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〖ほりしぇん副校長の教育談義〗(2)教員としての原点

中学校ニュース
日々感じる中学生の姿、中学校での学びについて考える連載〖ほりしぇん副校長の教育談義〗第2話目をお届けします。毎週土曜日の10時に配信しています。

2 教員としての原点

ここで自己紹介のようなことをさせていただきます。私は三鷹市の井の頭公園の近くにある明星学園中学校・高等学校で30数年、国語の教員として主に中学生の授業を担当してきました。よく人から「なぜ、教員になったのですか?」という質問を受けます。実は大学を選ぶときに、恥ずかしながら明確な目的があったわけではないのです。将来の職業の選択肢の一つに漠然と教員というものがあったのは事実です。ただ教員になるのなら国語以外にはないということは思っていました。しかし、受験した学部・学科は国文学のほかに英文学と心理学、さらに医学部といった具合です。今から考えれば、自分の将来をどこの大学に受かるかに任せていたといったところです。その程度にしか自分の将来について考えていなかったということです。

進学することになったのは早稲田大学教育学部の国語国文学科でした。入学してからは、それが運命と前向きにそれを受け入れました。ただ、人の前に立つのは嫌い、目立つこともできるなら避けたい、人前で話すなんてとんでもないという人間でしたので、自分が教師になるというイメージはまだまだ漠然としたものだったように思います。

そんな時、塾講師のアルバイトを手伝ってもらえないかという話がまいこんできました。深く考えることもなしに引き受けてしまいました。持ったクラスは中学2年生。1クラス20人定員です。19歳の時でした。生意気盛りの14歳が相手です。新米の若い兄ちゃんをからかおうというのがよくわかります。こちらは余裕がないので、馬鹿にされてたまるかという一心です。授業がうまくいくわけがありません。もちろん何人かの生徒は、若いというだけで、親しげに近寄ってきてくれます。授業中も前の方の席で質問にきちんと答えてくれます。でも教室の後ろの子たちは、完全に斜に構えて、授業妨害と言いたくなる言動をしてくるのです。こちらも頑なになり、彼らを相手にせず、きちんと授業を受けている前の方の子たちだけに向かって授業をする日々が続きました。それでいいとは、自分でも思ってはいませんでした。自分は教師が向いていないなとも感じていました。ただ、自分から塾長にやめさせてくれというのは、それだけは嫌だなという自分がいました。その代わり、塾長から「首だ!」と言われれば、潔く「ご迷惑をおかけしました」と、引き下がるつもりでした。

そんなある日のことです。授業が終わり、荷物を片づけ外に出ました。建物の横には駐輪場がありました。そこに、いつもいわゆる悪ガキたちがたむろしているのです。その前を通らなければなりません。いつも足早に通り過ぎていました。ところがその日、突然ある女の子が近寄ってきて「先生!」と声をかけてきたのです。いつも、授業をきちんと受けていない生徒の一人でした。初めてその子から「先生」と呼ばれたのです。「先生、なんで今日私を怒ってくれなかったの?」私には恥ずかしながら彼女の言っていることばの意味が分かりませんでした。「どうして?」「私、授業中、後ろのドアから抜け出したんだよ」。気づいていなかったのです。それから「なんで怒ってくれなかったの」の本当の意味がやっとわかりました。「なんで私のこと見てくれていないの?」冷水を頭からかけられた思いでした。

その瞬間こそが、私の教師としての出発点だったと断言することができます。悪ガキだと思っていた子たちの繊細さに気づきました。「先生!先生!」と近づいてくる子たちの何十倍も、私のことを注意深く観察してくれていることにも気づきました。もちろん彼らの授業態度がその後急によくなったというわけではありません。でも、かならず帰りに駐輪場で私を待ってくれていて、私にもっとこうした方がいいよとか、教室の中ではしない本音の話を素直に話してくれるようになりました。彼らはまさに私にとっての教師のような存在でした。

(*次回は7/17配信予定です)