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〖ほりしぇん副校長の教育談義〗(29)つづき

中学校ニュース
✿先ほどのブログでは文字数を超えてしまい、二度に分けてアップさせていただくことにしました。前回のブログの続きとなります。


《「いなくなっても一生忘れない友だちが、一人、いればいい」》   I.M.さん

この文章は、読んだままの意味だと思う。ただ、言いかえるなら、「表面だけの付き合いの友だちなら要らない」という意味にもなる。心に人間関係で嫌な思い出がある人には、この文章の言っていることはとてもよくわかるし、逆に人間関係で失敗したことがなくて上手に他人と合わせてこられた人には、実感がわかないと思う。

私は七年生のある時期、一人でお弁当を食べていたことがあった。気がつくといつのまにか声をかけてもらえなくなっていて、自分から話しかけてもみんなの反応が前と違っているのに気づいた。この状況は、生まれてすぐ日本を離れ、小学校入学のときに六年ぶりに帰国した頃となんだか似ているなと思った。みんな誰かと一緒にいて、違うことをしたり話したりする人を遠ざける。西村さんは、一人が嫌だから必死でみんなと仲良くして、楽しそうに見えるようにしたかったのだと思う。でも、自分の気持ちをおさえて、他人にあわせてばかりだと心が苦しくなってくる。

そんな私に姉が「中一の頃は自分の居場所をつくるために仲間を作る。自分を守るために平気で人を傷つける。良かったね。早くそんな目に会って。きっとこれからは他人の気持ちを気づかってあげられるよ。私も色々あったから。」と話してくれた。なるほどものは考えようだと思い、それからとても気持ちが楽になった。

七年の時の彼女たちは、きっと自分たちの居場所を守ったんだと思う。私は苦しかったけれどそんな経験をしたからこそ帰国した時も今回も大切な友人ができた。恵美の言った「一生忘れられない友だちが一人いればいい」というセリフは私にはとてもとても共感できる。



《言葉はナイフだった。》   A.R.くん

私は小学校六年生の後半にイジメにあったことがある。その時、私はイジメられていることに気付かなかったが、ある友達の一言で私はイジメられていると感づいた。周りの友達に話しかけても、みんな「ふーん、あっそ、よかったね」としか言わなかった。私は、とてもショックを受けた。もっとひどかったのが、私が触れたもの、触ったものを「きたない」だとか「きもい」だとか言われ、とても傷ついた。しまいには、私が買ったおみやげがゴミ箱に捨てられてあった。私は何もしていないのに、なぜイジメられたのか考えた。特に思いつくことはなかった。でも、自分がイジメにあって気づいたことがあった。私も、イジメられる前は友達に「バカ」や「死ね」など何も考えずに言っていた。私は友達を嫌になると同時に自分も少し嫌になった。

「きみの友だち」を読んで、西村さんと自分がとても似ていることに気づいた。文中での「負けたくない」などぴったりあてはまる。私はもう、だれもイジメたくないと思った。




『千羽鶴』という作品を語ることをとおして、生徒が自分を語っていることに気づかされます。中には自身のいじめ体験もあります。これらの文章を教室で交流したく、生徒に「印刷して、みんなに配っていいかな?」と聞きました。すると、ほとんどの生徒が「全然いいよ!」と答えます。外に向かって表現できるということは、すでに過去のできごととして自分の中で消化できているということなのかもしれません。

一人、気になる女子生徒がいました。何かというと「西村、ウザイ!」と、つぶやくのです。それが次の授業でも執拗に続きます。ところが、何時間目かの授業が終わった後でした。私のもとにやって来て、小さな声でつぶやいたのです。「西村さんと私って似てる?」どきっとしました。

自分自身と向き合うということは勇気がいります。エネルギーが必要です。一方で人からどう見られているかということも気になる。文学作品を共同で読んでいく中で、一人一人の生徒が自分自身の中に西村さん的な部分があることに気づいていったのでしょう。もちろん、私の中にもあります。そんな教室の雰囲気を彼女は感じていったのかもしれません。彼女の頑なな心が少し柔らかくなったようにも感じました。

(中学校副校長 堀内)