのです。「シロクマはハワイで生きる必要はない」。ぜひ皆さんにとっての最高の“居場所”を見つけて下さい。

『西の魔女が死んだ』を書いた小説家の梨木香歩さんが、あるエッセイで自分の居場所を持つことの大切さについて次のようなことを語っています。


<ちょっとがんばれば、そこが自分の好きな場所になりそう、というときは、骨身を惜しまず努力する。> そして、この先でもう一つ、彼女は大事なことを述べています。そこが自分の居場所ではないと感じたときです。<逃げることは恥ではない。津波が襲って来るとき、全力を尽くして逃げたからと言って、誰がそれを卑怯とののしるだろうか。逃げ足の速さは生きる力である。津波の大きさを直感するのも、生きる本能の強さである。いつか自分の全力を出して立ち向かえる津波の大きさが、正しくつかめるときが来るだろう。そのときは、逃げない。>(梨木香歩『不思議な羅針盤』より)

挑戦する勇気と逃げる勇気、けして相反するものではありません。変なプライドにこだわらず、挑戦してみること。失敗はつきものです。中学校時代は、できるだけたくさんの失敗をしてみることです。それがこれからの人生で致命的な失敗をしない最良の方法であると思います。

もちろん、これが最も難しいことであることも分かっています。そのために学校は、それを乗り越えてもらえるようなプログラムを作ります。それは、コインを入れれば希望のものが出てくるようなシステムではありません。それは日常の授業や教科外の様々な活動の中で君たちを立ち止まらせ、自分と向き合うきっかけを作る仕組みのことです。その一部をこれから具体的にお話していきたいと思います。(*次回は7/10配信予定です)