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〖ほりしぇん副校長の教育談義〗(34)中3「卒業研究」の実践-②『中学生の「卒業論文」を提案』

中学校ニュース
*今日の午前中、今年度の9年(中3)『卒業研究発表会』が行われました。例年なら1月に学内向け、保護者一般向けと2日間にわたって実施されるのですが、1月は感染者数の急増により延期、本日学内向けの発表会として実施しました。保護者の方には録画したものをYouTubeとして限定配信することになっています。

〖ほりしぇん副校長の教育談義〗では、ちょうど前回から中3「卒業研究」の実践について語り始めました。第33話の『中学生の「卒業論文」との出会い』につづき、今回は『卒業論文』を提案する前後のお話をしたいと思います。26年前のことになります。

(中学校副校長 堀内)


2 中学生の『卒業論文』を提案


1996年3月、大月の嵯峨塩鉱泉に新9年(中3)スタッフが集まりました。中学校の最終学年をどう過ごさせるか、泊まりがけで学年の構想を練るためです。前年度の学年主任が退職したために、急遽初めての学年主任となった私は、学年スタッフに呼びかけ、7人全員が集まりました。そこで話し合われたテーマの一本の柱が『卒業論文』への取り組みでした。

明星の授業は一時間の授業を大切にする。しかし、目指すものは一時間の中で完結するわけではない。それぞれの教科の授業実践の先にある子どもたちの姿について語り合いました。自分の興味あること、疑問に思うことを他者に語りかけ、さらに自分の考えを文章にまとめる。そうすることで他者と深くつながってほしい。本当の意味の「自由」というものはこのようなプロセスをとおして獲得できるのではないか。学年全員の賛同を得て、この取り組みは始まりました。

生徒に要求したのは次の4点のみです。

・自分の興味、関心のあるものの中から研究テーマを見つけ、3人以上の先生にその思いを語り、研究テーマとしてふさわしいかどうか、アドバイスをもらう。

・全員が原稿用紙30枚以上の論文を期日までに書き、冊子としてまとめる。

・「なぜそのテーマを選んだのか」(まえがき)と「卒論を書き終えての感想」(あとがき)を自分の言葉で読者に伝わるようにしっかり書く。

・自分の文章と他の研究論文の引用をはっきり区別し、参考文献を正確に記す。



生徒からは次のようなテーマが提出されました。

アメリカの黒人差別/宗教の差別について/グレン・グールドについて/ウイルスとは何か/水の神秘/ピーテル・ブリューゲルについて/兵馬俑について/江戸から学ぶこと/演劇の発生と本質/オーパーツと謎の遺跡/連立政権について/「自由」が持つ意味/グリム童話の残酷性について/自分の考えは幼いか?/孫子の兵法について/シカン文明について/いじめと心理/悪魔崇拝と犠牲/光源氏をめぐる女性たち/第二次世界大戦時のプロペラ飛行機・・・・・・



そこには我々の予想をはるかに超える興味、関心の広がりがありました。休み時間の生徒同士の会話にも変化が見られました。職員室に一人で相談に来る生徒の姿も日常の風景になりました。文章を書く力をつけさせることがこの取り組みの趣旨ではない。いかに教師が良き聞き手であるかが問われました。

問題は160人の生徒にどのように書かせ、冊子として完成させるかでした。中学校部会では反対意見も多く出されました。「まずは、授業を大切にしないといけない」「自分の好きなことをやればいいというのはどうか?」「そんなものは、卒業論文とは言えない」しかし、全員がこの学年の取り組みを尊重してくれました。中学校のすべての教師が卒論の担当教師として数名ずつ生徒を見てくれることになったのです。印刷は国分寺の鳥塚印刷にお願いしました。ページ数がどれくらいになるのかもわからない。見積もりの取りようもない状態でした。そんな中、この取り組みに賛同してくれた鳥塚氏は親身に相談にのってくれ、一つ一つ形になっていったのです。できあがった原稿を送るたびに、鳥塚氏からは具体的な感想が返ってきました。彼は最初の良き読者であってくれたのです。

1997年2月3日、ついに9年生全員の論文が載った『卒業論文集』ができあがりました。クラスごとに4分冊、総計2630ページ、厚さにすると13センチメートルを超える大作です。責任者であった私は『卒業論文集』の最初のページに「卒業論文集に寄せて」と題し、次のように書きました。


〈一つの論文を書くということは、けっして容易なことではない。もし締め切り日というものがなかったら永遠に書き終わらないものなのかもしれない。文章を書くことで新たな疑問が生まれてくる。自分の考えの浅さが露呈する。自分自身と否が応でも向き合わざるを得ない。しかし、どこかで折り合いをつけ、決着をつける。そこに現在の自分が表明され、そこにこそ新たな可能性が潜んでいる。

中学校を卒業しようとする今、君たちは僕たちが差し出したこの困難な課題に対し、それぞれの解答を全員が提出した。正直、期待以上のものである。

なかには、あまりに難しいテーマを選んでしまい、途中で投げ出してしまいそうになった人もいただろう。また、自分の思っていることの半分も表現できず、悔しい思いをしている人もいるかもしれない。しかし、この論文執筆にかけた時間、悪戦苦闘の経験は何ものにもかえられない、君たちの財産である。そのことをこそ誇りにしてほしい。

君たちは、これからも自分の道を切り拓いていくことだろう。人生にはいくつかの節目がある。人はそこで過去の自分と決別し、別個の世界へ入っていく。そんなとき、もう一度この論文集を手にしてほしい。きっとこの4冊の分厚い冊子が、ただの記念文集ではなかったことに気づくにちがいない……。〉

(『1996年度卒業論文集9年1組』「卒業論文集に寄せて」堀内雅人)



論文集の完成した後、鳥塚氏から次のような提言がありました。「ここまでやったのだから、父母から感想をもらったらどうだろうか。幸い、表紙に使った紙が余っている。費用をかけずに、それをまとめた小冊子を作ることができる。」お言葉に甘えました。卒業式当日の呼びかけだったにもかかわらず、32名の父母の方から直接、あるいは封書で感想をいただきました。ここでは、その一部を紹介させていただきます。


・脱帽。子供がいつの間にか自立していたようです。卒業論文を書くということを聞き、我が息子に限って言えば、どうせろくに調べもせず、文の大半を引用で埋める程度のものを提出するくらいに思っておりました。論文集を手にし、その量には先ず驚きましたが、さしたる期待もせず、パラパラとめくっておりましたが、あれあれ、おやおや、何だこれはという次第です。彼等彼女等が自分自身で考え、自分の言葉で表現しているではありませんか。子供に対する認識の甘さを痛感し、親の子離れを促されている様に感じました。(吉田明生)


・論文をみて、まず驚かされるのは、その選ばれたテーマの多様さである。身近な事柄からスポーツ、旅行、異国、科学、音楽、未来etc。生徒の数だけさまざまなテーマが選ばれている。一人一人が15歳という大人への橋を渡りはじめた今の、最も興味のあるものや体験や夢が、背伸びをしたり、稚拙だったり、素直だったり、と生徒一人一人の性格と個性が行間から感じ取られる。おそらく15歳の彼等は、やっと親の庇護から抜け出し、自分なりの生き方や考え方、そして社会や他者への接し方を形作ろうとしている門口にいるにちがいない。その世代の節目の時に、自らの心に刻まれた事柄や、興味を持った事柄について彼等なりに書籍や資料にあたって掘り下げ、一万語に近い言葉を論としてまとめあげたことは、これからの彼らにとって大変意義深いことのように思う。体験が経験に昇華し、夢に若干の現実が加わり、興味にそれなりの知識の援護がもたらされるに違いないと思われるからだ。卒業論文は壮挙であると思うが、それ以上に課題が生徒一人一人に委ねられた自由課題であったことと、その自由課題という困難さと一人の脱落者も出さずに生徒に応えさせた先生方のご努力と、それを支える学園の気風に心よりお礼を申し上げたい。そして生徒一人一人の努力に拍手を贈りたいと思う。(岩崎芙代子)


また、この年明星に講演に来られた当時都立大学総長であった山住正巳氏から、次のような言葉をいただきました。「子どもたちの選ぶテーマがおもしろいね。本当に発想が豊かだ。1セット、総長室におかせてくれないかな。学生と面談をするときに使わせてほしい。」ありがたい言葉でした。


翌年の新中3年スタッフの中でも、その実施に当たっては賛否が半ばしたようです。「卒業論文の前にやらなければならないことがある」「指導の方法がない」「論文という名称がおかしい」「趣旨は分かるが、論文にこだわることはないのではないか。」しかし、学年担当者の熱意もあり前年度と同様の取り組みを行うことが職員会議の中で決定しました。

以後、9年生(中3)では実施形態は当該学年に任されているものの、「卒業研究」をとおして中学校の教員全員がそこにかかわることが確認されました。ただし、年により目標、ねらい、形態はまちまちでした。模索の時期です。ただ、どの教員も生徒の可能性を開こうとしていたことは確かです。目の前にいる生徒の姿をどうとらえるか。教科の授業との連携をいかに考えるか。教員個々の教育観、生徒を観る眼が問われます。なかなか一致はしません。にもかかわらず、『卒業研究』に取り組むという一点においては一致しました。教員にとっても、自由が与えられていました。試行錯誤できる主体性を持つことができました。だからこそだと思うのです。生徒の成長する姿、たくさんのドラマを見ることができました。(次回に続く)