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〖ほりしぇん副校長の教育談義〗(37)中3「卒業研究」の実践-⑤『卒業論文』から生徒全員の『プレゼンテーション』へ

中学校ニュース
*今年度で26年目の卒業研究が先日終わったのですが、四半世紀を超えるこの期間、継続しつつも紆余曲折のプロセスがありました。生徒をどのように見るか、そこにどのような成長のプロセスがあるか、けして合理性で物事が進んできたわけではありません。そこにはさまざまなドラマがありました。【ほりしぇん副校長の教育談義】第37話は「卒業研究の実践」の5回目、「『卒業論文』から生徒全員の『プレゼンテーション』へ」をお届けします。  
(中学校副校長 堀内雅人)


1 中学生の「卒業論文」との出会い(第33話)

2 中学生の「卒業論文」を提案(第34話)

3 早稲田中学校の実践(第35話)

4 なぜ中学生に『卒業論文』か?(第36話)



5 『卒業論文』から生徒全員の『プレゼンテーション』へ

全員が『卒業論文』を書くという取り組みは、形の上では順調に進んでいきました。しかし、一つ大きな問題を感じていました。それは論文執筆後の『プレゼンテーション』についてです。プレゼンを行う他薦自薦により選ばれた十数人の生徒を見るにつけ、他の生徒にも同じ経験をさせてあげたいと強く思っていました。あの緊張感、緊張感こそが人を成長させるのだと感じます。そもそも学年の中から特定の生徒を選ぶことはできません。限られた時間内での発表。もっと説明したいという気持ちは、私の論文を読んでほしいという気持ちに変わります。反応してくれる他者が目の前にいるわけです。恐ろしいことです。でも、本当は嬉しいことです。『卒業論文』を書いたことの意味を感じることのできる時間であり、場になっていたのです。論文としての良し悪しではなく、伝えたい中身があれば絶対にできる、これこそが全員に要求すべきことでした。

論文も素晴らしく、プレゼンも優れている。このような生徒は毎年ある一定数はいます。どこの学校でもそうでしょう。でも、中には文章が極端に書けない生徒もいます。だからといってその生徒に、人に自分の思いを伝えたいという気持ちがないわけではないのです。

その女子生徒は、もともと文字を書くというそれ自体に大変な苦労を持っていました。しかし、ファッションに強い関心があり、色彩感覚にも独特な感性を持っていました。もちろん、論文としての体裁を整えることはできません。それでも、お母さんと一緒に原宿に出かけ、道行く人のファッションを調査したり、いくつかの店舗で聞き取り調査などを行いました。私は彼女の指導を担当していたのですが、写真の選定などで授業中には見せない彼女の強いこだわりを感じることができました。

プレゼン当日1日目のことです。下級生を前に、たどたどしくもパワーポイントを使いながらなんとか発表をやり遂げました。前日、打ち合わせをしていたのですが、発表原稿をきちんと自分で書くことはできません。それにしては、合格です。私もほっとしたのを覚えています。翌日は、保護者一般向けのプレゼンです。一般の方を前に、顔を上げることができず、発表原稿に目をやりながらプレゼンする生徒が多い中、なんと彼女はお客さんとスクリーンを交互に見ながら堂々と発表を行っているのです。目を見張りました。発表が終わり、司会者が言いました。「質問や感想のある方いますか?」すると、あるお母さんが手を挙げました。「あなたの発表を聞いて、ファッションにものすごく関心があることが伝わってきたわ。あなた、将来こういう道に進みたいの?」「はい!」間髪を入れず、彼女の力強い返事が教室に響きました。次の瞬間、お客さんから拍手が湧きおこりました。教室半分の発表場所です。たくさんのお客さんがそこにいたわけでもありません。でも、彼女の力強い返事とまっすぐ前を見る表情は今でも私の脳裏に焼きついています。彼女はその後、希望通りファッション関係の専門学校へ進学していきました。


2011年、この年全員の論文の載った論文集を刊行、同時に各自一冊の自分の本を製本することができました。また、12月には全員が17のブース(1つの教室をパテーションで二つに分け)に分かれ、一人一人お客さんを前にプレゼンテーションを行いました。この年の研究発表会は下級生向けだけではなく、父母・一般の方に見ていただく日を設け、小学校や学外を含め広く広報をすることにしました。卒業研究が学年としてではなく、中学校全体として生徒の姿を見ていただくための取り組みとなった最初の年になったわけです。

この年責任者となった私は『2011年度卒業論文集』の巻頭に次のように記しました。



『2011年度卒業論文集』に寄せて

ここに『2011年度卒業論文集』として、今年度の卒業研究の生徒の取り組みを一冊にまとめることができました。私自身、感慨深いものがあります。それはたぶん一つひとつの論文を読むだけでは見えてこないものなのかもしれません。

それぞれの論文には完成するまでの背景があり、ドラマがあります。けして本人にとって順調にいったわけではないでしょう。なかなか自分のテーマが決まらなかった生徒。先生に相談カードを持って自分の思いを伝える段になっても、学年以外の先生に声をかけられない生徒がどれほど多かったことか。せっかく自分でテーマを決めたのに、参考文献として選んだ専門書の前に身動きの取れなくなってしまった生徒も数多くいたはずです。それ以前にそもそも自分が何を考えようとしていたのか、方向性が途中でわからなくなってしまった生徒もいました。

初めて彼らの活動の全体像が見え始めたのは明星祭での中間報告会でした。限られた人数で、それも窓の外から大きな音が響いてくるという過酷な環境の中でのプレゼンでしたが、コメンテーターの先生方からアドバイスや賛辞の言葉をもらい、発表者の眼はキラキラと輝いていました。それから3週間後、中学校のすべての先生方に協力してもらい、全ての9年生が8つの教室に分かれての中間報告会を持つことができました。多くの教室で質問や感想などがとびかい、予定の時間を大きく超えて盛り上がっていたグループもありました。論文を書く困難さとは別に、発表するということが人とつながる大きな契機になるのだということを感じた生徒は少なくなかったのではないでしょうか。

また、この時期本校の評議員でもある東京外国語大学の中山秀俊氏に主に言語・民族文化をテーマに取り組んでいる10名近い生徒が一人ひとり面談、アドバイスをいただきました。そのときの彼らの真剣に向き合おうとする姿は今でも私の脳裏にやきついています。中にはメールで連絡を取り合い、実際に大学の研究室にお邪魔することになった生徒もいたようです。来年度に向け、明星の中学生と研究の場である大学とをつなぐひとつの可能性を感じさせていただきました。

また、それとは別に、研究テーマを専門としている先生を自らさがし、大学の研究室を訪ねる生徒、いくつもの大企業に質問を送り、その回答を資料に自らの論を展開している生徒もいました。これらのことは、我々指導する立場の人間に大きな示唆と刺激とを与えてくれます。

このようにして12月、ついにカラー印刷された原稿に厚紙の表紙をつけ、この世に一冊の冊子を全員が手にすることとなりました。

今年度、もう一つの挑戦がありました。論文を書き、各自製本するというだけではなく、全員が自分の研究してきたことを一人ずつお客さんを前にして、プレゼンテーションをするということです。自分の研究してきたことを模造紙に書き込み、それを展示して見てもらうということはこれまでも何度かありました。しかし今回は全員が直接自分の言葉で目の前にいるお客さんに伝えるわけです。もちろん生徒にとって評判のいいはずはありません。大変な緊張感です。それにもまして自分の発表を聞いてくれる人がはたしているのだろうかという不安感も大きかったはずです。

ところが、おもしろいことに話すことが苦手だと思っている生徒ほど一生懸命発表原稿を書き、担当の先生のアドバイスを聞き、練習を重ねるたびに顔を挙げ、指示棒で模造紙の資料を指し示すようになっていきました。最終日の一般の方向けの発表会では自分たちでお客さんを呼び込み、プレゼンをとおして一生懸命人とつながろうとしている生徒の姿をあちこち見ることができました。ごく自然に受付を手伝ってくれている生徒がいました。いちょうのホールに来ているお客さんに是非教室でのプレゼンを見てくれるよう、自分よりもっとすごい発表があると伝えている生徒がいました。全てのプログラムが終了した後、全員で気持ちよく会場の後かたづけをしている姿、もしかするとこの姿こそが今回の卒業研究の取り組みを象徴する一場面だったのかもしれません。

ブースの作り方、プログラムの組み方、プレゼンの練習の方法など不十分な点は多々ありました。にもかかわらず、彼らを変容させてくれたのはお客さんとして彼らの発言に耳を傾け、あたたかな言葉をかけてくださった方々のおかげです。私自身もそういった場所に立ち会うことができたわけです。

もっとこうすればよかったと悔しい思いをしている生徒も多くいると思います。友人の頑張りを見ながら自分だってできたはずだと複雑な気持ちの生徒もいるでしょう。でも、そのような思いはきっと次へつながります。これはゴールなのではなくスタートなのです。そのような流れの中で彼らの論文を見るとき、また別の輝きをそこに感じます。

今回、このような形で発表会を行えたのは、学年だけでなく学校を挙げての取り組みとしての第一歩を踏み出せたことが大きかったように思います。特にK校長にはパソコンを一クラス分そろえることに尽力してもらい、ワード・パワーポイントの指導を一手に引き受けてもらいました。また、責任者としてなかなか先の見通しの立たない中、学年外でもHさんをはじめ多くの先生方に手をかしてもらいました。

そして全員のデータを手軽に一枚のDVDとしてまとめるのではなく、一冊の論文集として製本することになったのは、みんなの論文をじっくり読んでみたいという多くの保護者のみなさんの声と、初めて担任として卒業生を送り出すOさんの「全員の論文を紙にのった活字として手にしたい」という熱い思い、そして「それなら費用を安くおさえるために、編集作業は全部自分がやる」と言ってくれたK校長の心意気によるものです。

そんなたくさんの人たちの思いと、感謝の気持ちを添えて、この分厚くて重い一冊の論文集をお届けします。

この年の3月、今回の実践をふまえ、運営委員会より「卒業研究では全員に論文を課し、発表会において全員が一人一人プレゼンテーションを行う。発表会では父母・一般の方を対象とする日を設け、学年ではなく中学校全体としてその運営にあたる」という提案がなされ、中学校部会において賛成多数で可決されました。

(次回に続く)