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〖ほりしぇん副校長の教育談義〗(10)孤独の大切さ

中学校ニュース
*新学期が始まりました。コロナの収束はまだまだ見えません。本校では対面での授業を継続できるよう、できうるかぎりの感染対策で対応していきます。ご協力をお願いいたします。
コロナに感染することを防ぐことはもちろん大切です。しかし、人と接することを避けるあまりメンタル面を壊してしまってもいけません。いかに大局的にものをみるかが問われます。

日々感じる中学生の姿、中学校での学びについて考える連載〖ほりしぇん副校長の教育談義〗第10話は、「孤独の大切さ」がテーマです。孤独とどう向き合うか、中学生の誰もが感じることですが、コロナ禍の今、特にお伝えしたいことです。

(中学校副校長 堀内) 


10 孤独の大切さ


「孤独」と聞いて皆さんはどのようなイメージを持つでしょうか? 寂しい、つらい、理解してもらえない……。マイナスに捉えてしまう人がほとんどのような気がします。しかし私は、あえてここで「孤独」の大切さを述べたいと思うのです。


旅を例に考えてみましょう。気の置けない友達とのグループ旅行は楽しいものです。一緒に旅行の行程を考えたり、美味しいものを食べたり、素敵な思い出ができることでしょう。その反面、お互いに気を遣ったり、我慢することも出てきます。グループで行動するなら当然のことです。でも、そんなことより仲間と楽しく過ごせればいいわけです。何よりグループ旅行には安心感があります。

一方、一人旅は気ままです。ただ、すべて自分で決定しなければなりません。緊張感があります。人との関係における緊張感ではなく、自分がどう行動するかという決断とその結果について自分が責任を負わなければならないという緊張感です。当然のことながら周りの状況を、周りの人たちをしっかり観察するようになります。実は、その魅力を理解するようになることこそ「おとな」になることだと言いたいくらいなのです。中学1年生のクラスで、一人で行動することの楽しさについて語ると、必ず2、3人の生徒がにこにこしながらうなずいています。

どちらの旅の仕方がいいかということを言いたいわけではありません。一人旅はけして寂しい旅ではないということを言いたいのです。頭の中では、さまざまなことを考えていることでしょう。自己の中で対話しているわけです。どこにいても一人でいるということは、外に対して開かれているということです。人との出会いが格段に多くなります。だからこそ、一人旅の魅力を知った人は、日常生活に疲れた時、無性に一人で旅に出たくなるということを聞きます。私自身がまさにそうです。


「孤独」と「孤立」は、全く意味が違います。「孤立」とは、集団の中でただ一人、関係が切れてしまっている状況です。本人の心は閉ざされ、自分ではどうしたらよいかわからないほどの寂しさを感じていることでしょう。そんな生徒がいたら、手を差し伸べなければなりません。

「孤独」は違います。そこには自由な遊び心があります。一人でいながら、他者に向けて広く受け入れることのできる心の余裕があります。しかし、「孤独」に耐えるには強さが必要です。自分と向き合う力です。「孤独」を恐れないでほしいと思うのです。

かつて、トイレの個室でお弁当を食べる大学生が増えていることがマスコミで取り上げられたことがありました。大学のトイレがそれほどきれいになったのかという別の驚きもありましたが、そこにあったのは一人で食べている姿を人に見られるのが怖いという大学生たちの姿でした。一人で食べるのが怖いのではなく、人から「あいつは友だちのいないやつだ」と思われるのが怖いというわけです。このことを押し広げて考えてみるなら、「あいつは友だちのいないやつだ」と思われないように、無理をして、つまり集団の中に入るために自分を押し殺してグループで食事をしている学生が、トイレでお弁当を食べている学生の数とは比べ物にならないくらいたくさんいることになるはずです。

一人でいることが恥ずかしいと感じる必要はありません。恥ずべきことは、人からどう見られるかということにとらわれ、無理をしていること。自分らしく生きていないこと。おどおどしたり、虚勢を張ったりしていることは、すぐに人から見透かされてしまいます。リスペクトされません。人に嫌われたくない、良く見せたいという気持ちが結局は逆になってしまいます。


今でも忘れられない卒業生がいます。彼は中学校を卒業した後、10年近くたってから突然職員室の私の元にやってきました。「先生!パイロットになったよ!」。それまでにも2回ほど、酔った勢いといった感じで電話がかかってきたことがありました。長い電話のわりに、後から何の用でかけてきたのかよく分からないといった風の電話でした。何かを抱えているような、少し胸騒ぎのする電話でした。

そんな彼の第一声が、「先生!パイロットになったよ」だったのです。久しぶりの再会とともに、就職が決まったことを喜びました。彼は中学校時代、目立つタイプの生徒ではありませんでした。人間関係の上でも器用なタイプではありませんでした。でも、正義感が強く、一言でいえば狡さのない生徒、だからこそこの時代の中でうまくやっていけるだろうかという一抹の不安とともに、彼の幸せを陰ながら願っていました。

いつからパイロットになろうと決めたんだい、という私の質問に彼は興味深いことを語り始めました。「中3の初めのころ、僕は学校に行くのがつらかった。信頼していた友達の裏の面を見てしまった。人を信じられなくなった。」私が当時全く気づいていなかった事実でした。「僕は帰りのホームルームが終わると、すぐに一人で校門を出るようになっていた。その日も一人井の頭公園を吉祥寺の駅に向かって歩いていた。そして、七井橋の真ん中に来た時、なぜか立ち止まって、池をボーっと眺めていたんです。どれくらいの時間、眺めていたのか、突然人の声が聞こえてきました。振り返るとそこにはホームレスのような恰好をした人が立っていて、僕に語りかけているんです。『兄ちゃん!兄ちゃんは将来、何になりたいんだい?』急に質問され、僕はとっさに『パイロット!』と答えていました。その頃、僕は将来について考える気力もなく、口から出た言葉に自分でもびっくりしていた。反射的に、小さい頃漠然と思っていた夢が口から出てしまったんです。」

すると、そのホームレスは「すげーな、兄ちゃん!パイロットか!すげーな!その夢、叶えてくれよ!すげーな!」その言葉を残したまま、ゆっくりその場を立ち去って行ったのだそうです。彼はその瞬間、自分でも不思議なくらいの何かの力に引っ張られるようにその足で、気がついた時にはパルコの地下にある大型書店に立っていました。そして、どういう学校に行って、どんな勉強をすればパイロットになれるのかが書いてある一冊の本を買ったのだと言います。

彼は航空大学校を目指し、勉強を始めました。誰にも言わずに、自分の中で心に誓ったわけです。めでたく航空大学校に進学してから、実はそこからが本当につらい日々が続いたのだそうです。厳しい訓練が続くに従い、同級生が一人二人と脱落していく。次は自分かと思いながら、メンタルがずたずたになるような飛行訓練が繰り返されるのだそうです。それはそうでしょう。直接多くの命を預かる仕事です。もしエンジンの故障があったら・・・、もし突然航行不能状態に陥ったら・・・、そんなもしものことを想定しながらの訓練、厳しい教官の言葉。時々彼は狭いロッカーに閉じこもり、自分でも頭がおかしくなってしまったのではないかという恐怖感の中、ついに大学校を卒業、パイロットとして職に就くことができました。「ホリセン!でも、人を乗せる飛行機じゃないんだ。貨物なんだ。第一希望じゃないんだけど、でもパイロットなんだ。」

彼には胸を張って生きていってほしい、十分その資格があるんだということを伝えました。それにしても、あのホームレスは何者だったのでしょうか? たぶんその時の彼が一人孤独だったこと、にもかかわらずきれいな眼をしていたこと、だからこそ出会えたのでしょう。一人になることは大切なものに出会うための条件なのかもしれません。

孤立しているとき、世界はとても狭くなっています。でも、現実の世界は思っているよりずっと多様で豊かです。狭い教室空間の中でさえ、本当は一人一人みんな違った感性を持っているのです。それなのに、一人になるのが怖くて一生懸命人に合わせようとするのでしょう。中学生の初めころ、自分を素直に出すことが難しいと感じる生徒は意外にも多いように感じます。一人でも気にせず行動できる人、孤独を楽しめる人、そんな人が一番自由で、実は周りの生徒から一目置かれる存在になれると思うのです。そして結局はそれが自分にとって大切な友人に出会える早道なのではないでしょうか。