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〖ほりしぇん副校長の教育談義〗(38)中3「卒業研究」の実践-⑥最も大切なテーマ探し(その1)

中学校ニュース
終業日の翌日の19日(土)、小中高全教員が集まっての「全園研究会」を実施しました。テーマは『未来を考え生きる力をどう育てるか~明星の探究・卒業研究に期待すること』。講師は本校の元保護者で、現在東京外国語大学副学長の中山俊秀先生。長く本校の「中3卒業研究」に保護者ボランティアとして協力していただいています。この日は、大学の研究者というお立場から主に次の3項目、①今の時代に求められる知 ②今の大学生に感じる課題 ③中3卒業研究の意義と可能性 についてお話しいただきました。

これからの新しい時代に求められる力とは、その中でこれまで明星学園が追究してきた教育がどのように位置づけられ、さらに発展していくか、小中高の全教員で共有し、大きな刺激をいただいたとても豊かな時間となりました。

さて、〖ほりしぇん副校長の教育談義〗第38話は、「卒業研究の実践」の第6回、テーマ探しに悪戦苦闘する生徒の姿をお届けします。

(中学校副校長 堀内)



1 中学生の「卒業論文」との出会い(第33話)

2 中学生の「卒業論文」を提案(第34話)

3 早稲田中学校の実践(第35話)

4 なぜ中学生に『卒業論文』か?(第36話)

5 『卒業論文』から生徒全員の『プレゼンテーション』へ(第37話)



6 最も大切なテーマ探し


『卒業研究』において、最も大切なことはテーマを自分で見つけることにあります。一番楽なテーマは何だろうといった発想からは、楽しいことは生まれません。1年間かけての取り組みです。どう転がっても楽なはずはありません。だとしたら、仕方なくといったつまらない時間を過ごすのではなく、大変だったけど楽しかったといえるような研究にしてもらいたいと思います。

そのためには、自分の興味関心のあることについて深く考えてみることです。人からどう評価されるかではありません。あるいは、社会に対して疑問や不満を持っていることはありませんか? こういうこともテーマを探すためのきっかけになります。不平という言葉には、ネガティブでどこか人任せなニュアンスがあります。しかし、疑問や不満というのは現状をより良くするための原動力にもなるのではないでしょうか。


先日、明星学園で12年間を過ごし、国立の東京農工大学に進学、卒業後は京都大学大学院に進学、現在御蔵島の京都大学野生動物研究センターでイルカの研究をしている修士課程1年生の田島さんが、学園にやってきてくれました。卒業生として、中学1年生に特別授業をしてもらうためです。

人口約300人の御蔵島の周辺には、現在約130頭の野生のイルカが生息しているそうです。彼女は頭にカメラをつけ、海に潜って水中で泳いでいるイルカを観察・研究しています。イルカの個体識別の仕方、30~40頭の群れの中に入っての観察だからこそ出会える、面白い仕草、実際に自分で撮影した動画を用いてのお話に、中1生も好奇心いっぱいの表情で聞き入っていました。最後の質問コーナーでは、次から次へと手が挙がり、鋭い質問、ユニークな質問がとびだしました。それに笑顔で丁寧に答えてくれる田島さん、素敵な先輩に出会うことのできた1時間でした。

講演の最後に、中学校時代の自分自身のことを少しだけ語ってくれました。小さい時から動物、特にイルカが好きだったこと。中3の卒業研究のテーマを探す時、「自分のやりたいことをやっていいんだよ!」と、先生に言われたこと。自分の好きなことって何だろうと改めて考え、やっぱり動物だと思ったこと。彼女の卒研のテーマは、『なぜ今、野生動物の数が減っているのか?』でした。「中学生の時に、自分のやりたいことは何か、考えるきっかけを与えてもらえたことはとても大切なことでした。そして、好きなことをやり続けること、そのことでいろんなことにつながっていきました。今、御蔵島でフィールドワークしているのもそのおかげです。」その言葉に中1生は、何を感じていたでしょうか?


このように、中学3年生でみつけた研究テーマを卒業後まで持ち続けている例は思いのほか多いということに、後になって気づかされます。


数年前、私のもとに一人の卒業生から結婚披露宴の招待状が届きました。中学3年生の時、担任をしていた女子生徒です。彼女は内部進学で高校へ進む生徒がほとんどの本校において、一人都立の定時制の学校へ進学しました。それから、10年以上が過ぎ、その間会ったのは1、2度くらいだったでしょうか。年賀状のやり取りをする程度の関係でした。それが招待状には、主賓として挨拶をしてほしいというメモが入っていたのです。さあ、どんな話をしたらいいだろうか? 当時のことを振り返りました。卒業アルバムを眺め、そしてその年度の『卒業論文集』をパラパラめくり始めました。彼女の研究テーマを確認してみました。「親の愛情を受けない孤児はどうしたら幸せになれるのか?」はっきりと当時のことを思い出しました。彼女のテーマを見てドキッとしたこと。他の担任たちと彼女はなんでこんなテーマを持ってきたんだろうと、話したことが昨日のことのようによみがえりました。彼女の家族構成はどうだったっけ。でも、その後彼女の書いた文章を読んで安心することができました。論文のあとがきには次のように書いてあったのです。

≪自分はすごく恵まれていると思った。両親もいて姉妹もいる。家族全員仲良しだし、他のことでも恵まれている。でも、普通に過ごしているとあたりまえのことだけど、本当はあたりまえではない。あたりまえだと思えるのは、自分が幸せだからだ。子どもが幸せになるためには大人が責任を果たすことが大切だ。そのうち私も大人になるけど、自分は幸せだと思える子が少しでも増えたらいいなと思う。≫


温かい家庭で育ち、なおかつ自分と違う、環境に恵まれない子どもたちのことを中学校時代において想像する優しさをもっていた彼女を紹介するエピソードとして私は、彼女の卒論のテーマ名の「親の愛情を受けない孤児」を「親の愛情を受けない子ども」とし、スピーチ原稿の準備をしていきました。さすがに、披露宴の場で「孤児」という言葉を使うのはいかがなものかと、変な配慮をしていたことも覚えています。

披露宴が始まると、新郎新婦のこれまでの人生が紹介されていきます。私にとっては知らない、彼女の中学卒業後の姿が映し出されていきます。高校を卒業し、保育士になるための専門学校に通ったこと。専門学校卒業と同時に、一人東京から358km離れた離島「青ヶ島」に赴任したこと。そして人口わずか160人ほど、港はなく島外へはヘリコプターが唯一の交通手段であるこの島で、保育士としての仕事を始めたということ。会場のスクリーンには、ライブで島の保育園の子どもたちが映し出され、「先生!結婚おめでとう!」そして、かわいらしい合唱を聞かせてくれます。電波の関係で映像が時々乱れます。それでも彼女と子どもたちの絆をはっきり感じることのできる瞬間でした。

彼女はこの島で、今横に座っている新郎と出会い、今年東京に戻ってきました。新しい保育園では現在、0歳児を担当しているということです。目頭が熱くなる思いで、その様子を眺めていました。自分らしい、良い人生を歩んできているな、そしてこれからも頑張ってほしい、素直にそう思える素敵な披露宴でした。

卒業研究がその後の人生に影響を与える、そんな単純なことを言いたいのではありません。ただ、15歳という年齢で、自分とは何かを必死に考えるということは大きな意味を持っていると感じるだけです。

(次回に続く。今でも記憶に残っている生徒のエピソードを引き続きお話しします。)